来はいつも

息吹く千歳緑色に醒める 2 / 3


一週間と少しばかり眠っていた名前の笑い声が聞こえて、巡察から帰ってきた疲れた足を速めて部屋の襖を開け放った。布団から起き上がり千鶴と二人で顔をぐしゃぐしゃにしながらそれでも笑っていた彼女は、袖で目元を拭うと久しぶりに穏やかな笑顔でお帰りと言った。


「…ああ、ただいま」
「前髪が力ないよ、そんなに暑かったの?」


そう明るくからかう声も懐かしい。思わず言葉に詰まって唇をつぐんだ彼にどうしたのと首をかしげた名前に、なんでもねえよと頭を掻きなでた。


「二人共、朝飯食ってねえだろ? そんな時分じゃねえがなんか作ってきてやるよ。新八に食わせないようにしといてやったから」
「いえ、私がやります! 土方さんのところへ報告もされるんですよね?」
「左之さん」


見上げてくる彼女の瞳は、少しだけ揺らいでいた。





冷たくない床を踏む。目の前を歩く赤い髪を追いかけて、鈍い音を放つ心臓をおさえた。
――禁門の変から、土方の目が鋭かったのは気のせいではなかったのだ。それは彼が抱く不信感であり懐疑心そのものだった。それは、これから先も和らぐことはなく、いやむしろそのまま疑惑の目を向け続けてくれればいい。
閉ざされた襖を開ければその先で手にした書面に目を落としている土方がいた。原田の他におまけが二人ほどついていることに珍しく瞼をわずかに持ち上げた彼は、座卓の上にそれを置いて体をこちらに向けた。


「――目が覚めたのか」
「はい」


喉の奥から弾ける俺の声に、土方は微苦笑をもらして息を吐いた。彼の正面に三人が腰を下ろし、ひとまず原田の巡察の報告を終えたあと、視線は俺に向けられた。冷ややかで鋭く、含まれるものは殺気や敵意に近いのかも知れない。それでも、息は苦しくはないのだ。


「……まだ春のことは思い出せません。それでも、俺は俺のままでこのまま生きていたい。名前のままで、新選組の、役に立ちたい」


黙り込む彼の瞳は揺らがずに俺を睨みつけている。正午に近い太陽の容赦ない照りつけが障子を貫き、腿の上に置いた手の甲を焼く。頭の中で溢れる靄が形になりきれずに舌先で転がるので何度も言葉につっかえながら、一つ一つ音を探した。


「……死にたくない、って言ったのは、俺ですから」


ここに来てから抱えてきたものは、誰よりも死から遠ざかりたい気持ちだった。それは恐らく無意識に感じていたのだろう。日を重ねるごとに、その体が死に近づいているのだということを。二百年と生きた体は、五番目の名前でようやく、限界を迎えるのだから――。


「……陽月に、聞いたんですよね。この体のこと」
「粗方な」
「そうですか……。凡そ十八を境に退行して、もう一度歳を重ねていくっていうことが普通なのだとしたら、今はもうずっと止まったままみたいなんです」


両隣の、とくに千鶴から疑問の視線を感じないあたり、もしかしたら眠っている間に陽月から聞いたのかもしれない。出かけた言葉を飲み込み、瞬きをゆっくりと一度してから、飲み込んだ言葉を吐き出す。


「春の意識が強すぎて、負けちゃいたくなるんですよね。あの人、全然、容赦なくて。でも、負けない。絶対、負けない。それだけは、土方さんに伝えておかないとと思って」


左之さんについてきちゃいました。
軽口のように、それでいて少し前までのような伽藍洞の揺らぎはない。
俺の周りに確かに存在する境界を知り、それが自己と世界の境なのだと理解する。そうして、他者の存在を知る。
土方は長い瞬きのあといつものように眉間に皺を寄せ、それからため息を小さくこぼした。


「好きにしろ。お前はもう、うちと無関係じゃねえだろう」


鋭い双眸が緩む。記憶より歳を重ねる彼らの姿が、頭の裏側で積み重なった。
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