未来はいつも
――千鶴side
名前が斎藤と巡察に行ってしまってから、二半刻程経った頃。何やら酷く険しそうな表情で話し合いをする土方と近藤にお茶を配りに行ってから、洗濯物の様子を横目見て台所へ戻ろうとしていたときだった。外が少し騒がしくなった気配がして廊下を戻れば、引き戸が開く音とともに複数人の声が響いた。巡察から帰ってきた隊士たちであろうその声に、千鶴は台所に寄った後急ぎ足で玄関に向かう。最後に引き戸を占める二人の姿にほっと息を吐いて、笑みを浮かべながら声をかけた。
「お帰りなさい、名前君、斎藤さん」
「ただいま、千鶴ちゃん」
そう穏やかに微笑む彼女を見て、もう一度ほっと息を吐いた。形式だけの葬儀が行われた昨日の今日である。どれだけふさぎ込んでいるだろうと心配でしかたなかったけれど、それも少しは気が晴れていたように見えた。――といっても、名前はいつも本音を隠してしまうのが上手だから、どこまでが本当かはわかるはずもないのだけれど。
一瞬黙った彼女を不思議に思ったのか名前は顔を覗き込むように屈めて「千鶴?」と名を呼んだ。なんでもないの、と首をゆるく左右に振れば、彼女は小首を傾げてそれからゆっくりと歩き始めた。斎藤が報告に行ってくると言うのでそれに手を振り分かれて、二人はひとまず各々の部屋を目指すことにした。どこで話していようが構わないとは思うけれど、どんな時伊東と出くわすかわからない。そんな面倒事だけはお互い避けたかった。
「お、巡察から帰ったのか」
「左之さん」
角を曲がったところで手拭いを片手に現れたのは、赤い髪が目に鮮やかな原田だった。彼は額の汗を拭いながら微笑むと、わしゃわしゃと乱暴に名前の頭を撫でまわす。うわ、と声を上げる彼女の姿も最早見慣れた光景で、まるで兄妹みたい、といつものことながら思ってしまうものだ。――陽月の姿を見ないから、尚更なのかもしれない。
「歩き回って疲れたろ?」
「ものすごく。左之さんは稽古?」
「ああ、今終わったとこだ。夕食当番だからな」
「今晩は原田さんなんですね、お手伝いします」
いつも悪ぃな、とかけられる言葉にいいえと笑って返すと、隣で名前が声を上げた。
「お、れも手伝うよ」
「あ、名前君もう出入り自由だもんね」
少し目元を赤くした彼女は眉尻を下げて笑った。――最初はもっと楽しげに笑う人だったのに、と不意によぎったそんな思いを飲み下す。今も昔も、彼女の優しさは何ら変わらない。それだけで、きっと十分だ。
「お前飯作れんのか?」
「失礼な、米くらいなら炊け、ますよ…?」
「その米が難しいんだろーが」
尻すぼみした宣言に原田が溜息を吐くと、「でも包丁は使える!」と言い始めたので千鶴としては内心少し――というか本気で心配になってしまったのは言うまでもあるまい。
取り敢えず顔を洗ってくると井戸へ向かうべく踵を返した彼は、ふと思い出したように振り向いた。
「平助が、もう少ししたら帰ってくるらしい」
「っ…そ、か。よかった」
ぎこちない笑みだった。それと同時によかったと呟いた声は酷く掠れていたような気がする。その声に原田はぴくりと眉を動かすと、彼女に近づいてぽんぽんと頭を撫でた。
「――…どうしたんです?」
「頭に埃のっかってた」
「嘘つけ!」
埃だったら押し潰してるよ、と八重歯を剥いた彼女に原田は笑って足早と退散する。見えなくなった彼の背を追っていた名前が、その時どんな表情をしていたのか、なんて――。
(まだ、遠いのかな…)
男子だと偽るには細い肩を叩いて、手を握る。冷たすぎる手は、巡察から帰ってきたばかりだからだと言い聞かせて。首筋の傷跡に気づかないふりをして。
「名前君、夕飯は何にしよっか!」
努めて明るい声で笑いかけなければ、彼女も自分も、この黒々とした屯所の雰囲気に呑みこまれそうだった。
※ 気づいてしまいました。
八木邸は式台玄関で三和土がありませんでした。以後気をつけます。あまり江戸時代の屋敷に詳しくないため、大分適当な部分があります。その都度調べてはいるのですが…ご容赦ください。
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