来はいつも

捨て損ねた黄朽葉色の自覚 2 / 3


「おいおい、こんな色気の無い場所、逢引にしちゃ趣味が悪いぜ……?」
「またお前たちか。田舎の犬は目端だけは利くと見える」
「……それはこちらの台詞だ」
「左之さん!? 斎藤さん!」


生憎と風間の背中か不知火の方しか見れない俺には声で判断するほかないが、紛れもないそれは原田と斎藤だ。千鶴が彼らの声を呼ぶのが聞こえる。これでもう、彼女は大丈夫だ。よかったと息を吐けば、耳元で風間の舌打ちが聞こえた。
千鶴の身が安全ならば、俺は形振り構わずこの男から逃げることだけに集中できる。土方と話し始めた彼の隙を探りつつ周囲を見渡していると、木々の合間を動く人影を見た。


「ふん、将軍の首でも取りに来たかと思えば、こんなガキ二人に一体何の用だ?」
「将軍も貴様等も、今はどうでもいい。これは、我等"鬼"の問題だ」
「"鬼"だと?」


この場合俺が一番無関係だ。どうやら土方も現れたようで、俺は浅く息を吸う。あの人影はきっと山崎だ。


「下ろせってんだ分からず屋あああ!」
「っ!!?」


両指を絡めて彼の背中めがけて振り下ろす。ごす、と見事肺のあたりを殴りつけた俺は一瞬噎せた風間の背中に手を突いてぐるりと足を振り上げる。幸いにもすんなりと腕から抜け出せた足を勢いのまま身をひねり、地面に着地した瞬間後ろに飛び退いた。そのまま何度も後退して距離を取り、じりじりと千鶴の元へと駆けよる。彼の恨めしそうな声に鼻を鳴らし、千鶴の手を取った。


「っ貴様…!」
「そういやぁ…おまえには禁門の変の時、隊士を斬り殺してくれた借りがあったな」


じとりと睨みつける風間の目線を遮りように土方が刀を構える。眉根を寄せた彼は土方を見やり、笑ってみせた。
するりと音もなく背後で風が吹く。僅かに振り返れば山崎がそこにいて、屯所まで避難しろと小声で告げた。こういう状況の時渦中の人物――不本意にも俺も含まれるようだ――は早々に退散したほうが彼らも身を引くだろう。うんと頷いた俺たちの先頭を走る山崎の後ろを走り出した。


「ってめえら! 逃げんじゃねえよ!」
「名前君止まって!」


パァンと乾いた音が響く。俺は彼女の声に急いで足を止め、その腕を千鶴が尚更後ろへと引っ張った。ぱしゅと音がしてすぐ隣の木の幹をみやれば、薄らと煙を立ち昇らせて銃弾が埋まっていた。


「二人とも、早く!」
「は、はい!」


原田が不知火から俺たちを隠すように立ちはだかってくれたおかげで、山崎の背を再び追うことができた。何度も背後を確認する千鶴に大丈夫だよと呟いて、ひたすら足場の悪い道を走った。

何度目かもわからない大丈夫を呟けば、見慣れた門が漸く視界に映る。固く閉ざされた扉の横に備え付けられている勝手口を通り、境内の中に入ってくたりと膝に手を突いた。


「俺は副長たちのもとへ戻る。沖田さんか藤堂さんの元に行くといい。恐らく、そこが最も安全だ」


言葉少なにそれだけ伝えると、彼は今しがた来た道を戻って行った。なんという体力、とひっそりと感動していれば、隣で千鶴が細く息を吐いた。


「…もう、大丈夫だよ。ここまでは追ってこないさ」
「うん、そうなんだけど……」


走り続けたせいで切れる息の合間に、彼女は苦い笑みを浮かべた。その視線は小太刀を映している。
――鬼、か。彼女の頭を撫でようとして、やめた。大丈夫だよと伝える言葉の無意味さが、ひどく可笑しかった。彼女自身、本当に何も知らないのだ。それなのに大丈夫などと、軽々しくよくも言えたものだと思う。紛れもない己自身なのにそれがわからないということの気味悪さは、誰よりも一番、理解しているつもりだった。
手持無沙汰になった右手を握りしめた。


「二人ともきっと広間にいるだろうから、行っておいで」
「…名前君は?」
「俺はちょっと、風にあたってから行くよ」


そっか、とこぼした彼女は小さな歩幅で歩き出す。その背中がとても小さくて頼りなくて。長く見つめていれば、いい忘れていた言葉を思い出した。


「千鶴」
「? どうしたの?」


空いた距離を埋めるように少しだけ声を張る。


「さっき、有難う。千鶴がいなかったら、今頃穴が開いてたや」
「…ううん、よかった! 名前君が無事なら、それで」


夜風にあたるのもほどほどにね、と小さく手を振って彼女は境内の中へと戻って行った。しんと静まり返る空間に、言いようのない苦さを感じた。


「鬼でも、人間でもない」


不知火も言っていた。風間にも言われた。それならば、一体この身は何だというのだ。
生温いような涼しいような肌寒いような。そんな風が首元をかすめていった。
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