未来はいつも
ここ最近のあらましとしては、先日の池田屋事件において尊皇攘夷派の藩士たちを襲撃し、残った長州藩士が京に上り詰めて新選組屯所前で武力衝突、そして現在蛤御門付近にて入京を試みる長州藩と会津藩がにらみ合っていた。俺たちは会津藩からの要請を受け、緊迫状態が予想される奉行所へと急いでいた。
しかしそこでは所司代を受け持つ桑名藩と守護職の会津藩との仲の悪さの所為か、伝達不良のために新選組は文字通り門前払いを喰らう羽目となる。
「肩身が狭いんですね、新選組は」とぼやいた俺に、隣に並ぶ原田は苦い笑みを浮かべ少しだけしょんぼりしたような残念そうな面持ちでそうだなと呟いた。
仕方なしに会津藩の設営する陣を探し、会津藩邸の役人より九条河原へ迎えとの伝令を受けた。
新選組が九条河原へ着いた頃、あたりは夕闇に包まれ始めていた。橙から薄紫に染まる空は反物のように透明で思わず見上げてしまうほど綺麗だった。ぼうっと俺が眺めていれば斎藤に肩を叩かれ、我に返るとすぐさま列の間に体を滑り込ませて、土と石と根が絡まって悪くなった足場をひたすら小走りで進む。
――やはり九条河原で待っていたのは苛立ちの種でしかなかったようだ。
「 新選組が我々会津藩と共に待機? そんな連絡は受けておらんな。すまんが藩邸へ問い合わせてくれるか」
今来た道を再び引き返せとなんとも腹立たしい進言をする会津藩士に、とうとう堪忍袋の緒が切れた永倉が静かに声を荒げた。
「――あ? おまえらのとこの藩邸が、新選組は九条河原へ行けって言ったんだよ! その俺らを適当に扱うってのは、新選組を呼びつけたおまえらの上司を、ないがしろにする行為だって分かってんのか?」
まくし立てる彼の言葉に言葉を詰まらせる会津藩士に、近藤は責任者に取り次いでもらうようそれはもうおおらなか笑顔で申し出る。ああやっぱり人柄というものは表情ににじみ出るものなんだなあとつくづく思う。
今後の動きやら何やらで会津藩士と会議をしに行った近藤たちの背を見送り、ひとまず動き回り続けた足を休めることとなった。とはいっても緊張状態は未だ継続中ではあるので、変わらず張り詰めてはいるが。
――松明の明かりがぐらりと風に揺れる。それのせいであたりは薄く煙が立ち込めて、俺は思わずくしゃみをした。これが現代っ子と江戸時代っ子の差なのだろうか。煙や薄暗さに強いという概念は、意外と間違いではないのかもしれない。あくまで主観的な話ではあるが。
「名前、もう大丈夫なのか?」
「何がです?」
「何がって、熱諸々に決まってんだろ」
ああ、と俺は足元の小石に目をやりながら、ぼそとつぶやく。
「…全然、大丈夫ですよ今は」
「そうか、土方さんが別室連れてくもんだから、伝染病にでもかかったのかと思ったぜ」
俺が目を覚ましたあの日の夜。俺はどうやら土方によって別室に移されていたらしい。――らしい、というのは千鶴を出迎えたあとまた体調を崩し、それ以降数日記憶がすっかり抜けてしまっているからだ。その間の記憶が一切ないことよりまたずっと眠りこけていたのだろうとは想像がつくが、どうにも紙一枚分僅かな違和感がそこにあった。
「…別に伝染するような病気にかかったわけじゃないのに、なんでわざわざ部屋を…」
「まあ、確かに今更だけどよ」
「――全然、あの人の考えてることが、わからないんですけど」
奉行所に出立する直前のこともそうだ。平成の世からこの時代に飛んできましたなどとは口が裂けても言えないが、今亡き幼馴染である光のことや陽月のことについて執拗に問いただしに来るのだ。光については俺の口から話したのは沖田にしかないが、多方陽月が話したのだろう。
――話されて困ることは、ない。ただそこに確かに存在していた空気や想いや言葉のどれか一つでも誰かに教えてしまっては、いけないような。そんな気を感じていることや、何より何人たりとも触れられたくないものというのは誰にだってあるはずだ。土足でづかづかと我が物顔で踏み込まれれば、誰だって全力で追い返したくなるはずだ。
自分に紛れもない懐疑の目が向けられる理由はわかる。そのために問われる言葉の意味も、理解できる。でも、本当は。
(…結局は、)
後ろめたくて振り返りたくなくて抉られたくなくてそっとしておきたくて。
まだ鮮やかに明確な痛みをもって頭の奥に居座っているから。
「……名前」
「――っえ?」
考え事にふけっていれば、原田が何やら話していた言葉を止めて俺の名を読んでいた。はっとして彼を見上げれば、少しだけ渋い顔をしてため息をつく。
「彼奴の姿も、ねぇしなって話」
「うん、やっぱりいないよね」
まだ少し蟠りがあるのか、陽月のことを名前で呼ぶことは少ない。子供みたいですねと茶化せば、そんな単純なもんじゃねえと唇を尖らせていたのはまだ記憶に新しい。
俺はあたりをふらと見渡して、陣営の向こう側から戻ってくる人影から目をそらした。
「…俺、どうすればいいんだろう」
足元に伸びる影が揺れる。暗がりに沈む空には、何も浮かんでいない。
俺は井上の報告を聞くふりをして、腰に下がる刀の柄頭を意味もなくいじっていた。
池田の一件以後、俺が腰にぶら下げていようとなにも彼は言わなくなった。取り上げることももうしない。それは自分を信じてもらった部分があると自負してもいいところであるのか、それとも試されているのかと勘ぐるべきなのか。正直やっぱり、
(…よく、わかんない人だなあ…)
ザァァと風が森のあいだを駆け抜ける。緑の肉厚な葉をさらい、生ぬるい温度で流れていく。
遠くで鈴の音が、聞こえたような気がした。
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