来はいつも

壊れ始めた灰青色のこころ 3 / 3


お昼を過ぎた頃に、突然雷と共に豪雨となった。大地を抉るような強い雨に、千鶴が洗濯物を畳ながら溜息をついていたのを見かけた。土方はそんな彼女の様子を横目に、早足で自室に戻った。部屋に戻れば、読みかけ書きかけの書類が卓上に散乱し、室内の蒸し暑さの所為で硯に出した墨汁は乾ききっていた。
湿度の高い空気に苛立ちを募らせながら書類を手早く片付け、ようやく腰を下ろす。
はあと零れた溜息と共に、この身に降りかかる厄すべて吐き出してしまえたらいいのに。
そんな馬鹿げたことを思ってしまうほど、今の土方は疲れていた。
そんなとき。


「副長、いらっしゃいますか」


監察方である山崎の声が聞こえ、彼は短く「入れ」と返答する。控えめに開けられた障子の先には、普段着を纏う山崎が居た。彼は土方の正面に腰を落ち着け、その手に持っている文を手渡す。それを受け取った彼は暫く無言で読み続け、張り詰めた空間に紙の擦れる乾いた音だけが響いていた。


「今回、お前には長州の方へと行ってもらった。これは、俺や近藤さんが決めたことだ。 ――お前は、確かに長州へと向かったな?」
「はい。副長から任務を言い渡された翌日、新選組から出立しました。 その時の調査結果も含まれています」


折りたたまれた文の中頃に、生真面目な彼らしく事細かに記載されていた。しかし今回土方が山崎を呼んだのは、調査報告のためだけではない。彼は書類から顔を上げ、それらを元に戻すと袂に突っ込んだ。


「それで、この間の件に関しては?」
「はい。俺と島田君で二人についていました。島田君の報告によれば、彼は山南総長と雪村君、そして沖田君と共に行動していたことは確かだそうです。
一番隊として三条大橋に向かった後、永倉組長から副長の許へという指示が出されたことは確認が取れました。その間に、長州藩士と連絡をとるなどの行動は見られませんでした」


三条大橋で直接のきっかけとなった山崎の"偽者"に関しては、今のところ本人であった可能性は限りなく低い。それを裏付ける確証も存在しているため、やはりあれは内部から撹乱するための罠であったことが妥当な線だろう。
山崎の存在と土方、近藤は結びついていると考えるのは、何も幹部方だけではない。巡回中の三番隊を助けるため、という嘘に動いた永倉も、元は隊士が焦った結果なのだ。
土方は腕を組み、頭に浮かぶ最悪の可能性に顔を歪めた。


「永倉の命令か、それに山南さんが居たら間違いねえ。…可能性としては彼奴、か」


彼は舌打ちをすると、眉をひそめた。屯所前の通りでおきた小競り合いに参加することを許したのは、紛れもない土方自身である。それが分かっているからこそ、遣る瀬無い思いが尚更眉間の皺を深くさせた。


「長州勢が撤退したのは、彼が原因であるようです。ですが長州藩士と思しき男のほうは、銃口を彼に向けて何度か発砲しています。後に小路で言葉を交わしていましたが、それも一方的なもののようです」


これ以上死傷者を出さずに済んだという点に関しては、息もつけるところだが。
山崎は少しだけ顔を歪め、


「…その場にいた自身の考えでしかありません。藩士のほうの警戒心が強く、声もまばらにしか聞き取れませんでしたが…」
「なんだ、言ってみろ」
「間者である、という可能性は低い、かと」


その言葉に土方は目を閉じ、少しの沈黙を挟んで口を開く。


「山崎君がそんなことを言うなんて珍しいじゃねえか。そうか…だが、不確定要素が多すぎる」


警戒心や守りが堅い、という以前に、"彼"は情報の全てが不明で謎でありすぎた。どれをとっても決定的なものはなく、かといって野放しにすることは避けがたい。もしも、のときのために囲い込んでおかなければ、新選組として事が起こった際に後悔につながりかねないのだ。
山崎はそんな彼の様子を窺いながら、しかし最も確定的事項を告げた。


「彼自身に関してですが、やはり性を偽っています。同室の原田組長も、気付いておられるようです」


その言葉に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた土方は、はあと重苦しい溜息をついた。


「性別何ざこの際どうでもいいが…ったく、原田も何考えてんだよ」


男だろうが女だろうが、彼にとってそれが理由になるなど一切ない。問題は新選組幹部の原田が、何を思ってそう行動したのか。
それでいくと何か他にもつつけば出てきそうな、そんな雰囲気に土方はまた溜息をついた。
やることはこれでもかというほど山積みであるのに、それを崩していくのにこんなにも骨が折れるとは。


「…仕方ねえ。長州のことに関して、今夜糾問をかける」
「はい、分かりました」


短く返事をした山崎は早々に部屋を退出し、残された彼は前髪をぐしゃりとかきあげた。彼個人が思う想像と、自らの役職としての考えを同じくさせてはいけない。
その思いが、より眉間の皺を険しくさせた。











たった二人が稽古をするには広々と感じる道場で、激しく木刀で打ち合う音が響いた。息の乱れる音が、稽古の激しさをより物語っている。彼が懇親の一撃と振り上げた木刀は、鈍い音と共に相手の木刀を叩き落した。


「…どうした、平助。今日は随分と荒っぽいな」


床に落ちた木刀を拾うついでに腰を下ろした赤髪の彼、原田は、肩で呼吸をする青年を見上げた。長い髪が風に揺れ、額の汗で張り付く前髪をかきあげる。別にいつも通りだよ、と既に語調が荒くなっている彼は、自覚をしているのだろう、またしかめ面をした。原田はそんな藤堂の姿を見て、後ろの出入り口のほうに振り向いた。


「千鶴、そんなとこに隠れてないで出て来いよ」
「っ!!」


ガタリと揺れた引き戸の向こう側から、彼女は恐る恐る顔を出す。彼女の存在に全く気がつかなかった彼は、目を丸くさせながら見つめていた。それから藤堂は木刀を持ち直し、腰を下ろした。原田はふうと溜息をついて、拗ねた風な彼を見遣る。


「平助、何があった。いくら稽古して気ぃ晴らそうとしたって、ただ当たってるだけじゃ何も変わらねぇよ」
「…んなの、分かってるよ。けど、口惜しいんだ…!」


胡坐をかいた膝の上で強く握った拳は、わなわなと震えて白くなっていた。
例えば彼にしかないような、自尊心も虚栄も思いも努力も。他人である誰かがそれら全てを理解することなんて、到底不可能なことではあるけれど。


「…平助君には平助君の強さがあって、平助君だけが持つものがあると思うよ。 平助君が仮令持っていなかったものが在ったとしても、それを口惜しがったり、怒ったりなんてしなくていいんじゃないのかな。
誰かになくて、平助君にだけ持つものがあるんだから」


彼女は首を傾げ薄く微笑みながら、自分なりの精一杯を口にした。しかし彼にとってやはりそれらは不服で、心のうちにある感情と隣り合わせに抱えるには納得の差がありすぎた。


「…でも、弱かったら守れないんだよ。強くなくちゃ、彼奴のこと、守ってやれねぇんだよ!
オレにだけしか持ってなかったとしても、それは戦場じゃ役立たずだ…!!」


言葉をただの声として聞き流してしまうのであれば、大切な何かを見失ってしまうのかもしれない。それでも、誰よりも強い思いがあるのなら、きっと。
彼はふっと笑って立ち上がり、その頭を乱暴にかき撫でた。


「平助。敵から守ってやることだけが、"守る"ってことじゃねえよ」


原田が口角を横に引いて笑ってみせると、隣にいた千鶴は目を細めて見つめていた。
彼を見上げる藤堂はいまひとつ納得しきれていないようで、言葉を喋ろうと口を開きかけた瞬間。どたどたと五月蝿い足音を伴わせながら、その人はやってきた。


「平助! お前今日夕飯の担当だろ!!」
「っああ!! すっかり忘れてた!」


道場にこれでもかと響くほどの大声に、藤堂はそれに張り合うように大きな声をあげて走り出した。びくりと震えて思わず耳を塞いだ千鶴と仁王立ちをする彼――永倉に、原田は呆れたように笑った。入り口に立つ彼に二、三の小言を言われる度、手を合わせ何度も謝る藤堂は、最後に振り向いて、


「ありがとな。左之さん、千鶴!」


歪んだ笑顔で手を振り去っていった。急いで台所へ向かった彼を、永倉は溜息を零しながら見遣る。そんな彼の様子に、原田は過ぎった嫌な予感に眉間に皺を寄せた。


「…飯食い終わった後、この間の長州の件で彼奴に糾問かけるらしい」
「……やっぱりか。広間で、いいんだよな」


たった数ヶ月とはいえ同じ釜の飯を食った人間を、目の前で痛めつけてまで平然としていられるような神経は持ち合わせていない。
――勿論必要とあらばやるしかないのだが、後味が悪くて仕様がなくなるだろう。
彼の願いに、永倉は短く頷く。


「やっぱり、ってことはお前……」
「通りで一戦やらかした時、十番隊を指揮してたからな。……拳銃持った奴と話してたのは、知ってた」


永倉は徐に歩き出した原田の背を、苦々しい表情で睨みつけた。その視線の理由を痛いほど理解している彼は、それでも歩みを止めずに前だけを見ている。
二人のやり取りをただ黙って見守る千鶴は、胸の前で指を組んで立ち竦んでいた。


「…監察方がいたからいいものを、お前土方さんになにやられても文句いえねえぞ」
「分かってるよ。けど、俺は俺の直感を信じただけだ」


一向に動く気配のない三人目の足音に、原田は初めて振り返る。案の定立ち止まって俯く彼女は、小さく震えていた。


「……私も、その場に居させて下さい」


その言葉を予想していなかったわけではない二人は、顔を見合わせて口元を歪ませた。


「んな気にすんなって。問いただすだけで、何も拷問まではしねえからよ」
「っお願いします、永倉さん、原田さん!
わ、たし…名前君にいっぱい助けてもらったんです。だから、だから…っ」
「千鶴ちゃんが仮令名前に世話んなったとしても、この状況で彼奴にしてやれることは何もねぇよ」


彼の言葉に口を噤み俯く千鶴の顎を伝って、ポタリとそれは落ちる。永倉があたふたとし始め、それに見かねた原田が声をかけようとしたとき、微かにかすれた声が切に願った。


「傍に、います。ずっと、居てあげることくらいしかできないですし、だからって何の意味があるかなんて分かりません。それでも…最後まで、ちゃんとずっと、傍にいたいんです」


後頭部をかきながら、永倉は歩き始める。彼が零した呟きに、原田は項に手を回して溜息を零した。


「それ見て苦しむのは千鶴もなんだからな…」
「分かってるって、俺だって嫌だけどよ…」


自分の我侭に悩ませてしまった二人に申し訳なくて、千鶴は頭を下げた。彼女の姿勢に再び顔を見合わせた彼らは、大丈夫と何度も声に出す。千鶴ははいと答えて、そして胸の前で指を絡ませた。



祈るように、届くように。
揺れる心を、落ち着かせるように。

大丈夫と、何度も何度も囁いて。


頭の中で、彼女の笑顔を追いかけた。

壊れ始めた灰青色のこころ

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