未来はいつも
空気が重苦しい質量を伴って両肩に伸し掛る。相変わらず呼吸もままならないまま、無言で前を歩き始めた土方の背についていくしかなかった。
道も険しくなり始め、周囲に鬱蒼とした木々が目立ち始めた頃。彼は唐突に、歩みを止めることなく口を開いた。
「池田屋の時の奴か…」
問いかけというより独り言に近いものではあったが、それでもその声は俺に向けられているものであるのは確かだった。隠しようもないほどに弾む呼吸の合間で、小さく返事をする。足元でうねる木の幹が、つま先に引っかかって俺は膝をついた。
――足が、鉛のように重い。現代っ子とはつくづく、利便性の高いものに依存し過ぎていたなあと頭の隅で懐かしくなって笑った。
土方は立ち止まり振り返って目を細める。
「既知か」
「お話…した、通りですよ。っはあ、あっちが勝手に、うだうだ言ってる、だけです」
木の幹に手をつきながら立ち上がり、膝の土を払う。深く呼吸を一つして、見上げた。
「俺は、居場所が、欲しいだけです。誰の意思なんかじゃない、俺は…」
「歩け、日が暮れる」
言葉を遮り、彼は再び前を向いて歩き出した。一瞬過ぎった苛立ちは、正当なものである。ぐ、と握り締めた拳に呼応するように、心臓が高鳴った。
「女といえど、このくらいの山道なら歩けそうなものだけどな」
「…悪うござんしたね、山なんて滅多に登ったことありませんし」
「別に責めてるわけじゃねえよ。立ち止まればその分、疲れんだろ」
思わず立ち止まりそうになって、一歩踏みしめる。足の裏で小枝がぽきりと折れた。
「…新選組は…土方さんは、近藤さんのために、歩き続けるんですか」
草木を掻き分け土を踏み、根を跨ぎ葉を踏む音ばかりが聞こえる。歩けば歩くほど足は重みを増し、立ち止まりたいと訴える。乱れる呼吸は、いつだって酸素を求めて喘いでいた。
「あの人を上に押し上げるために、俺はここにいる。そのためなら邪魔な者は誰だって斬り捨てる」
「…重くは、ないんですか。斬った分だけ、重くはないんですか?」
「――だったらなんで、お前は刀握ってんだ。重くて重くてしょうがねえなら、捨てちまえ」
「俺は!」
斬捨てた人間の顔は、もう覚えていない。――思い出したくないから、顔も見なかった。ただ、死に際だけは、はっきりと覚えていた。
死ぬ間際の声も、伸ばした手も、広がる赤も。
覚えている。それは、確かに、重かった。
「俺は…、」
「! 土方さんじゃねえか!」
なだらかな広がりが続く道に、浅葱の集団を見つけた。そこには永倉や島田の姿があり、全員無事のようだ。
その道の脇から出てきたということは、やはりあれは正規の道ではなかったのか。通りで険しいわけだ。ちらと盗み見た土方は流石と言おうか平然としていて、本日二度目の不満に息が漏れる。
「副長、それに名前君も! いや、姿が見えないのでてっきり――」
「すみません、皆さんより体力がないものでして…」
見栄を張って詰めた息のせいで、今にも噎せそうだ。早口に言葉を終わらせて、息を吐く。永倉は上の方を見遣りながら、腰に手を置く。
「上に行って見てきたんだけどよ、長州の奴ら、残らず切腹して果ててたぜ」
「自決か。敵ながら見事な死に様だな」
「あれ、いいんですか?」
敵は斬首で十分だと豪語した彼から出た言葉に、俺は目を瞬いて問いかける。彼はさばさばとした表情で「新選組としては良くねえよ。奴らに務めを果たせちまったんだからな」と答えてくれた。なんやかんやで、やはり真面目な人のようだ。潔さを潔しとするのに敵も味方もないと続けて話した言葉に、江戸時代的な寛大さと言おうか、人となりを教えられた気がする。
「斎藤たちが戻ってきてるはずだ。俺たちも引き返すぞ」
登ってきた瞬間再び同じ道を引き返すという精神的な苦痛は果てしなく大きい。顔に出てしまったそれを永倉に大笑いされながら、下り道の辛さに喘ぐこととなる。
(誰だ下りの方が楽とか言ったの…!)
あまりの呼吸の乱れ具合に何度か本気で心配げな永倉の視線を受けたが、笑って返す余裕もなく右手をひらひらと振って応えるので精一杯だった。
この事件は後に"禁門の変"と呼ばれるようになる。これを機に長州は朝廷に楯突く"朝敵"とされ、時代は更に激しさを増してゆくこととなった。
刀の鍔にこびりついた返り血が錆付き始めた頃に、嘲笑う影はひっそりと、不穏な音を引き連れて纏わりついてきていた。
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