未来はいつも
陽月は彼の頬を傷つける寸前のところで、刀を突き立てた。殺されると思っていた彼は悲鳴をあげて、固く目を閉ざす。陽月は自身を睨む四つの目に肩を竦め、小さく笑った。
荒い呼吸音が足元で響く。それに勝る、低い地面を這うような声が陽月に問うた。
「…何してやがる」
「え? ああ、ちょっと、かわいそうだなあと」
笑いながら言った彼は刀を引き抜き、鞘に納めた。男はいよいよ手足を痙攣させ、土方は眉を寄せる。どれだけ鬼だなんだと言われた所で、やはり誰もが人なのだ。
陽月は両手を合わせ、呟いた。
「人を殺すのは、いつだって人の意思だ。この時代はそれに縛られて、身動きできずにただ狂気と正義と嘘っぱちが広がっている。――彼のしたこと、俺のしたこと、あんたらのしたこと。全てが等しく正義であり、嘘でもある」
彼は祈るようにあわせた両手を膨らませ、その隙間を通すようにふっと息を吐く。
耳元で、葉の落ちる音がした。
「見ていたものが、正しいと信じることだけだ」
陽月は右手を伸ばし、何かを掴む仕草をする。ぐ、と手に力をこめ、拳を翻して指を開いた。
「俺には到底、持てそうにもないな」
「……ぁ、」
男の動きがぴたりと止まり、開かれた両目はゆっくりと閉じられる。黒の髪が風に靡き、彼の表情を覆い隠した。
どこから流されてきたのか、黄色の紅葉がひらりひらりと舞い上がりながら虚空へ消えていった。
「…副長」
草葉の陰より現れた二人に、土方を見遣ることなく淡々と死体処理の命を下す。体格の良い男が彼を担ぎあげると、釣り目の青年が陽月をにらみつけた。その視線に気付いた土方が息を吐き、腰に置いていた腕を組む。
青年は目を閉じて会釈をすると、再び闇に紛れて去っていった。
敵陣に単身で突っ込み、たった一人孤独に毒殺されるというのは、いったいどれほどの苦痛だろうか。
陽月は重たげに縁側に腰を下ろし、睨みあう二人を見上げた。
「勝手なことしてんじゃねぇよ。アンタ、何のために"総長"やってんだよ」
「私は、最終的に新選組のためを思って――」
「ならどうして手を組むような真似をした。 俺は、山南さんには、」
「彼女がどちらか分からないと、曖昧な返答をしたのは貴方のほうですよ、土方君」
静かな沈黙が二人の間を流れ、決して穏やかとは言えない空気が漂う。土方は山南を見据え、山南もまた土方を見据えた。無言の腹の探り合いは周囲に鋭い気配を撒き散らし、しかしそれはどちらかの溜息によって打ち切られた。
黒い髪が風に浚われ靡き、眼鏡の縁を撫でるように月光は降り注ぐ。
「…兎に角。山南さん、勝手な行動は謹んでくれ」
「……そうですね、仕事をこなせる身体ではないのですから、やることすらありませんでしょうし。ここは大人しく、指示を呑みましょう」
にこりと彼は微笑んだきり、踵を返して縁側をあがって奥へと消えた。足音だけが微かに聞こえるも、それも自然と闇夜に溶ける。
残された二人は何を話すわけでもなく、向かい合いながらも別々の場所に、考えに思いを馳せていた。
「偽り続けることを望んだのは、お前か」
肉厚な葉が陽月の足元に落ちる。それを拾い上げ指先でくるくると遊んでいれば、土方は足音を響かせながら彼に近づいた。彼は葉を取り上げると、音を立てて握りつぶす。
「新選組を使って、近藤さんを上に押し上げるためならなんだってやる。それが俺の信念だ。邪魔する奴は誰だろうとぶった斬る」
「――俺は、彼奴の傍で、生きてなきゃなんない。だから俺はここにいる。あんたの言う新選組やらなんやらなんて、本当はどうでもいいが…。彼奴が殺されるようなことがあるってんなら、俺はいくらだって刃を向けるぞ」
「なら今ここで、俺たちを殺すってか」
ばらばらに千切れた葉が陽月の頬を掠める。一瞬強く吹いた風が砂埃と共にそれらをまきあげ、土方は思わず目を細めた。
彼はよいしょと声をあげながら立ち上がり、懐に手を突っ込んだ。
「殺すわけない。無節操に人間斬り殺してたら、俺だって鬼になりかねないしな」
「てめえ、」
「俺がこの時代を好きなのは、あんたみたいな奴がたくさんいるからだ。俺は誰かさんみたいな理想論なんざ吐かねえけど、希望論くらいはもっててもいいような気がするんだ」
陽月は草履を指に引っ掛け、ぶら下げながら歩き出す。後ろで名を呼ぶ土方に、そういえばと首だけ捻って笑った。
「見知った人間が血塗れで死んでることほど、怖いものはない」
俺も名前も、あんたでさえも。
小刻みに震える戸の音が響いた。広間の行灯の炎は疾うに消え、夜の暗闇が襲い掛かる。
土方は重く溜息を零してから、遠くで聞こえる泣き声に目を逸らした。
「…言われるまでもねぇ」
噛み締めた奥歯が、軋みをあげた。
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