来はいつも

沈殿する黒橡色の呼吸 2 / 3


朝餉を摂り終えた四半刻程、寝ぼけた原田の相手をしながら広間へと集まれば、幹部方と松本がなにやら楽しげに会話をしていた。まあまあ綺麗になったじゃないかと笑う彼に永倉が自慢の筋肉を見せびらかしてはげらげらと笑っている。光を跳ね返す床板を眺めている土方はやはり気分がいいようで、これからは定期的に掃除をすることになるようだ。俺と千鶴で部分的にやってはいたが、二人だけではたかが知れている。というより汚くなっていく速さに追いつけないのだ。男は女はなどと性差をとやかくいうつもりは毛頭なかったが、偏見でもなく事実として男だらけということに問題あり、のようだ。


「沖田君、ちょっといいか」


わいわいと騒いでいた輪の外で、松本が沖田を連れて広間を出ていった。やれ鍛えが足りないだの筋肉美がどうのと語る永倉に話を振られて絡まれる前に、藤堂を盾に俺も広間を後にした。
余計な詮索をするつもりは、ない。松本がわざわざあの中で沖田を連れて別の場所に移動したというのは恐らく"そういうこと"なわけで、俺なんかが立ち入る隙はないのだから。
だから、広間から抜け出たまではいいものの、ただふらふらとするほかなかった。


(…病気、とか…?)


未だに続く彼の咳を、ただの風邪だと言い切ってしまうにはあまりに異常であった。大丈夫だと告げる彼の顔色はここ最近青白く、稽古に参加している様子も前ほど頻繁に見かけなくなっていた。それでも、大丈夫なのだと笑ってしまうから。それ以上、何も言えなかった。――言いたくも、気づきたくもなかったのかもしれない。
ずきりとこめかみが痛む。北集会所を出て当てもなく歩き回り、太鼓楼を見上げて立ち止まる。遠く右手にある今は緑に生い茂る大きな銀杏を横目見て、息を吐いた。

――知っている。何かを、覚えている。この先を、見たことがある。

ふいに首の傷痕が痛んだ。ぐにゃりと歪み疼くようなこの覚えのない感覚に息が詰まる。息を吐き出すことも吸うことも苦しくて、まるで酔払いのごとく覚束ない足取りで太鼓楼に寄りかかり引き戸を開けた。大体が北集会所に集まっているため、中はしんと静まり返っていた。


「…っは、あ…!」


音のない玄関に自身の声ばかりが響く。体を支えることもできずに倒れこめば、頬に触れたひんやりとした冷たい床の感触に安堵した。次第に増す痛みに耐えきれずに傷痕を押さえつければ、ぬめりとしたなにかが手のひらに這い付く。それがなんなのかを確認する余裕など、どこにもなかった。


「い、…っう」


ぐるぐると気持ちの悪い眩暈までしてきて、ぎゅうと強く瞼を閉じた。頭の奥で囁く声に蓋をする。視界の隅に映った真白い爪先に、気づかないふりをした。


――ガララ。


ふわりと汗ばむ体を冷やす風がそよぐ。うすぼんやりと開いた視線の先で、顔を歪める沖田を見た。


「名前!?」


病人のように青白い顔を携えて駆け寄ってくるものだから何故だかそれが無性に笑えて、口元だけ不恰好に笑みを浮かべれば尚更苦い顔をした彼はすぐさま玄関を引き返した。


「すぐ先生呼んでくるから!」


大丈夫だよと声をあげる気力もなく、じわりとにじり寄ってくる睡魔にもう一度目を閉じた。
ちりんと鈴の音が聞こえる。枯れた葉を踏む足音が近づく。
浅く吸い込んだ酸素に交じって、血の臭いが鼻を衝いた。
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