未来はいつも
元治二年二月。京は相変わらず肌を刺すような冷たい風が吹き、新選組は相変わらず血気盛んであった。江戸へ新しい隊士を募りに行った近藤達は藤堂達を残して既に京へ帰ってきており、手狭な屯所はむさ苦しい隊士で溢れていた。すし詰め状態とはまさにこのことだと言わんばかりに、たまたま通りがかった平隊士たちの部屋は壮絶であった。
俺は今でも相変わらず原田と部屋を共にし、相変わらず自由の利かない日々を過ごしていた。それでも刀を腰に携えることや幹部の誰かしらが付いていれば屯所内をある程度歩き回れるほどには自由と言っていいかもしれないが。――そう考えると彼是一年以上は外に出ていないというのだから、改めて己の我慢強さに感嘆する。池田屋や長州攻めの件、蛤御門のことは数に入れないで。
「お茶が入りました」
そんなくだらないことを悶々と一人考えていれば、千鶴が大きな盆を手に広間に入ってくる。外から流れ込んできた冷気に身震いし、くしゃみをした。
「大丈夫? 名前君」
すと差し出された湯呑を受け取り、鼻を啜りながら笑う。俺なんかよりもずっと寒かったであろう彼女は顔色一つ変えていないのだから、江戸っ子はどうやら寒さにも強いようだ。熱い湯のみは寧ろ痛いほど指先を刺激してくる。頬に摺り寄せていれば、隣に座っていた沖田が冷ややかな目線を寄越してきた。寒いものは寒いのだ。季節感を丸ごと放置してきた彼らにはわかるまい。
「若さも失うと体温の調節ができなくて大変だね」
「子供は冬だろうが夏だろうが元気だよね、うわー羨ましいー」
ずずずと茶を啜れば右隣の原田が声を押し殺して笑っていた。「随分生意気な口利くようになったよね、斬るよ」なんて聞き慣れしすぎて脅し文句にもならない言葉を吐かれたので、俺は湯呑を手の中で転がしながら、
「俺を斬っても刀が錆びるだけだよ」
なんてにこりと笑って返せば、少し眉根をひそめて沖田は一瞬言葉を詰める。
「――来た時より性格捻くれたんじゃない?」
「心が強くなっただけなんで」
ごほんと明らかに俺たちに対する土方の空咳が響き、顔を上げる。見目麗しい顔を歪ませて腕を組む彼は、鋭い目つきでこちらを一睨みした。蛇に睨まれる蛙然り、これ以上無意味に機嫌を損なわせる気は毛頭ないので、肩を竦ませて顔をそらした。
「…はあ、で、隊士の様子はどうだ?」
「人数が増えた分、雑魚寝してる連中はかなり辛そうだな。広いところに移れるならそれがいいんだけどよ」
「だけど、僕たち新選組を受け入れてくれる場所なんて、何か心当たりでもあるんですか?」
軽い口調で声を上げた沖田に、土方は薄く笑いながら「西本願寺」と返した。その言葉に愉しげに笑った沖田以外誰もが苦い顔を浮かべる。いくら京の地理に疎い俺でも、その表情を見ればそれが厳しい候補であるということは容易に理解できた。
「あははは! それ、絶対嫌がられるじゃないですか! 反対も強引に押し切る積りなら、それはそれで土方さんらしいですけど?」
現在地である壬生は京の外れに位置するらしく、西本願寺という寺はどうやら隊務に便利な場所にあるようだ。彼の言葉に首を傾げた千鶴に、斎藤は静かに西本願寺は長州に協力的だからと返答する。ただでさえ京は尊皇派で新選組は快く思われていないのだ。結果は火を見るより明らかである。
「…あ、でも、西本願寺に移転すれば長州は隠れる場所が減りますね」
「あはは、名前も頭が使えるようになったんだね」
はっ倒すよ、と八重歯を剥いて睨めばくすくすと笑われるだけだった。茶化してきやがって、と俺が頬を引き攣らせていれば原田が宥めるように頭を撫でてきたので、ここは彼に免じて大人しく引き下がる。けっと我ながら餓鬼っぽいとは思いながらも不貞腐れていれば、案の定また笑われた。
「僧侶の動きを武力で押さえつけるなど、見苦しいとは思いませんか?」
今まで押し黙っていた山南が、静かに僅かな苛立ちを見え隠れさせながら口を開く。たしなめる口調に対して土方は「寺と坊さんを隠れ蓑にして、今まで好き勝手してきたのは長州だろ?」と宥めるように言う。彼は過激な浪士を抑える点において同意はしたが、全体的に納得できない様子で顔を渋める。そこで苦言を続けないあたり、彼なりに納得はしているのではあるのだろうが。上座で腰を下ろしていた近藤は、唸りながらもふたつの意見に頷いていた。
「流石は近藤局長ですねぇ。敵方へも配慮なさるなど懐が深い」
「む? そう言われるのは有り難いが、俺など浅慮もいいところですよ」
何度見ても見慣れたくない彼が近藤を持ち上げてそういうと、彼はこれまた素直に照れて頬を掻いていた。幹部方の表情をちらりと一瞥すれば、それはもう沖田なんぞは露骨すぎるほどに顔をしかめていた。――いくら気が合わないといえども、本人を前にしてその表情はないと思う。という自分でさえ、どんな顔をしているかはおそらく変わりないのだろうけど。
このいかにも女性らしい言葉遣いをした彼、伊東甲子太郎参謀は先日近藤が連れてきた新しい幹部の一人である。藤堂と同じ北辰一刀流剣術を教える道場の先生らしいが、彼らが顔を歪めるのは主に伊東の思想についての相違によるもので、彼は"尊王攘夷派"、新選組は"佐幕攘夷派"なのだ。尊王攘夷というのは、新選組と敵対している長州と同じ思想らしく、それだけ聞いてもよく名を連ねる気になったものだなんて俺でも思ってしまう。下手をせずとも内部分裂なんて目に見えている。――そんなこと、口が裂けても言えないけれど。それを差し置いても、この伊東という人物はあまりに独特な感性をお持ちのようで、残念ながらあまり気が合いそうにはない。
「山南さんは相変わらず、大変に考えの深い方ですわねぇ」
屯所移転に異を唱えた山南を見て、伊東は唇を横に引いて満面の笑みを浮かべた。口許に手を当てながら頷き、そしてさらに言葉を重ねる。
「まあ左腕は使い物にならないそうですが、それも些細な問題ではないかしら?」
どんよりと濁っていた空気が熱を帯びる。その空気に気づいていないわけがない彼は、尚も傷口に塩をこすりつけた。
「剣客として生きていけずとも、お気になさることはありませんわ。山南さんはその才覚と深慮で、新選組と私を充分に助けてくれそうですもの」
ぎりと奥歯を噛む。彼なりの励ましなのか何なのかは知らないが、最後の言葉は聞き捨てならない。詰まる所利己的な考えからではないか。昔馴染みばかりの揃う、伊東から見れば完全なる敵陣の中でよくそんな言葉が口をついたものだ。
山南は確かに酷く腹黒くて冷徹で、俺が知っている優しさというのはただの表面上のものなのかもしれないけれど、それでも一年以上彼らと過ごしていれば、わかるものもあるのだと。その時の俺の考えは、きっと彼らからすればただの慢心であると一蹴されてしまうものだっただろう。
「……俺がでしゃばるのもなんですが、いくら弁舌に優れた方でも、己から墓穴に突っ込んでしまっては反感を買うのみかと」
伊東の目が初めて俺を見る。少しだけ目を丸くした彼を見上げる俺の名を土方が呼んだ。
その声に弾かれるように彼を見やれば、怒りに揺らいだ鋭い双眸が伊東を射抜いていた。
「あんたの言うように、山南さんは優秀な論客だ。けどな、山南さんは剣客としても、この新選組に必要な人間なんだよ!」
土方の言葉に、山南は視線を落とす。左腕を握りしめた彼の右手は、かすかに震えていたような気もした。
「――あら、私としたことが失礼致しました。その腕が治るのであれば、何よりですわ」
目を瞬かせた後、伊東はにこりと微笑む。言葉ではそんなことを言っているが、土方が静かに憤った言葉の意味すら、とくに深く理解しようとはしていないのだろう。くそ、と小声で悪態吐いた彼は忌々しそうに顔を歪めた。山南を庇うあまり、返って彼を追い詰めてしまったのだと気づいたのだろう。いつもは頭で考えてから言葉にする人であるからその失言は珍しく、それだけ彼の怪我が悩みの種になっているということを窺わせた。
張りつめた空気に近藤は視線を泳がせながら、伊東を稽古の見学に誘う。その誘いに愉し気に賛同した彼は「男達の汗臭さへ浸りに行くのも、実に愉快なことじゃ御座いませんか!」とやはり独特な切り替えしをした。そのまま談笑しながら二人が道場を去ると、視線は自然と山南へと向かう。
「山南さん。……あんな奴の言うことなんざ、気にする必要ねぇからな」
永倉の言葉は宙に浮き、彼は何も言わずふらりと部屋を出ていった。こういう時、どのような言葉をかけたとしても、本人からしてみれば穏やかには受け取れないのだろう。何とも言えない空気が漂い、どこからともなくため息が聞こえた。
「近藤さんもなんだって、あんなのが気に入ったんですかね」
「……んなこと俺が知るかよ。どうせ口先三寸で丸め込まれたんだろ」
「じゃあ土方さんが返品してきてくださいよ。新選組にこんなのいりませんーって」
そんなことができたら、今誰もため息など吐いてはいない。二人はお互いに顔を歪めながら、深いため息を吐いていた。
伊東は自分の道場の門下生を何人も引き連れて新選組にきている。伊東だけをどうこうできればいいという問題ではないのだと、一際顔を歪ませて話した土方に沖田は唇を尖らせた。
「役に立たない人だなあ! 無茶を通すのが鬼副長に仕事でしょうに」
「だったら総司、てめえが副長やれ。んで伊東派の連中を屯所から追い出せ」
「あっはは! 嫌ですよ、そんな面倒臭いの」
面倒くさいと分かっているのだから余計性質が悪い。俺は明るくけらけらと笑った彼を見やり、膝を抱える。冷たい膝頭に頬を乗せれば、火照った顔が冷えていくような気がした。
「名前もたまに大胆なこと言うよね」
「――すいませんね、沸点が低くて」
「意外と気ぃ短いよな」
個人的には土方からのお叱りを受けなかったことに驚きだが、この現状彼に何を言う気力も残ってないのかもしれない。どこまでも重苦しい空気が脳天を漂いながら、とりあえず沖田と永倉の隊が巡察の準備をするべく部屋を出ていった。残った幹部方も散会しはじめ、俺は原田と自室へ戻ることにした。
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