未来はいつも
なんとなく予想はついていた。藤堂に誘われて稽古をしにいった原田が部屋に戻ったときの表情や、その時から出入りの多くなった彼と永倉の話し声から。
嫌でも、彼女の頭の中でそれは思い浮かんだ。
「斬首ーなんていわれたらどうしよう」
今からほんの少し前に部屋に顔を出した永倉は、いつもより幾分険しい顔つきをしていた。それから話されたのはこれから起こることで、名前は困ったような笑顔を浮かべた。その表情に彼は思い切り顔を歪めて、一応と手に持った縄を引きちぎらんばかりに握り締める。
「…お前、なんともおもわねえのかよ」
僅かな怒気を孕んだような口調は、寧ろ彼女を驚かせた。
こうなることを願っていた――といってしまうと語弊があるのかもしれないが、少なくとも永倉がそんな感情をあらわにするとは予想だにしていなかったから。
名前は目を瞬かせて、両手を背中に持っていった。
「拷問されなかったら、まだましじゃないですか? 爪剥がされたりなんていかにも想像しやすくて、激痛」
ひいと思わず指をさすり、身震いする。彼は眉間に皺を寄せたまま、後ろ手に縄で縛り上げた。
"疑わしきは罰す"
土方がそう告げて渡されたこの縄に、単に身体の拘束だけの意味があるとは思えない。今目の前で笑っている名前は、その心のうちに何を思っているんだろうか。永倉は固結びで留めた後、彼女の肩を押して廊下に出させる。
何にせよ、今は自分の職務を全うするのみだ。
「――行くぞ」
ぎしぎしと二人分の足音を鳴らせながら歩くあいだ、前を歩く名前は目線をあげようとはしなかった。だから、少しだけ俯いた彼女がどんな顔をしていたのかなんて、知る由もなかった。
揺ら揺らと炎は不安定に灯りを灯し、全員の顔に影を作る。 いつもよりどんよりとした空気――否、それは藤堂が感じた空気である。千鶴からしてみればそれは刺すような、殺意の篭る張り詰めた空気だ。その違いは、きっと問いただす側と中立的存在側の違いからだろう。
それでもここにいる大部分が、あまり良い気分とは分類できない心境であることは確かだった。
「入るぜ」
ぐらりと炎が揺れる。現れたのは大きな影と、肩を竦めた心細い影。
永倉は名前を幹部方の目の前に座らせると、自身は原田の隣に腰を下ろした。
千鶴は藤堂の背に視界を奪われながらも、まっすぐに彼女を見つめた。既に諦めたかのようにつまらなそうな表情をする彼女は、ゆっくりと顔を上げ土方を見遣る。元々お世辞にも血色の良いとはいえない顔色が、夜の所為か尚のこと青く見えた。
「…どうして、自分が呼ばれたのか分かってるか?」
鳴き疲れた蝉の声が、聞こえる。今にも消えてしまいそうな頼りない夏の声は、張り詰めた空気によってかき消された。
「…俺が、間者だと思われているから」
「なら話は早い――」
「殺しますか、俺を。貴方なら勿論躊躇なく、殺せるでしょうけど」
名前の声は震えてなどいなかった。怯えるように縮こまるわけでもなく、いつものように明朗としている。肝が据わった度胸というよりも、彼らにはまた何か異質の雰囲気を感じていた。
土方は瞬きを一度すると、誰にも気付かれないように息を短く吐いた。
「…お前、氏はなかったな」
「そうですね」
「ならその刀と、剣はどこで習った」
この時代で重んじられることの一つといえば、絶対的な階級の差。そこに違和感を覚え疑問に感じるのは、きっと至極当たり前の感性だろう。名前は一瞬下唇を噛んで、それから口を開けた。
「…武士ではないから氏持ちではない。刀は兄が持っていたから譲り受けた。そのとき序でに、面倒見の良い兄から護身の為に教えてもらった」
「兄って言うのは陽月のことか」
「はい」
「生まれは?」
「……武州です」
言い方に違いはあれど、大雑把な観点で見れば嘘ではない。だからこそその問いの回答としては自信があった。
土方はちらりと目線を横にずらして、再び彼女を射殺せそうなほど鋭い目つきで睨んだ。
「こっちで適当に調べておいたが、何も得られなかった。名前も、肉親も、存在も。何一つ、な」
ドクン、と嫌な音が響く。頭の中の血は急速に冷えていくのを感じるのに、指先は痛いほど熱い。
名前は見開いた両目を歪めてみせて、まるで貼り付けたような笑顔を浮かべた。
「…俺、は…ここに"在る"んです。みんなが忘れてても…それでもここに、いるんです」
言葉は時に刃よりも鋭く深く、心の臓を抉るから。抉り出された傷口が、鈍い痛みを訴えてすぐに泣き出してしまう。この胸の奥にある心は、本当は誰よりも弱くて、脆くて。
「確かに、お前は俺達の目の前にいる。だが、人別帳にそれらしい記載の一切がなかった」
「…親が死に、その日を生き延びることで精一杯の俺たちにとって、そんなもの心に留め置く余裕すらありませんでしたし。そもそも親が死んだのは物心つく前の話しです、覚えてるほうがおかしいですよ」
「なら、お前は何だ。…"男"であることに、何の意味がある」
名前の目がふらふらと泳ぎ、唇が微かに動く。それは何か言葉を紡ぐわけではなく、ただ空気だけを吐き出している。
彼女の徐々に俯いていく頭に、原田はちらりと沖田を見た。彼はいつも以上に無表情を決め込み、名前を見ているようで何も見てはいないように思えた。
――俯き影を落としたその顔が次に土方を見上げたときには、痛々しい笑みに変わっていた。
「……守りたいから。俺がこの剣で、守りたいと思えたものを守るために」
「そうまでして、お前は何を守ってんだよ」
「…意味、ですかねえ」
見ていられないと、千鶴は口元を曲げた。
彼女は彼女で、名前は名前であるというのに。
なぜか胸の奥が悲鳴をあげているのだ。
「その"意味"に託けて、逃げてるだけじゃねえのか」
痛いなあと、名前は声には出さずに言った。首を傾げて笑う彼女は、冷めた瞳で、静かに煮え滾っていた。
「…逃げられないんです。走っても走っても走っても、できない。自分がそう望んだ結果が、追いかけてきて。ただ……」
彼女は、そうしてまた俯いた。何度も視線から逃げるように俯くたびに、弱さを刻み付けていく。それでも、名前の表情から笑顔が消えることはなかった。
どんどん苦痛に歪むような笑顔に変わり、それは単に苦しそうな顔をするよりも、
――苦しかった。
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