未来はいつも
その日は結局角屋に行く皆を見送り、一人自室で夕食を摂ることにした。傷口が痛むのかと藤堂や皆に聞かれたけれど、もう塞がりかけているので痛みはない。ただ曖昧にそうじゃないんだと返せば、原田が言葉を添えてくれたおかげでそれ以上俺は何も言わずにすんだ。
「……一人で、っていうのは久しぶりだなあ…」
朝の残りを寄せ集めて作った夕食はこじんまりとしていて、蝋燭の明かりだけではどうしても暗くなる部屋をせめても明るくさせるために障子を開けた。仄かな月明かりがじんわりと暗闇を照らす。昨日よりも冷たく感じる風に思わずくしゃみをすれば、その音に混じって何かの軋む音が聞こえた。
「……誰か、そこにいるんですか」
箸を膳に置いて身構えれば、障子の向こうから顔を出したのは山南だった。思いもよらぬ人物に頓狂な声が上がってしまったけれど、彼はそんなもの気にも留めず緩やかな笑顔で今晩はと言った。
「出歩いても大丈夫なんですか?」
「ええ、みなさん出払っていますから」
にこりと微笑む山南に、確かに、寒気がした。ここ最近彼が率いる羅刹隊も彼自身もおかしいのだと原田が小さくぼやいていたのは記憶に新しく、俺自身も山南に対しては何か只ならぬものを感じていた。それを言葉で言い表せるほどの語彙はなく、それでもこの肌に纏わりつく狂気に似た空気は日を追うごとに濃くなっていた。そんなときに、である。
ごくりと無意識に飲み込んだ生唾が尚更喉を渇かせて、もう一度飲み込んだ。
「どうしたんです、俺に何か用事でも…」
「ずっと、お聞きしたかったことがあるんですよ」
「――聞きたかった、こと?」
畳を擦って近づく彼は俺の目の前でしゃがみこみ、身を乗り出すように問いかけた。
「…あなたのその、治癒力の高さについて」
「っ!」
眼鏡の縁が光を反射させる。唇の端からわずかに覗く八重歯にうすら寒いものを感じた。
「池田屋で受けた傷も、縄を引きちぎった後の手首の傷も、あなたの回復は目覚ましい。変若水を飲んだわけでもないあなたが何故、そんなにも傷の治りが早いのかずっとずっと疑問だったのですよ」
「な、にいって――ッい」
がしりと強く手首を掴まれる。引きちぎられるのではないかと思うほどの強さに顔が歪むも山南はなおも言葉を吐き散らした。
「もし、あなたがその秘密を教えて下さればあの薬はさらに改良できるはずです。幕府にとって、あの薬の研究は必要なんですよ」
「山南さん!」
ぴりと首の傷が痛む。喉が灼けるように痛い。
「山南さん、どうしたんですか。研究が必要って、これ以上は――」
「あなたまでもあの薬は失敗だというのですか!」
「いっ…!」
ぎりぎりと骨が軋む音が頭の中で響く。振りほどけないほどの力で握りしめる彼の右手をもう片方の手で掴んで離させようとしたとき、ゆったりとした声がこの異様な雰囲気を切り払った。
「どうしたんです、山南さん。珍しいですね彼女とお喋りだなんて」
「そ、総司…!」
するりと双眸を細め、山南は沖田を見やると徐に手を離して薄く笑った。沖田の背後からは斎藤に藤堂が顔をだし、それぞれが似たような表情を浮かべている。
「いえ。すみません、少々議論が白熱してしまいまして」
人差し指で眼鏡を押し上げて立ち上がると、彼は俺をちらと一瞥してからまた笑みを浮かべた。
「それでは、話の続きはまた後にでも」
「……」
なんとも返事ができなかったのは、そんな話の続きを望んでいなかったからだ。山南はするりと三人の横を通り抜け、足音が遠退き聞こえなくなった頃に藤堂が小さなため息を吐いたのがわかった。
「…朝まで帰ってこないのかと」
「左之さんと新八さんは朝まで飲んでくるみたいだよ」
「それより、なんか結構切羽詰まった声聞こえたけど大丈夫だったか?」
藤堂が僅かに表情を歪めて問うてきたことで、脳裏に山南の言葉がよみがえった。――考えれば、むしろ彼の問いかけこそが正しい反応なのだろう。原田達が何も問いただしてこないだけで、恐らく思ったことがないはずがない。この怪我の治りも早さが、異常であると。
「…うん、大丈夫」
「なら、いいけどよ」
時間を置いてずきりと鈍く痛み始める手首をさすりながら、顔を上げて笑った。
それじゃあと部屋に戻っていく彼らに手を振って、食べかけの膳を視界に入れる。
「……ひづき」
名前を呼べば、小声でもすっ飛んで行くから。そう告げた彼が、俺が忘れてしまった何もかもを知っている。陽月、ともう一度名前を呼んだところで、障子から吹き込む風に蝋燭の炎が消えた。
「……思い、出さないと」
蝉の音の中に消える少年の背が、枯葉を踏む少女の足音が。まるで早く思い出せと、そう言っているような気がしてならないのだ。
ごろりと畳に寝転がる。寒いやと独り言ちた声が冷たい部屋で静かに落ちた。
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