未来はいつも
池田屋の事件以来、私には外出許可を出される日が段々と増え始めていた。どうやら土方さんが、池田屋事件での働きを認めてくれてのことらしい。
――大したことなど何もしていない。
それに何より、大して何もしていない私、が未だ外出など――討ち入りを除いて――したことのない名前君より先に巡察に何度も出かけられているということがとてつもなく申し訳なくて辛かった。
確かに、外に出られる機会が増えたことはただ素直に嬉しいと思える。それでも、巡察を終えて屯所に帰るとき、一瞬だけ足がとてつもなく重くなるのだ。
名前君は、きっとそんなこと気にするなって笑ってくれるんだろう。
だからって、それに笑って甘えてしまってもいいのだろうか。
もやもやとした心は晴れることはなくて、ふと、頭の隅でついこの間起きた長州襲撃の事件が蘇った。
彼女の頬を這う冷たく光る涙を、私は初めて見た。
あんなにも意地っ張りで弱さなんて微塵も見せてくれない彼女が、私の目の前で涙を流したのだ。重く鉛のように積み重なる苦さを、私が隣にいることでただ増やしていくばかりだったのではと。
殺意のこもる相手の前で彼女の背に追いやられるたびに、この両手の愚かしさを突きつけられてゆく。
名前君の手を汚させてしまった私は、きっと、とても醜いんだね。
「…どうかしたのか、千鶴」
「――っえ?」
頭上から聞きなれた声がした。見上げれば、原田さんは心配そうな顔をして覗き込んでいる。私は笑って、首を横に振った。
「何でもないですよ、ただ…」
「名前の事、か?」
「っ」
やっぱりな、と原田さんはため息混じりに呟いて、後ろにいる隊士達を一瞥する。そしてもう一度視線を前へ向け、少しだけ目元を鋭くした。
「…土方さんも土方さんだよな。もう、許可出してやってもいいんじゃないかと俺は思ってんだけどよ――。
どうも……いや、んでか特に山南さんの目が厳しくてな。――あの人のことだ、また良からぬことでも考えてんじゃねえかって…疑っちまう」
ぼそりと後半は私にも聞き取れないほど小さく呟き、空を仰いだ。日々の平穏さを押し付けるように晴れ晴れと遠い、青く澄んだ空がそこにあった。
「山南さん、怪我しちまってから、随分と変わっちまったしな」
原田さんがこんなことを言い出すくらい、私から見ても最近の山南さんは酷く危うい。自然と――ううん、もしかしたらこれも土方さんの命令からも知れないけど、皆の目も以前より少しだけ厳しいものへと変っていた。本当は多分、その奥に何か秘密があるみたいだけれど、私にはそれが何だかは分からない。
私が俯いていれば、さっきより明るくなった声音で原田さんは話しかけてくれた。
「ま、大丈夫だろ。あんまり気にするな、千鶴。彼奴のことは、俺や平助とかに任せとけ。――お前は、いつもずっと笑ってろ。それだけで十分だ」
「…はいっ!」
顔を上げて勢いよく頷き、原田さんにつられて私も笑った。すると、視界の端に見慣れた浅葱の羽織を見つける。
「永倉さん!」
彼は、私たちとは別の道順で京を巡察していた。私は先ほどの話は、原田さんとの話、と分けて頭の隅に追いやり、彼――永倉さんの隊へ歩み寄った。
「よう、千鶴ちゃん! 親父さんの情報、何か手に入ったか?」
永倉さんの問いかけに私はふるふると首を振る。
「今日は、まだ何も」
「…んな暗い顔すんなって! 今日は駄目でも明日がある。そうだろ?」
「はい」
明るい口調で紡がれる言葉に、元気を分けてもらえた気がする。原田さんは少しだけ真面目顔になって、永倉さんの隣に立った。それに永倉さんも口角を少しだけ下げる。
「で、新八。そっちはどうだ? 何か異常でもあったか?」
「いんや、何も。……けど、やっぱり町人たちの様子が忙しねぇな」
私は彼の言葉に少しだけ周りを見渡し、今さっき歩いてきた風景を思い浮かべてみた。――そう言われてみると、確かに町の人たちの様子は少し可笑しい。なんだか、そわそわしてるみたい。
「そういえば……、引越しの準備してる人も多かったですよね」
そう言っているそばから、暖簾を畳み始めている商人の姿を見つけた。
原田さんは納得したように頷く。
「戦火に巻き込まれまいと、京から避難し始めてるってことか」
「え……?」
私は原田さんの言葉の意味が理解できなくて、聞き返す。それには永倉さんが「そういえば教えてなかったな」とその言葉に説明を加えてくれた。
「長州の奴らが京に集まってきてんだよ。その関係で、俺らも警戒強化中ってわけだ」
「池田屋の件に、この間の件で長州を怒らせちまったからな。仲間から犠牲が出れば、黙ってられないだろ? ……このあいだのは、本当に不意打ちみたいなもんだったよな」
最後の一言で、永倉さんの顔は一気に顰められた。
「あぁ。お蔭で屯所は数週間使えず仕舞い。土方さんのお怒りは上限際を移動中、当てられる俺らの気持ちを分かってくれよなー」
「そういやぁこの間、新八は廊下の雑巾がけ、平助は隊服の洗濯だったな」
笑いを耐えながら言葉を発し、永倉さんは腕組みをして溜息を吐いた。目だけは京の町を映しながら、薄く開いた唇からは不安げな声音をチラつかせる。
「…彼奴、まだ目ぇ覚めてねーんだろ?」
「……俺たちが屯所を出てきた頃は、な。今朝辺りじゃ、熱は大分下がってたから大丈夫だろ」
病み上がりで無理をしたせいか、それとも心労のせいか。――おそらくはその両方のせいだろう、彼女はあのあと高熱を出して今朝方巡察に連れられるまで目を覚ましてはくれなかった。
「そういえば、沖田さんが今朝名前君のお部屋に入っていくのを見ましたよ?」
私が今朝の記憶を手繰り寄せて、一番珍しかった事を言ってみると、二人はまさしく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。見開いた目をゆっくりと下げながら、原田さんは止まっていた歩みを進める。
「…総司も、何を考えてるんだか」
「総司があんなにも他人を気に掛けてる姿は珍しいよな、今日は雨が降んじゃねぇか?」
ケラケラと笑いながら永倉さんは原田さんの横を歩き、私は一歩後ろを下がって歩いていた。原田さんはそれに口元を歪ませて、
「おいおい――」
そのあとも何か言いたげだったけど、そこで口を噤んで私を見た。
「…? 何でしょうか?」
「…いや、何でもねぇよ」
原田さんは口を濁して、すっと前を向く。そんな彼に私は首を傾げながらも、詮索するのは止しておいた。
私は先ほどの話を思い出して、少しだけ不満を漏らす。
「…新選組の人は命を掛けて京を守っているのに、どうして長州の味方をする町人は絶えないんでしょうか…」
私が口にしたその不満を永倉さんはあっさりと笑い飛ばした。
「京の人間は、幕府嫌いだから仕方ねぇって」
「どちらにせよ、俺たちは俺たちの仕事をする。長州の連中が京に来ても追い返すだけさ」
現状を事実として受け止めて、それに対する不満を言わない。そんなところが、二人とも凄いと思う。
「対長州か。もしかすると近いうちに、上から出動命令が出るかも知れねぇな」
新選組が言う上とは、会津藩だ。私は少し考えてから、
「それ、すごいことですよね?」
私が尋ねれば、原田さんも笑って頷く。
「そんな機会、滅多に無いだろうな。折角だから、お前も出てみるか?」
「えっ!?」
出るって――。
新選組として、出動するという意味だよね。私が出たいなんて言っても、簡単に出られるものじゃないと思う。
でも、近藤さんや土方さんたちは、新選組の代表として参加するんだろうな。
「んー……」
戦場になるかもしれない場所に、物見遊山で参加するものではないと思う。でも、みんなと一緒に何かをしたい、という気持ちも強い。池田屋のときみたいに、私でも何かお手伝いできるのかな。
だけど――。戦場に出るのはまだ怖い。
新選組の隊士でない私が、そんな晴れ舞台に参加するのも気が引けた。
それに。名前君の顔が頭をちらつく。まだやっぱり、外に出る、ということに対して感じている部分があるんだと思う。
だから私は、原田さんの誘いに首を横に振った。
「私は――素直に、お留守番してます」
そうか、と原田さんは答えて、
「…まだ少し、気になるんだろ?」
「――はい、少しだけ」
私たちの会話に永倉さんは首をかしげて「何の話だ?」と聞いてきた。それに原田さんは微笑して、永倉さんのお腹を肘で突く。
「何でもねぇよ」
「んだよ!」
彼は不満げにそう漏らして、皆で笑いながら私達は帰路に着いた。
屯所の門を潜り引き戸を開ければ、そこに見慣れた二人を見つけた。彼らは帰ってきた私たちに気づくと、にこりと笑って出迎えてくれる。
「おかえり、千鶴ちゃん左之さん。あ、永倉さんも」
ひらひらと手を振って笑う名前君は少し目元が腫れぼったく見えて、まだ顔色も青いように見えた。それは隣にたつ沖田さんの着物が赤いせいなのかもしれないけれど、でもやっぱり彼女の笑い方がどことなく疲れているように見えた。
「ただいま、大丈夫?」
そんな言葉に、意味があるわけないと知ってはいるけれど。ほかにかける言葉も思いつかなかったから。ちらりと盗み見た原田さんは少しだけ難しい顔をして、後ろに下がっていた永倉さんが身を乗り出す。
「おいおい、なんだ俺は序か」
「え、そんな自分を卑下しないでくださいな」
「お前がそんな言い方したんだろ!」
はははと口を開けて笑う名前君はいつもどおり飄々としていて、私に視線を移すと目を細めて包帯に巻かれた左手で頭を撫でる。ふわりと、血のにおいがした。
「ありがとう、もう、大丈夫だよ。ごめんね左之さん。一週間も寝てたって、聞いた」
「早朝の巡察も、お前がぐーすか寝てやがるから何度たたき起こしたくなったか」
くくくと笑って草履を脱ぎ、肩ごしに「良かったぜ、目が覚めてて」と呟いた声を聞いた。それに名前君は眉尻を下げて笑い返し、また冗談っぽく「金平糖は?」と問いかける。原田さんは苦笑いをこぼしながら「そんな金ねえよ」なんて彼女の額を指で弾いて歩き始めた。
隣にたつ沖田さんは、原田さんの腕を掴んで引き止める。耳元で秘密の話でもするみたいにこそこそと話された会話を、永倉さんはまるで背の後ろに隠すように立ち私と名前君の頭を掻き撫でる。
「ほら、病人はまだ寝てろよ。なんなら俺が子守唄でも歌ってやろうか?」
「やだ、永倉さんのじゃあ目が覚めて寝られないよきっと」
「この俺の美声をなめんなよ」
ぶっと吹き出した彼女の首を締め上げるように腕を回した永倉さんの頭を原田さんが叩いて止めさせ、土方さんに報告をしてくると告げて二人でいなくなってしまった。
沖田さんはくるりと私に向き直り、さ行こうかと先を促す。
「綱道さん、何か進展あった?」
「…いいえ、なにもありませんでした」
「そう」
彼は短く言葉を切って、それから顎を上げて遠くを見ていた。何かを見ている、というよりはむしろ何も見ていなくて。私の隣にたつ名前君を見て、すぐに目をそらした。
(…遠い)
もしも。人の心がわかるのであれば。こんな思いなんてしなくて済んだのに。
そんなくだらないことを考えてしまう自分が嫌になって、頭を振った。
彼女の視線は、ただひたすらに。
沖田さんを、見ているような気がした。
沖田さんを、睨んでいるような気がした。
その奥にいる、誰かを見ているような気が、した。
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