来はいつも

遠い赭色を閉じ込めた 1 / 3


朝が目が覚めるたびに、何か一つずつ、夢の中に置いてきている気がした。それがなんなのか皆目見当もつかないが、何故だかそんな感覚だけは、やけにはっきりとわかるのだ。
白い吐息の向こうに隠れる赤い髪が揺れるのを見つめながら、指先がかじかむほどに冷たい廊下を歩く。朝餉を終えたあと、彼は巡察へと向かうのだけれど、最近、原田がよく俺を外へ誘う。もちろん外とは言っても角屋などという場所ではなく、巡察に、である。最近というのが一体いつからであったか明確な日付感覚は持ち合わせていないが、恐らく沖田と距離を置き始めた頃だろう。早いもので、あれからもうすでにひと月は経とうとしている。
俺としては非常に気まずい思いをぶら下げているのだが、それはどうにも一方通行なものだったのだろうかと思わせる程に、彼はいたって普通であった。普通、というからには、まずすれ違えば挨拶くらいはする。相変わらず皮肉ばかり口をついている。けれど、以前ほど話すことはなくなっていた。避けられているというよりは、これがまるで最初から正しい距離感であったのだと思うような、そんなふうに感じた。――違和感は、ずっと胸のどこかに引っかかっている。紛れもなく、現状に対しての違和感だ。


「――な」


近づきすぎて、いたのだろうか。それに、沖田は気づいたのだろうか。俺は、どうしたいのかもわからない。


「名前」


ひらひらと目の前を肌色がぶれる。よくよく見ればそれは手で、辿っていけば原田の目と合った。前を歩いていた彼がいつの間にか鼻の先がつきそうなほどに近く、それも廊下から自室に背景は変わっていて、一瞬追いつかなかった思考に彼は苦笑いをこぼした。


「何回転びそうになったことか」
「……二回?」
「冗談だよ、零回だ」


腰に手を当てて屈めていた背中を起こした原田は、俺を通り過ぎて半開きの障子に手をかけた。


「今日は、大人しく待ってろ」
「……うん、」
「……それとも、ついてくるか?」


ふるふると首を横に振った俺に彼は目を細めてそれじゃあ行ってくると笑った。原田は、何も言わなくとも知っているのだろう。踏み込んでくることも、しない。女だと確証を得るためにした行為くらいなもので、それ以外は彼はこの居心地の良さを守ってくれている。
ずび、とむずむずとする鼻を啜る。振り返れば、障子はぴたりと閉じられている。まるで、この先に進むことを、ここから違う場所へ行くことを引き止められているかのように感じるのはなぜだろう。開けば容易くこの場から去っていってしまえるのに、そうできないのは誰の意思なのだろうか。この両足を縫い付けるのは、一体。


「……そう、じ」


喉の奥から漏れた声に笑う。いや、笑えない。ぎりと食いしばった奥歯がこすれて、ずきりと痛んだ。
――これではまるで。
そう思いかけて、頭を振る。馬鹿馬鹿しい。壁に立てかけた刀を見遣って、八つ当たりのように障子を開け放った。斎藤が稽古場にいるはずだ。それならば永倉や藤堂もいるだろう。
胸に積もる鉛が、ため息とともに出ていけばいいのに。そうすれば、もう少しだけ強くなれるような気がした。





稽古の休憩中に顔を出した彼女は、いつも以上に険しい表情をしていた。どの隊にも所属していない彼女が稽古に時折顔を出すことに土方がどう思っているのかはわからないが、少なくとも何も知らない隊士たちは不審がる一方だった。それも、最近だと幹部方と伊東派とでの無言の圧力のせいか――といっても幹部も露骨に呈しているわけではない――変に勘ぐるような視線を向けてくるものも多少なりと出てきた。今のところ小競り合いじみたものはないが、あまりいい状態とは言えなくもないかも知れない。そんなふうに勘ぐっているのは大抵伊東派の隊士たちなのだが。
汗を掻いているのにも関わらず清々しい面持ちの斎藤が一番に名前に声をかける。斎藤、永倉、藤堂の三人で集まっていたところに来た彼女は、暫く無意識にか眉根に皺を寄せたまま、稽古に参加しいてもいいかと言ってきた。前述したとおりの状況ではあるが、それを理由に断るまでもない。伊東派の動向や機嫌を一々伺っていればなにもできなくなる。第一、彼らが来るより前から名前はここにいたのだ。何を言われる筋合いは――恐らく、ないだろう。平隊士たちには隠し事も多いので、断言するには情報の不平等さに目が行く。
とにもかくにも、もちろん参加すればいいと笑った永倉と意見は一緒である。藤堂は手近にあった竹刀を渡し、少し体動かしとけばと助言する。ぎゅうと、握り締めた竹刀の柄を睨むように見た名前は、うんと頷いて離れた場所で素振りを始めた。


「……ちょっと怒ってる?」
「そうか? いつもと対して変わんねえだろ」
「いやいや、あんなに目つき悪いことってそうねえって。なあ、一君」


会話の同意を求めて斎藤を見やれば、彼はちらりと横目で名前を一瞥し、静かに目を閉じて「そういう日もある」と一蹴した。いやまあそうなんだけど、そこじゃなくて。言いそびれた言葉が胸の奥でくすぶって、もごもごとしているところを永倉に思い切り背を叩かれた。もう少し手加減というものを覚えてほしい。かれこれ数年来の願いなのだが、未だに叶えられた試しがない。はあ、と癖のようになってしまったため息をこぼせば、休憩を終わりにさせるべく斎藤が体を休める隊士たちに声をかけ始めていた。
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