来はいつも

月夜に浮かぶ金色の彼 2 / 3


夜も耽る中、お千は言葉を詰まらせることなく鬼というものについて話しだした。
ただ静かに暮らすことを望んでいた鬼の力を欲しがった人間が、兵力を従えて彼女たちに協力を求めてきたこと。それを拒めば村落ひとつを潰される。散り散りになった鬼たちが選んだ道はひっそりと隠れて生きることだった。それから幾年が経ったのか人と交わるようになった鬼の中で、純血を守る家は少なくなっていったという。ひとつは西国で薩摩の後ろ盾を得る頭領を風間千景とする風間家。そして、東国で最も血筋の良かった家が、千鶴が生き残りではないかと考える雪村家だという。そこで初めて、彼女が人間ではなく鬼だということが告げられた。だからこそ、風間は千鶴を狙うのだとも。


「今のところ、本気で仕掛けてきてはいないようですが、遊びがいつまで続くかは分かりません。そうなった時、あなたたちが守りきれるとは思わない。たとえ新選組だろうと、鬼の力の前では――無力です」


無力と言い切った彼女に口々に反論するけれど、風間が本気ではなかっただけだと一蹴する。平行線をたどる話し合いに、お千のそばで静かに控えていた君菊が土方に意見を求めた。


「土方さんはどうお考えです? 風間の力を承知しているあなたなら、姫の話をお分かり頂けるんじゃないでしょうか」
「相手がどんだけ強いかどうかはしらねぇが、俺たちが新選組の名にかけて守るってこととは、関係ねぇ。それに、おまえたちが鬼だと言うのは認めるが、別に信用したわけじゃない。信用する義理も無い」
「無礼な物言いですね。千姫様は鈴鹿御前様の血を引く――」
「おやめなさい、君菊。今はそのようなことを言っているいるときではありません」


ぴしゃりと叱るお千の態度に肩をすぼめた君菊は、彼女の手前もう一度黙りを決め込むしかなかった。相容れないお互いの意見に、近藤がふいに千鶴に話を振った。千鶴はどう思うかとの問いかけに答えあぐねる彼女に、ならばお千と二人で話してくればいいと進めた。勝手に連れ去られるのではないかと訝しむ彼らに近藤と千鶴が口添えをすると、近藤が決めた以上誰も唇を尖らせる者はいなかった。すぐそこの部屋が空いてるからと指さされた部屋に二人が出て行くと、残された君菊がわずかに顔を歪ませた。
――お千を慕って仕えているのなら、尚更愉快な話し合いではないだろう。基本的に新選組は仕事柄も相まって他者を無闇矢鱈に信用する人たちではないし、負けん気も強い。無理だと言われればやる気を見せるような人たちだ。こと自身の剣に関してはそれが露骨に出ると思う。本人が受け入れれば話は別だろうが。


(にしても、千鶴が鬼…か)


彼らの言う鬼がどんなものかはわからない。姿形が人間と変わらない以上、見分けなどつくはずもない。鬼同士ならば感知し合えるようだが。
二条城で彼らと出くわした時、天霧は傷の治りが異常に早くはないかといった。鬼を示す姓と東の鬼の小太刀。あの時点で、彼女は確かに鬼だと言われたも同然だったのかもしれない。
――傷の治りの異常性。池田屋の時に受けた傷が完治したのは、陽月のおかげだ。長州が襲撃してきた頃、彼があの痛みを奪ってくれたのだ。傷を奪ってくれたのだ。それだけのはずなのだ。俺自身のものじゃない。俺がやったものじゃない。春に、関わることじゃない、はずだ。それだけで彼女が人間ではないのだと括られてしまうというのなら、身の内にもうひとりを抱えた俺と、最早何者かもわからないような陽月はなんなのだろうか。俺たちこそ、異形で異常じゃないか。そう思えば思うほど、なぜだかいやに笑えてきて、ふうと小さく息をついた。ここにいる人達とは、違うのだ。


「お待たせ…しました」


静かに開かれた襖の先で、未だに少し戸惑う千鶴を見上げる。結論は出たかな、と穏やかに微笑んだ近藤に、お千が一歩前に出て深々と頭を下げた。どうやら千鶴はここに残るらしい。責任を持って預からせてもらうよと頷いた彼の言葉に、気が緩んだ幹部方が千鶴に近づいて声をかけていた。
好かれてるんだなあと遠巻きにそんな風景をみやっていれば、用は終えたからと二人は土方と近藤と会話をしながら部屋を後にしていった。俺も見送りくらいはと思い彼らの後を追いかけて広間を出て行く。少し小走りで玄関に向かえば、真剣な面持ちのお千と君菊がいた。


「呼んで下さればすぐにでも力になりましょう」
「その必要はねえだろうがな」


完全に拒まないあたり、彼もうっすらと気づいてはいるのだろう。俺に気づいたお千がゆるく笑んだあと、初めて言いよどんだ。


「名前…あのね」


どきりとする。ぺたりと素足の足音が数歩近づき、立ち止まる。見下ろしてくる土方の視線に答えられる余裕は、なかった。


「あなたも、気をつけて。風間があなたを探していると聞いたから」
「風間が、俺を……?」
「ええ。千鶴が私たちのもとに来てくれるなら、本当はあなたも来てもらおうと思ってたのよ。でも、風間が名前を狙う理由がわからないの。ただ、あなたは鬼じゃない。それだけは確かよ。もし、私に何か力になれることがあったら、いつでも言って。必ず、力になるから」


それだけ残すと去っていった二人は、境内の暗さでしばらくして完全に見えなくなってしまった。


「……風間、か」
「心当たりはねえのか、お前。天王山の時も、二条城の時もそうだっただろ」


見えないはずの背中を見ているふりをしていれば、その視界を遮るように引き戸が閉められる。昼間より黒ずんで見えた戸板をぼんやりと視界に映していれば、隠す素振りも見せない舌打ちが降ってきた。近藤のなだめる声がなければ、彼はこのまま声を尖らせていたかもしれない。


「まだ、話は終わってねえ」


やけに含んだ言い方に、喉の奥の苦さが顔を出す。やはり、土方は苦手だ。
くるりと踵を返して歩き始めた背中は、恐らく言葉の切れ方からしてついて来いというものなのだろう。俺と土方を交互に見遣って息をついた近藤に苦笑いをこぼし、水の中を歩くような重たい足取りでその背の後を追った。



土方は自室の前の縁側から外を見ていた。中庭に咲く色彩豊かな花々は薄暗い月夜の海に沈み、昼間の華やかさは見る影もない。俺は柱の作る影に隠れるように、黒く伸びる線の上で足を止めた。彼はまだ、振り向かない。


「……今更、間者だなんだと言うつもりはねえ」


瞬きをひとつする。景色は変わらない。


「鬼だなんだと、信じられるわけもねえが、お前も似たようなもんだろう」
「……なにが、言いたいんですか?」
「すまなかったな」


ぎしりと床板が軋む。瞬きをひとつする。彼の紫の瞳がこちらを見ていた。


「……俺個人としてだ」


視線が交わったのが気のせいだったのではないかと思うほどそれは刹那的で、彼はすぐにまた空を見上げていた。その視線の先に、あの小さな月以外の何を見ているのだろう。わからない。彼はなにも分からせない。突然告げた謝罪の意味も分からなければ、それが何を表しているのかもわからなかった。
それこそ今更だ。おととしの話である。その間に藤堂たちが江戸に出向いて伊東を連れて、山南は変若水を飲んで羅刹となり、沖田とは壁を造って距離をとり、藤堂たちは出て行った。知らない傷が増えて開いて痛んで、もうひとりを内側で確かに自覚して、それ以上知ることをやめた。それだけ時が経ったのだ。それしか経っていないのだ。積み重なる数字は日を追うごとに曖昧になり、記憶は随分とかすれていった。
三年前と今では、俺の中身はまるで違う。――誰への、謝罪ととればいいのだろうか。あの時の名前はどこにもいない。


「時が来たらっていうのは、一体いつの話なんだろうな」


傷口に爪を立てる。じくりと鈍い痛みが広がる。土方はそんな俺を目に映して、伸ばしかけた手を止めた。


「お前」


どこまで覚えてるんだ。
吸い込んだ息が肺の中で凍る。見開いた瞳が青白い頬を映したまま瞬きも忘れて動きを止める。傷口をえぐる指先だけが熱を感じていた。


「……どう、いう意味ですか」
「そのまんまだよ、何を忘れて、何を覚えてる」
「なんで、なんでその話を、土方さんが――!?」


俺の声をかき消すように、忙しない足音が響く。曲がり角から現れたのは、息を切らした島田だった。


「ひ、土方さん!」
「どうした、何があった?」
「敵です、刀を持った細面の男が一人襲撃してきました!」


千鶴を守ると言ったそばから、攻め入られるとは。細面の男、という言葉に土方と思い浮かべたのはおそらく同じ人物で、土方が島田に急ぎ雪村のもとへと飛ばす命令をよそに俺は廊下を駆け出した。背後でぶつけられた怒号に耳を塞ぎ、自室への道をたどる。丸腰では、守れない。千鶴を守るのは、俺の役目だというのに。
障子を勢いよく開ければ、仄かに人の気配の名残を感じ、吹き消された行灯から煙が伸びている。俺は枕元に置いている刀を手に、再び暗い廊下を突き進んだ。千鶴の部屋からは遠い、どちらかといえば境内に近い場所で二つの人影を見つけた。あの巨体は島田だろう。風間一人だけならば、室内で待機していることが一番安全ではないか。


「千鶴! 島田さん!」
「名前君!」
「なんで部屋にいない? 風間が外にいるんだったら…!」
「彼女をこちらに引き渡してもらえませんか」


彼女の腕を掴んで室内に連れ戻そうとした瞬間、どこからか声が響いてきた。暗がりに潜む闇から、足音が軋む。赤い髪が、差し込んだ明かりに反射して浮かんだ。


「名前君、雪村君を!」
「っご無事で!」


ぬらりと刀を抜いた島田が俺と千鶴をかばうように間に割って入る。あの赤い髪は、二条城で見た鬼の一人だ。とにかく、この場に目的の人物がいなければ引いてくれるかも知れないと淡い期待に、島田を残して立ち去った。大丈夫だ、きっと、不知火のような好戦的な鬼でなければ――。


「島田さん…っ」
「多分風間がいるのは外のはずだ、手近な部屋に逃げて……!」
「手荒な真似は、したくはないのですが」

すぐ後ろで、声が追ってくる。直線を走っていては追いつかれるのが関の山だ。行く道は左に曲がる廊下しかなく、足の裏に摩擦の熱を感じながら勢いよく方向を変えてから思い出す。この先は境内に降りられる縁側が続いている。気づいたとしても、立ち止まることもましてや引き返すこともできなかった。
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