春高宮城代表決定戦準決勝。青葉城西との最終セット。乱れたレシーブにボールが右アンテナを大きく越えた。食らいついた及川が踏み込んだ一歩。空中で翻り、レフトに向かって放たれたロングセットアップ。その先にいた岩泉は、彼のトスを信じて跳んだ。
似ていた。彼女のセットアップはどれもこれも、及川の一挙手一投足を真似ていた。技術こそ勿論拙いが、岩泉に上がるトスを彼は打ち辛く思ってはいなかっただろう。
「菅原ァ! ラストォ!」
指の腹から離れていくボールが、岩泉の右手によって強く床に打ち付けられた。
「十分後ゲームすっぞ!」
「おう」
スパイク練習の最後の一本を終えた岩泉は、肩口で汗を拭いながら全体に声をかけた。
――澤村たちとバレーをしたあの日から一週間が経った。岩泉をはじめとするチームと水曜に行う予定だった練習は体育館の都合によりできず、土曜日である今日に初めて練習に参加していた。
青葉城西の卒業生や岩泉と同じ大学のバレーサークルメンバー、その他紹介で入ったという合計十四人のチームで、体育館に入るなり、見知った数人の顔を見つけてなんだかひどく懐かしいというのか違和感というのか、この心境を端的に表す言葉はうまくは見つからなかったが、とにかくそういう感覚がした。
「にしても、烏野のセッターが同じコートにいるってのも慣れねえな」
「トス上げた先が青城っていうのもなー」
汗の滴る薄桃の髪をタオルで拭いながらそう笑ったのは、青葉城西でウィングスパイカーをしていた花巻で、その隣で腰を下ろしている松川も同じく、あの準決勝で共にネットを挟んで戦った相手だった。
スクイズの中身を押し出しながら喉に流し込んだスポーツドリンクの味に、頭の中が去年の十月頃まで遡っていく。
まさしく、昨日の敵は今日の友というやつだ。あの瞬間に、彼らの春高バレーは終わった。そうして今、彼らとボールを繋いでいる。トスを上げる先に彼らがいるということには、たった一日ではまだ慣れそうにはない。
ぐだぐだと他愛もない話をしていれば、ふいに花巻が菅原の顔を見て思い出したように声を上げた。
「そーいや及川ってまだ名前チャンと付き合ってねーの」
「付き合うどころかアルゼンチンじゃ無理だろ」
――名字とは同じ大学で、彼女経由で岩泉と知り合った結果ここに至るという話は出合い頭に済ませてある。名字名前という存在は岩泉と及川以外の青葉城西のメンバーにとっては試合に見に来ていた及川のいとこ、という認識だけだと思っていた。実際に最初に話したときは「名前ちゃんね、久しぶりに聞いたその名前」と名前だけは知っているというふうな反応だったのだ。
まだ、という単語や松川の言葉に、公園で及川に電話をする名字の後姿を思い出した。
松川がくつくつと笑いを堪えるようにそう返すと、彼の正面に立っていた岩泉がしっかり顔面を歪ませた。
「あいつらは一生経っても気づかねえ」
「今じゃもう菅原がこうやって仲良しこよししてんだから、ざまあみろって送ってやろ」
「俺は別にそういうつもりは…ただの友達だし」
「出た、男女で友情は成立するのか問題」
ちなみに俺は成立しない派、なんて腰に手を当てながら笑う花巻の顎から汗が伝い落ちた。岩泉が反対コートで集まっていたメンバーに呼ばれていなくなる。
話題は依然、彼女のことについて続いた。
「むしろなんで付き合わないのか不思議だった」
「及川が付き合ってて長く続く子ってどことなく名前ちゃんに似てね?」
壁に背を凭れる二人の会話の中に含まれる及川と名字の姿に、なんとなく、ああそういうことかと理解した。
住む世界が違う人で、ついこの間まで喧嘩をしていたのか連絡をとっておらず、かと思えば彼女の言葉の端々に及川徹の影がちらついている。ありがとう、と電話を終えて笑った彼女の表情は、今までで一番朗らかだった。苦さをどこにも潜ませない、少しだけ照れたようで、安心したような、顔。
「…及川と名字って、高校のときはどんなふうだったんだ?」
やけにべたついたシャツを背中から剥がして、裾をはためかせながら問いかける。松川が「名前ちゃん高校は違うからそんな知らないけど」と前置きをしてから、思い出すように斜め上を見上げながら記憶を漁っていた。
「試合とか応援よく来てて、及川がそん時付き合ってた子より先に名前ちゃんとこ行って、喧嘩して別れたっていうの聞いたことあるわ」
「及川がフラれる原因が、バレーばっかでかまってくれない。元カノと名前を間違える、んで、カノジョより名前ちゃんを優先させる、だったからな。――まあこれでよくあいつも好きじゃないとか言えてたろ」
本当になと松川が笑った声にかぶさるように岩泉の集合の声が響く。
彼が時折表情を歪めるのは、及川と名字がすれ違ってばかりいるからだったのだろうか。幼馴染として、二人の行く末を応援していたのかもしれない。だからこそ、菅原がそこにいることがある意味不安要素――自分で言うのもなんだが――で、無意識のうちに顔に出ていたのだろう。憶測ではあるけれど、確かに、岩泉と名字がそういう関係だったのかもしれないと過った先日よりも、及川と名字がそうだったのだと言われるほうが妥当のように思えた。
――本当にそうだというのなら、彼女たちはあまりに不器用だ。その隙間にお互いで溝を作りあっていて寂しい気持ちに蓋をしていて、その実埋めるための機会を手放し続けていた。
いや、だから彼女はここにきて向き合おうとしたのだろう。
頑張って。静かな公園で響いた声。そのたった一言を推し量るには、彼女と及川の隙間にあったものを知らない。
花巻が及川に負けんなと笑っていたのに、そんなんじゃねえってと返した言葉は先程否定したよりも幾分宙に浮いていた。