来はいつも

渇れた金糸雀色の景色 1 / 3


少し上の向こう側では、風が強く吹いていた。青に浮かぶ白さが瞬きをするたびに形を変えてたゆたい、視界の隅に消えていく。
障子から覗く世界は、どことなく他人事のように渇いていた。


「はあ…」


伏せられた瞳が、喉を裂くような叫びが、頭から離れない。


「溜息ばっかしてっと幸せが逃げてくぜ」


ひょっこり顔を出した藤堂は、にしと幼い笑顔を浮かべている。「なんて、彼奴なら言いそうだよな」とこぼすとそのまま縁側に腰を下ろした。千鶴はそうだねと笑い返して彼の隣に並んで座る。
夏風の湿っぽさが頬に吸い付く。盆地特有の暑さは、まだ少し慣れずにいた。


「なんかさ、こう静かだとここが屯所じゃねえみたいだよな」
「…この間のことも、全部夢みたい」


そうであればいいと、思っているだけで。確かに脳裏に居座り続けるあの血腥さも断末魔も、どれもこれもはっきりとした感覚を覚えている。
藤堂は少し気まずそうに、太ももの上に肘を突いて遠くを見ていた。その視線の先には、ここにはないものを写している。


「あれ、二人共なにしてるの」
「沖田さん」
「総司!」


ふらりと角から現れたのは、安静にしていろと置いていかれた沖田だった。胸に巻いていた包帯も取れ、足取りもしっかりしている。
彼は千鶴の隣に腰を下ろし、柱に身を凭れさせる。緩やかな微風が髪をなびかせた。


「…体調が万全じゃないときに、あんまり長く外に出るのは良くないですよ」


少しだけ青い顔をしていたから。覇気がない、というか、おそらくこれをどことなく元気がないという状態を指しているのだろう。
沖田は目を瞬かせて、笑った。


「心配してくれたんだ? ありがと。風に当たるのは程々にして部屋に戻るよ」
「…槍が降る」


ぼそりと呟いた声に、彼は笑っていた口元を更に歪めて、膝に頬杖をついて前かがみになると横目で藤堂を見やる。藤堂はびくりと引きつった笑みを返していた。
千鶴はそんな二人を眺めながら小さく笑って、立ち上がる。


「お茶でもお持ちしましょうか」
「いいよ別に、僕らに変な気を使わなくても」


気なんて使ってません、とむくれた彼女の袖を引っ張って彼は座ることを促した。
相変わらず静かな屯所には、三人の声だけが響いている。時折誰かの息を吐く音だけが嫌によく聞こえて、千鶴は少しだけ肩に力が入った。


「なあ、総司」


徐に声を上げた藤堂が、足を組んで上体を後ろに反らす。長く垂れた茶色の髪が、床の上で散らばる。


「……総司もなんか、隠し事してねえ?」


俺らにさ。彼の目は、遠くを見ている。天井のその奥の青さを映しているのかもしれない。


「総司"も"って?」
「あ、いや…土方さんとかさ」
「さあ? 生憎君の質問の答えになるようなものを知っているわけじゃないからね。平助君が知り得ないものは、僕も知らない」


ひどく退屈そうに、彼はあくびをする。日向ぼっこをする猫のように、目を細めていた。


「…沖田さんは、どうしてそんな無関心なふりをするんですか」


そう口をついてしまってから、後悔。彼女は慌てて口を両手で塞ぎ、しどろもどろに言葉を補おうとするも羞恥で何も出てこなかった。彼は僅かに目を見開いて、可笑しそうに笑った。


「あはは! 僕が、無関心なふり? どうして?」
「え、と…それは……その、」
「相変わらず面白いこと言うよね、君って」


その言葉はただの皮肉でしかなく、彼女は小さく顔を伏せた。無意識について出てきてしまった言葉の真意を、自分でも測りかねていた。
――彼は、彼自身が向けている視線の先にあるものを、自覚していないのだろうか。



「…今朝のことだって」


ぽつりとこぼした藤堂の言葉に、瞼が動く。それは言葉の裏側に隠していた姿をはっきりと明確にさせた。息苦しい声が、耳の奥で揺れた。


「聞かれたくねえ知られたくねえことなんて誰にだっていっぱいあると思うけど、なかったことになんて、なんねえのに」


あぶくが浮いた。口から空気が漏れる。千鶴は目を伏せて、沖田を見遣った。
彼は柱に頭をもたげさせ、目を閉じていた。眠っているようにも思えたけれど、わずかに皺の寄る眉間が更に深くなったので起きてはいるようだ。藤堂の言葉はまるで独り言のようで、ふわふわと空気に霧散する。
言葉の本意はそれこそ彼自身にしか知りえないけれど、恐らくそれは彼女自身もどこかで気づいてはいた。


「…"あきら"なんて、あんまりきかねえよな」


藤堂はいつだって自分の感情に真っ直ぐで、偽りがない。だからこその良さがもちろんあるけれど、今この場においてそれが正しいのかなんて少なくとも彼女にはわからなかった。


「…平助君や、千鶴ちゃんが僕に何を期待してるのかなんて興味もないけど、」


翡翠の瞳が、細められる。


「僕は、その人を知らない」


すっと立ち上がった彼は二人に背を向けてゆっくりと歩き始めた。総司、と呼ぶ藤堂の声に、何を言い忘れたのか立ち止まって振り向く。
――静かに、笑っていた。笑うというより、歪むに近いのかもしれないその顔は、何を表していたのだろう。


「お節介を焼くのも、程ほどにね」


千鶴はかっと熱くなった頬のまま思わず睨みつけた。睨むほど他意があったわけではないのだが。
沖田はひらりと身を躱し、じゃあねと一言残して去っていった。後ろの藤堂が間の抜けた声をこぼして、右手に握りこぶしを作った。


「――あいっかわらずわけわかんねーな総司は!」
「……ねえ、平助君」


今思えば、それは出会った頃から薄々と感じていたのかもしれない。


「私ね、近くにいたつもりだけど、なんにも知らないの。名前君のことも、平助君のことも、沖田さんも、…父様の、ことも」


何も知らないからこそ、その正体がなんなのかがわからなかった。


「千鶴、」


新選組に身を置く藤堂としては、何を言うこともできなかった。彼女に隠していることは山のようにある。これから知っていけばいいなどと、安易な言葉を吐くことすらかなわない。
知っていってしまっては困ることのほうが、寧ろ多い気がする。


「…難しいよな」


当たり障り無い言葉が果たして彼女にとって満足なのかはわからないが、それ以外に思いつかなかった。山南や土方のように柔らかければ、違う何かでもっと的確なことが言えたのかもしれない。
たら、れば、と考えたところで無意味なことなどわかってはいるけれど。


「…名前君は、一人で行ってしまうような、そんな気がするの」


どこか遠い人のように、感じる。
ざああと強く吹いた風の向こう側で、笑う子供の声が聞こえた。
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