未来はいつも
本当は部屋にいたほうがいいのだろうけれど、どうしても気になってふらふらと廊下を歩いていた。隊士の邪魔にならないよう、隅の方で丸くなっていた。ちょうど平助君も通り過ぎ、一緒に縁側に足を放り出して並んで腰を下ろす。
「名前君、何だか様子がおかしいよね」
「ああ、ここ数日、オレも名前に会えなくってさ。何か、土方さんに近藤さん、山崎君辺りで何かこそこそ隠し事してるみたいなんだよなー」
「近藤さんが、何を隠してるって言うの?」
「うわっ!!?」
「お、沖田さん!?」
そっと私たちの間に現れる第三者、沖田さんはにっこりと怖いくらいの微笑みをたたえている。私たちは少し奥まったところへ移動して、井戸端会議でも始めるように輪をつくってこそこそと話す。
「それで、近藤さんが何を隠してるんだって? 山崎君まで巻き込むなんて、結構大事みたいだね」
「…オレだって噂だよ。総司だって、この前まで名前に会えなかったじゃん。何か、」
「――っ!!!」
平助君が不意に話すのをやめて、眉間に皴を寄せる。私が首を傾げると、今度は沖田さんが声音を低くして話す。
「この声」
「みたいだな」
「え、なんのはな――っ」
「で……土方さん――!!」
漸く私にも聞こえたその叫び声は、紛れも無く名前君の声だった。私たちはゆっくりと前進して廊下の突き当りを右に曲がり、人気の少ない屯所の奥へと足を運ぶ。薄暗い奥の廊下に、二人の姿を見つけた。手前の物置に身を滑り込ませ、わずかに開けた襖の隙間から聞き耳を立てる。
――盗み聞きなんて、趣味が悪いけど。
それでも、あの声は張り裂けそうに掠れていたから。少しだけ後ろめたさを抱えながら、目を細めて二人を見つめる。
「俺だって、わからないって言ったじゃないですか。それに、俺よりも詳しく陽月から聞いてるんでしょう」
「お前が決めることじゃねえ」
早口になっていきり立っているのがわかる名前君の声が、あまりに冷淡で冷静な土方さんの声に押される。誰かの、生唾を飲む音が聞こえた。
「他人に深入りされたくない、分かってもらおうなんて思いたくもない!!」
聞いたこともないような声で叫び散らす。今にも壊れてしまうんじゃないかと思うほど震える声を、一蹴する声がもどかしい。どうしてそこまで追い詰めなくてはいけないのと飛び出して叫んで問い詰めたい。ぐ、と両手を膝の上で握り締めた。
「てめえの立場を考えろ。必要がねえんだったらわざわざ聞かねえよ。――続きはあとだ、支度しろ」
そう言い捨てて早々に踵を返す土方さんに隠れるように、私たちは影に隠れる。ちらりと隙間から見えた彼の表情に、三人で思わず顔を見合わせた。
ひどく、焦ったような、彼らしくもない表情。
遠のく足音に、私たちはもう一度隙間に近づいた。
「……っなんで」
壁に背をもたれ、ずるずると床にしゃがみこむ。両膝を抱えて彼女は左手に作った拳を床に叩きつけようとして、やめた。
強く握りすぎた拳は白くて小刻みに震えながら指先を開く。爪の先には、わずかに赤い色が残っていた。
「名前、君」
「なん、で……まだ、」
鼻の啜る音の合間に聞こえる、詰まる嗚咽の声。
私が襖に手をかけたところで、沖田さんが手首を掴んで止めた。唇を横に引いたまま振り返れば、彼の翡翠の瞳が心なしか揺らいでいる。だから、手を振り払うことも何か言うことも、できなくて。
「…あ、きら」
ぽつりとこぼした名前に、その双眸は私にもわかるほど揺れた。平助君の驚く視線にも気づいているのかいないのか、ただまっすぐに隙間の向こうを見つめている。
――その名前は、誰のもの?
「…なんで、おれ…は」
声が、切れる。
「ころ、し…て……っ」
軋む音がした。静かな廊下に涙声だけが反響して、ゆっくりと無色の空気に溶けて広がる。
その腰にぶら下げる刀の重さを、私には知ることができないのに。それでどうして、あなたに何を言ってあげられるのだろう。
沖田さんは目を瞑り、息を吐く。物置特有の重苦しいにおいと空気が、両肩に伸し掛ってくるような気がした。過呼吸のように切れては息を吸って吐く音は苦しそうで、私まで胸の奥がつっかえて苦しくなった。
平助君が何かを呟こうとして、顔を伏せる。
外では出陣に備え増える人の足音ばかりが聞こえた。それでもまだうずくまったままの名前君は、もぞと身動ぎする。這い出すように両手を前について、ふらふらしながら立ち上がるその姿が、さっきよりも小さく見えた。
何度も目元を袖で拭い、ようやく動き出した。それは、土方さんの呼び声がどこからか響く少し前のことだった。
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