来はいつも

揺らぐ青白橡色の声 3 / 4


やはり体調が優れなかったのだろう。その後の夕餉に、彼女の姿はなかった。
原田さんと土方さんもおらず、永倉さんと平助君のいつものおかずの争奪は少しだけ元気がなかった。いつもより静かな食事だななんて思いながら、私は茶碗に盛られた白米を口に運ぶ。

きっと、明日になればちゃんと熱も下がって、私の前のこの空席は、埋まっているはずなんだ。

――翌朝、そんな淡い期待を裏切って、この空席が埋まることはなかった。
それどころか夕餉にも顔を出さず、すれ違った土方さんに言われた言葉は「しばらく彼奴の部屋には行くな」の一言で。どうしてですかと思わず聞き返してしまった声に彼は答えるわけでもなくもう一度念を押すと、そのまま自室にこもってしまった。
なにか伝染病にでも罹ってしまったのだろうか。そうなれば、一応医者の娘である私ではだめなのだろうか。――でもきっと、病ではない。
どこから湧いたのか、根拠のない自信はなおさら疑問を募らせる。

そんな遣る瀬無い思いを抱えたまま、数日が過ぎた。



「お薬の準備が出来ました」


お盆に乗せた熱燗と薬をこぼさないように広間へ運ぶ。薬は土方さんの生家で作られている石田散薬といわれるもので、名前君曰く苦いだけで効果はないとのこと。――流石に効果がないというのは言い過ぎだとは思うけど、本当になんでも効くのかという点に関してだけは確かに少し首を傾げてしまう。あと、斉藤さんはこの薬の狂信者であるということも教えてもらった。彼女が言う言葉は信憑性があって、時々笑えない。


「総司と平助に渡してやってくれ。……それから、山南さんと名前にもだ」


それに山南さんは意外そうに目を瞬いた。



「おや、私も呑むんですか? 私の傷は、もうふさがってますよ?」
「試してみましょうよ、山南さん。この薬って何にでも効くらしいですから」


沖田さんが取り成すように言うと、山南さんは諦めたように薬へ手を伸ばす。
山南さんの傷はほとんど治りかけている。でも、その左腕は思うように動かないままだ。――もう元に戻ることはないと、みんな気づいてはいるんだと思う。それでも、たった少しの希望でもそこにあるのであれば。
私には、刀を失う気持ちの全てを理解できるわけではないけれど。自分の居場所や存在意義が消えてしまう切なさや痛さは、わかる。
私が山南さん、沖田さん、平助君の順に渡して最後に名前君の前に座れば、彼女はどこか違うところをぼうっと眺めていて私に気づいてもいなかった。
隣に盆を置き、あのとそっと声をかける。彼女はびくりとそれはもう私もびっくりしてしまうほど驚いて肩を震わせるから、裏返った小さな声を上げてしまった。


「っびびび、びっくりした…!」
「わ、私こそそんな、びっくり…!」


名前君はへらと笑って「ごめんね、考え事してた」と一言いうと、盆の上の熱燗と散薬を両手に持つ。口の中に白いさらさらとした薬を放り込んで一際嫌な顔をして、全部飲み下すようにごくごくと喉に流し込んでいた。


「苦い苦いし美味しくないまずい苦い」
「…良薬は口に苦し、だよ名前君」


むうとうなって未だ口のなかに苦さが残るのか、最初に配っていたお茶を小分けして口に含む。私はその様子が幼くて、ついふふと笑みをこぼした。


「石田散薬は熱燗で呑むのが粋だよな。羨ましいぞ、おまえら!」
「羨ましいなら呑めばいいじゃん。新八っつぁんだって本当は怪我人だろ?」


同じく彼も池田屋で負傷したのだけれど、本人曰く完治済みだと言い張って普段通り巡察や稽古に出ていた。それでもまだその傷口は痛々しくて、男の人の、というより永倉さんの我慢強さに驚くばかりだ。
それから彼らは池田屋事件を振り返りながら、各々の思いを語っていた。
私はあの日のことを、あまり思い出したくはなかった。血のにおいも、倒れこむ血まみれの人の山も、あまりにはっきりと頭の隅に居座っているから。
私は内心耳を塞いで、もう一度名前君を見た。


(…また、だ)


また、遠い。どこを見ているのかも、何を思っているのかも考えているのかも、全部何一つ教えてくれない。わからない。


「そういやあ、池田屋っていったら名前大活躍だったよな」
「――…え?」



突然名を呼ばれて平助君の方に向き直る彼女の目は、どこか虚ろだった。膝の上で握った拳に、力が入る。
脳裏で、痛みと熱に喘ぐ名前が過ぎった。


「すごかったって、聞いたぜ新ぱっつぁんから」
「なんてったって斬られたって立ち上がったんだからな、かっこいいじゃねぇか」


私が斬られたのでもないのに、あの傷を思い出して背中がずきりといたんだような感じがした。二人はなんの気なしにそんな会話をしているけれど、名前君は傷ついていないだろうか。彼らと彼女は、違うから。

ちらりと見て、はっとする。


「…本当に、死なないかもね」
「っ、な」


平助君が弾かれたように顔をあげて、名前君を見つめる。
その目はゆっくりと閉じて、もうなにも見ていなかった。


「――会津藩から伝令が届いた」


突然襖の奥から顔を出した近藤さんが、眉間にしわを寄せて一言。それは広間の空気をがらりと一変させ、どこか嬉しそうにも感じた。


「長州の襲撃に備え、我ら新選組も出陣するよう仰せだ」


嬉々とした声に混じって、近くで声が落ちる。低く低く、ぽつりとこぼれ落ちた声は、震えていた。


「……禁門の、変」


その言葉をかき消すように、永倉さんの声が響く。ぴったりとくっついて閉ざした唇は、声の上げ方を忘れているように。なにも紡がない。


「ついにきたか! 待ちかねたぜ!」
「残念だったな、平助。怪我人はさすがに不参加だろ?」
「えー!? でも、折角の晴れ舞台じゃん!」


平助君は微かな望みを託すように、土方さんへ視線を向けた。しかし、そんな希望も虚しく。


「不参加に決まってんだろ。大人しく屯所の守備に就きやがれ」


当然だろうとでも言うように、望み諸共一刀両断された。


「うっわ……。土方さん、鬼! この鬼副長ー!!」
「何だ、褒めてんのか? 簀巻きにされたくなきゃ黙ってろ」


ぴたりとやんだ非難の声に、苦笑いが漏れる。土方さんならば、けが人だろうとなんだろうと本当に簀巻きにされかねない。
けが人は足で纏いなんですと告げた山南さんの自虐的な台詞に、平助君はしょんぼりとして肩を落とした。どうやら沖田さんも屯所で待機になるみたいらしい。


「あの……。私も、屯所待機ですよね?」
「ああ。平助と総司が駄々をこねんよう、見張っておいてくれ」


そういって、近藤さんは笑った。頷かれる事は、もちろんわかっていた。
刹那静けさが通り過ぎ、土方さんは懐手して名前君を見遣った。


「……お前は、ついてこい」
「…はい?」
「もう一度言わねえと、理解できねえか?」


意地悪な土方さんの言い方に、名前君はむっとして薄く唇を開いた。ずっと閉ざしていたからか、少しだけその声は掠れていた。


「…理解と、納得は違うと思いますけど」
「異論は、認めねえ」


頷くこと以外、何も用意されてない。彼女は渋々声もなく頷き、また目を閉じた。
土方さんが連れて行くと決めた決断に、必ず理由がある。それがわかるからこそ誰もなにも言わず、言えなかった。
平助君が少しだけ引きつった笑顔を浮かべながら、


「い、いいなあ! せっ折角だしオレの分まで活躍してこいよ!!」
「――そうだね、頑張っておいで」


二人の言葉に名前君は苦笑いを一つして、首をかしげた。


「うん、頑張ってせめて一人分の役割、果たしてくるね」


それを最後に、全員広間をあとにする。廊下では身支度に急ぐ隊士たちが歩き回っていた。
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