来はいつも

捨て損ねた黄朽葉色の自覚 1 / 3


ぱたぱたと忙しない足音が響く。少しばかり頼りない月明かりも松明によって足元は明るかった。草履についた土の塊を払落し何往復かした後、隣にいた千鶴が膝に手を突いて休憩を訴えた。


「うぅ、足つってきたかも…」
「大丈夫? よく伸ばしなよー」


申し訳なさそうに塀際の隅っこに腰を下ろした彼女は珍しく大きな溜息を吐いた。――かれこれ一刻以上、伝令役とは名ばかりの遣い走りをしているのだから、溜息を吐きたくなる気持ちも分からなくもない。道中警護から立て続けに城の周辺の警備に回っているのだ。慣れない気を使っているのは確かだった。
休憩終わり、と立ち上がった千鶴はぐぐぐと伸びをした後ちらほらといる浅葱色に目をやった。


「…あんまり、緊張感というか…ないんだね」
「まあ、敵なんて来るわけないってことか」
「――ねえ、名前君」


張り詰めた様子でもない彼らを横目に、千鶴はぽつりと言葉を漏らす。あまりに小さな声に一瞬聞き漏らしそうになった俺は、歩みだそうとしていた足を引っ込めて彼女を見た。どうしたの、と問えば、やや間をあけて口を開く。その声はどうにも戸惑っているように感じた。


「…名前君って、自分と似たような顔をした人って見たことある?」
「似たような、顔? …俺はないけど。世界に三人はいるっていうね」


そしてその類の話について回るのは、その同じ顔をした人間が自分という存在を殺しに来るというもの。入れ替わるという表現が正しいのかどうなのかは残念ながらそこまで詳しくはないし、真意など全く以て理解不能なのでよくは分からないが。そんな物騒な後付を彼女にするつもりは毛頭なく、頭の中でふらふらと思考を漂わせていれば、千鶴が「そう、だよね」と無理やりに張り付けた笑顔を浮かべて胸の前で手を組んだ。ああ、なんて分かりやすい。思わず歪みそうになる顔に手を添えることで隠した。


「日本だってこんなにも広いもんね、きっと…」
「――あれ、千鶴ちゃんって兄妹いなかったっけ?」
「え?」


いないけど、と怪訝そうな目で見上げてくるものだから、「あ、いや」とどもりながら誰かと間違えたのかなと返す。彼女にはなぜか兄妹がいたような気がしてならない。それはほんの小さな違和感だけれど、いないという答えに疑問を抱くほどに自信があった。あれ、そうだったけと口ではそう零しながら項に手をやれば、ざらりと傷口に指が触れた。
――この傷のように、俺はきっと何かを忘れている。それが自発か故意かなどわかるはずもなかったが、もやもやと薄黒く重い靄がどんよりと胸の奥で広がったのがわかる。


「名前君?」
「――っあ、ごめん。ぼーっとしてた」


ガリ、と少し伸びた爪が傷口を引っ掻いた。痛みは、なかった。


「大丈夫だよ、そんなに気にすることないって」


へらりと笑いながらそう言えば、納得は難しいようだが先程よりはすんなりと受け入れられたようだ。千鶴がありがとうと笑む。仕事に戻らないとねとくすくすと笑った声。
――ぞくりと、背筋が凍った。俺の反応に首を傾げた千鶴も遅れて何かを感じ取ったようだ。ばっとほぼ同時に、同じところを睨みつけた。
人目も届かない城の影、篝火は遠く、輝く月の縁に触れられそうな、そんな場所に彼らはいた。


「風間……」
「あなたたちは……!?」


俺の呟きを掻き消す彼女の声に、ほっとした。心臓が嫌なほどどくりと脈打つ。千鶴を背にやるように、一歩踏み出して彼らの間に身をすべり込ませた。


「な、なんで…ここにいるんですか!?」
「あ? なんで、ってのが方法を言ってんなら、答えは簡単だ。オレ等"鬼"の一族には、人が作る傷害なんざ意味をなさねえんだよ」
「そう、私たちはある目的のために此処に来た。君を探していたのです…雪村千鶴」


明らかにこの場に不釣り合いな彼らの存在に、俺たちは息を呑んだ。ずきん、とこめかみが痛む。ちらちらと何かが脳裏をかすめるたびに、弱い頭痛が襲ってきた。
天霧の言葉に意味が分からないと眉をひそめた千鶴に、風間の刺々しい声が飛ぶ。彼が暗闇から一歩踏み出したとき、俺は迷わず刀の柄に手を置いた。俺では牽制にもなりはしないだろうが、敵意を剥き出しにする意味くらいはある。風間がぴくりと眉を動かし、くくと低く笑った。


「並の人間とは思えないぐらい――、怪我の治りが早くありませんか?」
「そ、そんなことは…!」
「千鶴…っ」


目に見えて戸惑う千鶴に、不知火がホルダーから拳銃を取り出してちらつかせる。今すぐにでも彼女を退かせるべきだ。そう思うのに、頭はぐちゃぐちゃと余計なことばかり考えて妥当な手段が思い浮かばない。


「あァ? なんなら、血ぃぶちまけて証明したほうが早ぇか?」
「よせ不知火、どのみち俺たちの行動は変わらん。…多くは語らん。鬼を示す姓、東の鬼の小太刀。それのみで、証拠としては十分すぎる」


有無を言わさぬ彼らの物言いに、千鶴の足が一歩後退した。風間が腕を伸ばそうとしたところで、俺は刀を抜く。月光に反射する白刃の閃きに、ふるりと膝が笑った。


「千鶴、合図したら全力疾走」
「名前君…!?」
「くくく…お前は学ばないな、名前」


闇を引き連れ伸ばされる腕を切り落とさんばかりに横になぐ。振り返らずに千鶴と彼女の名を叫べば、背後で砂利を踏む音が聞こえた。走り出す足音は続かない。面白くないと言わんばかりに目を細めた風間は刀を抜くこともせずに一歩ずつ俺の間合いへと近づいてくる。――舐められたものだ。でも、それが今の彼と自分の実力の差であることは自覚している。



「っは、あ!」


重たい打ち刀を振り下ろす。さらりと事もなげによけた彼はああそうだと思い出したように声を上げた。


「お前は"鬼"か?」
「んなわけ、ない…だろ!」


ひらり、ひらりと身をかわす彼。ただでさえ打ち刀は重量があるというのに、こうも躱されていくと疲労ばかりが加速度的に蓄積されるばかりだ。金髪がなびく。ひゅ、と彼の側頭部あたりを滑る刃は、彼の髪をひと房斬りおとして手から離れた。からんとむなしく刀が地面に落ちる音がする。それに気付いて漸く手首が痛み始めて、ああ叩き落されたのだと理解した。


「人間だとでもいうのか?」


ぐいと体が反転して右手を背中に回され、関節が悲鳴を上げる。ぎしりと奥歯を噛み締めることで、漏れそうになる声に耐えた。


「人間以外の、なにがある…!」
「前にも言っただろう。何故、生きている」
「すみませんね、結果論しか興味はな――っい!」
「答えろ」


ばき、と嫌な音が体の中で響く。千鶴の声が耳に届いたことで少しだけ息を吐いた。残りの二人は今のところ彼女に手出しをするつもりはないようだ。顎を上げて唇を噛む。見上げれば千鶴と目があった。逃げろと、伝えたはずなんだけど。彼女が動く気配はない。嗚呼早く逃げてほしいのに。
俺が無言であったことに機嫌を損ねた風間は尚更力を込めて腕を折りにかかるものだから、痛いのは嫌なんだけどなあと場違いにも本音がこぼれた。


「お前が素直に答えればいい」
「素直って…だから俺は人間で鬼とか知らないし生きてるから生きてるしこれからもしぶとく多分生きるでしょうしこれ以上をどうやって素直に答えろと?」
「くくく…そうか、ならば詰まる所お前は人間でも鬼でもないと」
「いやだから人間だって――!」


ふざけんなと成り立たない会話にいらいらとしてきてそう吐き出そうと思った瞬間、地面が遠くなった。まさしくひょい、といったふうに俵担ぎにされた俺の体は、ある意味不意打ち的に拘束される。


「…っな、おろ…し!!」
「興味がわいた。天霧、女鬼は任せる」


風間の言葉に天霧が歩き始める。今なら振り返って全力で走ればなんとか逃げ切れるかもしれない。走って逃げろと叫ぼうとした刹那。
複数人の足音が、近づいてくる。誰かの舌打ちが聞こえた。
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