来はいつも

壊れ始めた灰青色のこころ 2 / 3


手を繋いで笑いあう未来だと、信じて疑わなかった。それが絶対的な未来であるはずだと、思っていたのに。
隣でいつまでも笑う君が居る。
そんな夢を、君が死んでから俺は何十回、何百回と願ったことだろうか。
まるで忘れるなとでも言うように、君は眩しい残像を残して。そしてまた、俺は光のない世界で目を覚ますんだ。



夢の続きのような蒸し暑い空気が肌を這う。蝉の声が遠くで聞こえ、額に浮かぶ汗が気持ち悪くて目を開けた。
そこには在りもしないはずの君が居て。
俺は目を細めて腕を伸ばした。触れることなどできないはずのその頬は、仄かに温かかった。


「…あ、きら…」
「お早う、名前。目覚めて早々人違い?」


記憶の中のものとは違う、声変わりの終えたその声に俺は心地よいまどろみからはっきりと目を覚ます。俺が触れていた人は、菜の花みたいな色の瞳ではなく、青々と茂る葉の色をしていた。急いでひっこめた左手を突いて上半身を起こせば、彼はにこりと微笑んだ。


「――え、は…あ? な、ななんで沖田さんがっ!?」
「左之さんの代わりに君のお目付け役」
「…見張り、ですか。人が寝てるときまでもこんな近くにいなくたって…!」
「んー、あまりに君がすやすや気持ちよさそうに眠ってるものだから」


幸せを分けてもらおうと思って。
そういう彼、沖田は胡坐を掻いた膝の上に肘を突いて頬杖をつく。その所為で同じ目線の高さになった俺は、顔ごと反対側にそむけて目を伏せた。
――あの夢の幸せが、今も続いているものだったのなら。
そんな自分の首を絞める願望が、心臓をきゅうと鷲掴みした。 目の奥がじんわりと熱くなるのを感じて、それでもこの沖田の前で泣きたくないと必死に堪える。
それなのに。
水中に放り投げた石が底の泥を舞い上がらせるように、長らく見ていなかった記憶の所為で溢れそうになって。
膝を抱えて、歪む視界を手の甲で乱雑に拭う。
――泣きたく、ない。


「…本当は泣き虫の癖して我慢するの、やめれば?」


ちくりと刺さった棘に振り返れば、沖田はつまらなそうに頬杖をつきながら障子の向こうを見つめていた。僅かに開け放たれる隙間から、白く大きな入道雲が見える。
もうすぐ季節が移ろい、夏の色は褪せていくのだろう。


「いつも、君って泣きそうな顔してるよね。滅多に泣かないけど」


そう言いながらちらとこちらを一瞥し、困ったように笑った。


「僕らだっていきなり理由なく殺すわけじゃないんだからさ。まあ名前の場合ないわけじゃないけどね」
「……沖田さん、それどういう意味ですか」


俺がそう呟けば、彼は目をぱちくりとさせてまた笑った。ふ、と一粒だけ目尻に浮かんだ涙を、沖田は親指で拭う。
未だに胸の奥がツキリと痛んで涙を誘うけれど、頭の中の少年の笑顔はゆっくりと雑多な記憶の闇に消えていった。


「そうだ、沖田さんなんて面倒だからやめていいよ。総司でいい。あと敬語も要らない。たまに外れてるときがあるんだから、もういらないでしょ?」


僕も拘ってるわけじゃないしね。
愉しげに笑う沖田は両手を体の後ろに持っていって、不意に天井を仰いだ。俺は口ごもり、次に出す言葉に詰まってしまった。
一応――恐らく――年上であることや、殺すだの斬るだのと殺人予告をぶつけてくる人物に対して、少なからず警戒心を抱いていた。その場の流れや感情の所為で口が荒くなるときこそあれど、一定の距離感を持って接してきた積りでもある。しかし相手もそれなりの厚い壁で以って話しかけてきているのだから、それが最善であると思っていた。
――全くもって、この沖田総司という人物は理解不能だ。
俺はうだうだと考えるのを諦めて、「総司、ね」とぼそりと呟いた。彼はそれに満足したのか仰いだままで、あははと小さく笑い、そして俺を見遣る。


「それで、光って誰なの?」


ぎくりとしたのも本音。ぴきと頭にきたのも何十分の一の本音。溜息が出そうになったのも本音。当たり前かとがっかりしたのも本音。それら全てがぐちゃぐちゃと顔面で混ざり合って、きっと俺の表情はとても歪んでいるだろう。
その証拠に沖田はにやりと笑っている。


「名前が泣きそうに、なるくらいだから」


今までの会話は、この質問を紛らわすための前置きだったのか。つくづくこの男は嫌味な奴だと再認識し、俺は唇を噛んだ。ここで答えなければ余計な詮索をいれられる。
勿論この世界に――彼の存在は、ないわけだが。
俺は目線を右に一瞬逸らし、もう一度沖田を見た。もしかしたらそれは睨んでいた、に近いのかもしれない。


「…俺の所為で――もう、死んだ人」


逃げたかった、過去。そのために、きっと俺はここにきたかった。あわよくばここで――。


「……総司に、ちょっと似てるんだ。あの人の目は、菜の花みたいだったけど。今頃あの世で、俺のこと殺したいくらい恨んでるのかなあ」


ぽつりと零れた言葉に、頭の中で絶対的な否定の声があがった。都合がいいのかもしれない、そう思いたいだけなのかもしれない。でも、彼は俺のことを殺したいほど恨んでいない――恨んでくれない。
ぎりと噛み締めた奥歯がなる。
脳裏に広がる赤の広がりに、思わず目を瞑った。


「僕はその子じゃないけど、」


沖田はまっすぐに俺を見ながら、


「もし僕がその子だったなら、今すぐにでも名前を殺しに行くよ。生きる意思もないくらいなら、いっそ死んだほうがいい」
「……っ総司に、何が分かるんだよ」


こんなことを言っても不毛だと理解しているから、この声はとても語気がなかった。布団の上で握り締めた指先が、手のひらに深く突き刺さる。真横に強く引いた唇は、情けなく再び震えていた。


「君が池田屋やこの間の長州の事件で殺した藩士のほうが、よっぽど生きたいと思っていたんじゃない?」


喉が渇く。今すぐにでも声を荒げて怒鳴り散らして叫んでしまえたら。彼が正しいのだと心の中で囁く誰かが、俺の怒りに似た痛みを引き止める。言葉が痛いと思うのは、それが正論であるからであって。ましてやその言葉に反論できるだけの、言い表せる言葉を持ち合わせていなかった。
沖田は立ち上がり、障子に手をかけた。


「誰かを斬るから誰かに斬られる。それだけの覚悟じゃない」


遠ざかる足音が、夏の声にかき消される。どこからか聞こえる雷鳴が、灰色の雲を引き連れた。
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