未来はいつも
重たい打刀が擦れ合う音が響く。土埃が舞う中で、息の切れる音さえ聞こえなかった。
首を這う汗が気持ち悪くて袖口で拭っていれば、先頭切って走っていた土方が不意に手を挙げて足を止めた。後続もそれに続いて足を止めるが、明らかに血気盛んな集団の前方を塞ぐ無謀な人間に向かって血の早やるの抑えられずに刀を抜いた隊士が飛び出す。土埃のせいで悪くなっていた視界が晴れれば、道を塞いでいた何者かの異様さに気づいて顔が引きつった。待て、と土方の制止も虚しく、飛び出した隊士はその男に切り伏せられた。
「ぅぎあ゛ああ!」
「てめぇ、ふざけんなよ! ――おい、大丈夫か!?」
男の足元が赤く染まり、刹那の絶叫は永倉の呼び声とともに消えた。彼は隊士を抱き起こすも既に事切れ、だらりと垂れた腕から幾筋もの赤い生々しい血が這い地面に血溜りを作る。息を細々と吐いて殺気を滾らせる背後の隊士たちは、振り向かずとも皆柄に手をかけ今にも襲いかからんとしていることくらいは容易にわかった。
――土埃が舞う。砂の乾いた色にまじり陽光を痛いほど反射させるその金の髪は、この場においてとてつもなく不似合いで浮いていた。
「その羽織は新選組だな。相変わらず野暮な風体をしている」
羽織の裏に浅葱色を使うのは時代遅れなのだと、先日千鶴に教えてもらった。それには理由があるんだと苦笑した藤堂の顔も記憶に新しい。
彼は続けて新選組を煽るような言葉を吐き、嘲笑った。
「"腕だけは確かな百章集団"と聞いていたが、この有様を見るにそれも作り話だったようだな」
血の這う刀を薙いで鞘に納める。人一人斬り殺しておいて、あまりに事も無げに振舞うその姿が。目を細めて口角を吊る笑みが。一つ一つに確かな侮蔑が込められている。それは新選組、というよりはもっと大きな括りに対するもののような気もするけれど。
俺は砂で固まった前髪を解きながら、土方を見遣った。
――冷ややかに、怒っている。
左肩越しに感じる殺気は背後の彼らとは比べ物にならないほど鋭く冷たい。
俺は思わず息を詰まらせて、一歩引いた。
「池田屋に来ていたあの男、沖田と言ったか。あれも剣客と呼ぶには非力な男であったな」
す、とその双眸は確かに俺を見ていた。気づいている。変装もなにも、隠そうとする意思さえないのだから当たり前のことだが。
彼はく、と喉を鳴らして柄を手の中で弄ぶ。
「――総司の悪口なら好きなだけ言えよ。でもな、その前にこいつを殺した理由を言え。その理由が納得いかねぇもんだったら、今すぐ俺がお前をぶった斬る!」
「貴様らが武士としての誇りも知らず、手柄を得ることしか頭に無い幕府の犬だからだ」
怒っている素振りで、つまらなそうにしていた。声音も目つきも、その長州勢のために凄んでいるのに、中身はがらんどうで何もこもってなどいやしない。嘘吐き。尖らせた唇から細くこぼれた。
「敗北を知り、戦場を去った連中を何のために追い立てようと言うのだ。腹を切る時間と場所を求め天王山を目指した、長州侍の誇りを何ゆえ理解せんのだ!」
「戦いを舐めんじゃねえよこの甘ったれが。身勝手な理由で喧嘩を吹っ掛けたくせに、討ち死にする覚悟も無く尻尾巻いた連中が、武士らしく綺麗に死ねるわけねえだろうが!」
荒げた声が市街に響く。よく通るその声が身体の奥深くを貫いてぶるりと思わず震えた。
ふ、と小さく息を吐いて呼吸を整え、土方は顔を歪ませた。
「罪人は斬首刑で十分だ。自ずから腹を切る名誉なんざ、御所に弓引いた逆賊には不要のもんだろ? 奴らに武士の"誇り"があるんなら、俺らも手を抜かねえのが最期のはなむけってもんだろう」
とうとうと語る土方を、眩しいというのかもしれない。鈍く鈍く、痛い。
自分には持てない何かに憧れているからこそ、理想論ではあるけれどそれは歴とした現実を伴っている。まっすぐに目を向けるから、ついて行きたくなるのかもしれない。
亡骸を背負い今にも飛び出さんとする永倉の袖を掴み、見上げる。生気なく見開いたままの瞳と目が合いそうで、彼のはだけた胸元に視線を下ろした。
「行きましょう、永倉さん。ここは土方さんに任せて、俺たちは天王山へ向かうべきかと」
「名前」
彼は俺の言葉に暫しの思案を挟み、頷いた。
「土方さんよ。この部隊の指揮権限、今だけ俺が借りておくぜ!」
男を睨む土方は視線を外さずに、わずかに笑んだ。永倉は振り返り部隊に号令を飛ばして男のとなりを走り去る。もちろん男の目的は足止めであるだろうから、苦々しい顔をしてそちらに目をやった瞬間土方が斬りかかった。
「で、おまえも覚悟は出来てるんだろうな。――俺達の仲間を斬り殺した、その覚悟を」
キィンと甲高い音が反響する。続いて耳を突く鋼の擦れ合う音に鳥肌が立ち、俺は最後尾を走らんと後列について男の横を通り過ぎた。
不意に押された背中に、よろめく。間の抜けた声を発して地面に手を付いた。え、と振り返れば土方と距離をおいて且つ俺の横に立つ彼がいた。
「何故走れる。あれほどの傷を負い、痛みもないのか?」
部隊との距離が離れる。土方が険しい顔で見ていた。
「っあんたには関係のないことだ!」
砂を払って後方に飛び退き間合いを取る。じりじりとそのまま後退し、走り切ろうと構えていた。それなのに、どうしてか膝が笑うのだ。進みたいのに、足が動かない。気圧されているわけではないのに、恐怖も畏怖も抱いてはいないのに。
何に、一体怯えているんだろう。
「――名前!」
気がつけば震える右手が、わなわなと刀の柄に手を添えていた。土方の呼び声が頭の中で鈍器で殴られたかのように重く鈍く揺れる。
引き抜かれた刀身は陽の光を強く反射させる。ちかちかと視界の端でうざったく光っては揺れて、意識がふらふらと行き場をなくしていた。
「その刀、尚も血が足りないようだな。戦に飢えたか」
彼は嘲笑うように口角を吊り上げ、剥き出しの刃を握る。押しても引いてもびくともしない両手に汗が滲んだ。
ぽたり、ぽたりと滴る赤は鮮やかで、つきりと顳かみが痛む。
「何故、刃を握る。己のが身の程を知れ。我らが同胞というのであれば、女だてらに無意味に死に急ぐこともないだろう」
相変わらず俺の両手は眼前の四肢を切り刻まんと震えて、早く逃げたくてしょうがない足がじりじりと後退する。ちぐはぐな指令が余計ごちゃごちゃと神経で詰まって、噛み締めた下唇からわずかに味がにじむ。
脳内で響く声が。
ただただ、懐かしむように笑っていた。
――ィン。
「新選組というのは、死にたがりの集まりなのか?」
「安心しろよ、倒れんのは手前だけだ」
ぽたり、と最後の赤い一滴が落ちる。それを合図にするかのように、後方から追いかけてきたのか数名の藩士が砂埃を舞い上がらせながら男を呼ぶ。
「何をなさっているか、早くお戻り下され風間殿」
土方の羽織を見た瞬間顔を歪めた彼らは、感情を抑えて低く呼びかけた。風間と呼ばれた彼は心底つまらなさそうに静かにため息をつくと、するりと刃から手を離し踵を返す。駆けつけた藩士には一瞥もくれずに、土方を見遣って笑った。
戻 | 目次 表題 | 進