来はいつも

月夜に浮かぶ金色の彼 3 / 3


青白い光に境内の玉砂利が反射している。敷地の端を整然と並ぶように植えられた桜の花びらが舞う。土方が見上げていた月より幾分か大きく見える月を背に、白い着流しを纏う男が立っていた。


「……そちらから出向いてくれるとはな」


角を曲がって風間の姿を捉えたからか足を止めた天霧に気を向けながら、左足をじりじりと後退させていく。千鶴を背中に隠し、右手で腰の刀を引き抜いた。


「……何故、年を取っていない」
「……は?」


背後で俺の名を呼ぶ彼女の声が遠い。ぎろりと睨みつけられた風間の双眸に、足が竦んだ。


「ようやく思い出したぞ…十年以上前だ。この俺を殺そうとしてきたのは、紛れもない――」


彼が音もなく刀を抜いた。千鶴の腕を握る左手に力が入る。半歩、右足を前に踏み出した。


「春……今ここで、あの時の礼をしてやろう…!」
「っ走れ!!」


身をよじって右側に千鶴を突き飛ばすのと、風間が斬撃とも呼べぬ力で押し込んできたのはほぼ同時だった。刀で刃を受け止めたものの、そのまま後ろの障子を突き破って吹き飛んだ。その拍子に部屋に置いてあった文机に背中を打ち付け、どさりと畳の上に倒れ込む。肺の空気が搾り出される感覚に喘ぐ暇もなく、障子を踏みつけて乗り込んできた風間の振り下ろされる刀から逃げまわった。派手な音に気づいたのか、縁側から飛び込むように地面に転がれば、そこには近藤や土方の姿があった。しかし、すでに千鶴は天霧によって捕らえられ、それを原田と井上が囲んだまま膠着状態にあるようだ。


「っう、げほ!! ――がはっ」


背中を打ち付けたからなのか、うまく息が吸い込めない。転がってばかりなせいで全身は痛み、辛うじて右手が未だに刀を握り締めていた。


「立て。その四肢切り刻んでやるまで俺の気は済まん」
「おい大丈夫か!」


縁側から降りた風間を、土方たちが取り囲む。寝転ぶ俺の目の前に、彼らの足元が映った。千鶴、とうめき声を上げれば、近藤が今助けると声を荒らげる。


「屯所に討ち入りたあいい度胸じゃねえか」
「貴様等には女鬼の価値などわかるまい。天霧、そいつを連れて行け。行き掛けの駄賃に新選組局長の首も、あの女の首も晒してやれるなら悪くない」


きゃあと甲高い悲鳴が上がる。砂利を握り締めながら、引きつく肺で必死に空気を吸い込み、小刻みに震えながら立ち上がった。げほ、と咳を一つすれば、口の中に鉄臭さが広がる。「お前は下がってろ」と振り返らない背中が言い放った。


「……春、だと」


自分のものとは思えないほど低い声が吐きでた。体中が痛い。体の末端から潰れていくような音が頭の中で響いている。枯葉を踏み荒らす音が鼓膜を揺らす。


「貴様らに忠告しておいてやろう。その女をこれ以上抱えるのは、」


ふわりと体が宙に浮く。近藤たちの背を軽々と飛び越えた体は音もなく砂利の上に着地すると、足元からすくい上げるように刀を振り上げた。耳をつんざく金属音が反響する。ギチギチと鋼のこすれあう音に、鼓動が高鳴っていくのを感じた。


「災厄を招くぞ」
「……死に損ないが」





天王山の時や二条城の時とは違い、明らかな殺意を名前に向けていた。興味があるのだと毎度付きまとわれていたようだが、今回はそんなものではすまない、斬り殺さんとする殺意である。千鶴への関心が薄れていることだけが幸いだろうが、彼女も今だ天霧の腕の中だ。原田と井上、そして近藤が助太刀に入り、なんとか助け出す機会をうかがいながら向こうも戦闘に入っていた。

まるで風に吹かれる花びらのようだ。身軽などと一口で言うにはあまりに軽やかすぎる。容易に屋根瓦に上れそうなくらいに片足一本の脚力で飛び上がってみせ、かと思えば宙で体制を小器用に変えて刃を突き立てて落ちてくる。その女は災厄であると告げた風間の声が、耳から離れなかった。


「その色は、あの人のものなのよ」


涼やかな声が風に乗る。聞いたこともないほどに、この場に似つかわしくないほどに、穏やかな声だ。剣術というにはお粗末な、ただ刀を振り回しているような光の筋が風間に襲いかかる。防いでは振り下ろされるたびに、白刃が踊るように見えた。
風間の剣は永倉のそれよりはるかに重い。だというのに、彼女はこともなげに受け流してしまっている。振り払うように横に薙いだ風間の剣をかがみ込んでよけると一歩で彼の背後に回り、刀を振り上げる。上半身を捻らせて刀で受け止める音が響き、ついで鈍い音がした。土方たちの方に背を向けていた名前は体を弓なりに曲げて吹き飛び、地面に一度右側面を打ち付けると勢いのまま転がりうつ伏せに倒れこむ。起き上がらせるまもなく、土方がその背に腕を回して刀を弾き飛ばすと上から押さえつけた。


「は、なして」
「風間様、」


千鶴を奪い返された天霧が距離を取っている。風間の舌打ちが苦々しげに吐き捨てられたあと、彼は身軽に通りに面した壁の屋根に飛び乗って全員を見下ろした。


「必ず、貴様の息の根を止めてやる」


そのまま向こう側に飛び降りて見えなくなった彼らに一瞬目をやった、それだけの隙だった。隙というにはただ視線を向こうにくれてやったくらいで力で押さえつけているのにも関わらず、気づけば肘ががくりと脱力して跨いでいた両足の間からするりと彼女は消え去っていた。弾き飛ばした刀を握り、数歩先でしゃがみこんでいる彼女の肩は震えている。土方は柄に手を添えて、刀を抜いた。


「……どうして」


長い前髪のせいで表情は見えない。ふらりと立ち上がった左手が首の傷口に爪を立てる。盛り上がった傷痕から、つうと血が流れた。


「ただ、ころしたいだけなのに」


ぎょろりとその眼球が土方を捉えた。目があったと感じた瞬間、横合いから何かが飛び出して来た。赤い槍だ。切っ先が名前の喉元めがけて突き立てられる。大きく後ろに飛び退いた彼女を更に追いかけて鋭利な刃をもう一度今度は彼女の足元に突き刺し、砂利を巻き上げた。彼女は刀でそれを振り落とす。くるりと柄を回転させた原田は石突で彼女の腹に突きを喰い込ませた。しかしそれは彼女が手のひらで受け止めると横に弾き飛ばし、一歩懐に入り込む。横に振られた刀を、素早く自身の腰から半身抜いた刀身でふせぐ。刀身をすべて抜くのと同時に名前の刀を振りほどき間合いを取った。原田と名前の身長差と彼の槍の長さを考えるとやりにくい相手この上ないだろう。ち、と思わずこぼれた土方の舌打ちをかき消すように、背後から高い叫び声が被さった。


「――名前君!!」


ぴくりと彼女の足が止まる。原田が彼女の刀を中心から逸らすように弾く。見開いた名前の両目が、唇が、いびつに歪んで時を止める。どすりと、重たい音の後、彼女は膝から崩れ落ちた。
――潮時か。やけに冷静な声が頭の深くで上がった。ぐしゃりとかきあげた前髪が湿っぽい。名前を背負ってこちら側に歩いてきた原田が、苦虫を噛み潰したような顔で土方をみやった。


「……わざわざ不向きな相手に突っ込んでいくこともなかったろう」


彼の言いたいことなどわかりきっている。それでも、この場で話すわけにはいかないのだ。
原田がその意図をどう汲んだかは知らないが、土方の言葉に返答もなく、駆け寄ってきた千鶴の頭を撫でてやると二三言会話したあと太鼓楼へと歩き出した。境内の入口の方で聞こえていた剣戟の音はとうにやみ、向こうから山南が歩み寄ってくるのが見える。へたりこみそうな千鶴に声をかけながら、荒れた障子を眺めてため息をついた。


「坊主どもが何を言ってくるだろうな」
「……あまり良い顔はされないだろうなあ……」


隣に立つ近藤がいつも以上に眉尻を下げている。事情の説明にしても、ここで騒ぎを起こした事実は変わらないのだから向こうの顔色など目に見えている。珍しく小難しい顔をした永倉を障子を直すのに手伝わせながら、沖田の事を考えていた。手伝うと進言してきた千鶴を部屋に戻させ、残った人間のほとんどが無言で手を動かしている。――まさか、ここで彼奴が出てくるとは、予想だにしていなかった。どうしたものかとあれやこれやと思考を張り巡らせていれば、いつの間にか大分傾いた月が室内を照らす。月明かりを辿るように境内に目をやれば、散り始める桜が見えた。もうすぐ、梅雨がくる。春は、終わりを告げる。ひらりひらりと舞う花びらから、目を逸らした。


<月夜に浮かぶ色の彼

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