行き交う言葉が宙に浮く

ひどい寒気に目が覚めた。カーテンの向こうはどっぷりと暗くなっていて、枕元にあった携帯の画面を触れば時刻はすでに九時を回っていた。
――頭が痛い。心なしか喉もじくじくと痛んでいるような気もして、痰の絡んだ咳を数度繰り返した。
十月のこの身体が慣れない低い気温の中、濡れた髪で転寝もすれば風邪もひく。徹の所為だなあと独り言ちて、ティッシュで鼻をかんだ。
涙なのか汗なのか、良く分からない何かで濡れた枕にもう一度頭を沈める。久し振りに感じる酷いだるさに、既に意識は再びうつらうつらと微睡み始めていた。

周りにいた女の子の興味が可愛らしい持ち物や習い事なんていうものからクラスメイトの男の子に移り始めていた頃には、及川はいつも誰かに囲まれていた。
名前ちゃんって、徹君のいとこなんでしょ。
そんな切り口で始まる会話が良かったことなんて両手どころか片手で収まるほどだった。小学校まではまだ良かった。徹君に渡して、と手紙やら手作りのバレンタインやら、そんな可愛らしいものが中学校に上がるなりもっと生々しいものに変わった。付き合ってるのか、彼女じゃないのかなんて、そんな及川自身とはおよそ関係のない交友事情に何度も巻き込まれていた。告白窓口、なんて濁して笑っていたけれど、そんな優しいものじゃない。岩泉は意外とそういうところは勘が鈍くて、及川も及川でバレーと代わる代わるする彼女とで忙しい日々を送っていたのだ。
中学、もしくは高校の頃、そんな話をしていたら、こんなふうに捩れてはいなかっただろうか。彼を素直に応援して、隣にいることもできたのだろうか。恋人のように手を繋いで?
するりと、波のない海に落ちていく。どこからともなく聞こえた意外と大雑把な笑い声に、水底でも息ができたような気した。


***

土曜日の練習に、珍しく岩泉は遅れてやってきた。


「珍しーじゃん。何かあったのか?」


向かい合ってレシーブ練習をしていた花巻の隣で軽いアップをしていた岩泉は、不鮮明な母音を一つ零してから菅原をちらりと一瞥した。


「? 俺?」
「ちげえ。…あいつが、名前が、一昨日くらいから熱出してて、一応様子見に行ってた」
「え、熱? 大丈夫か?」
「あー、まあ、下がったり上がったりしてるらしーけど、今日行ったら生きてた」


それで今週授業に来ていなかったのだろう。矢張り体調不良だったようで、微妙な顔を浮かべてしまったのは一瞬でもあの言動の所為ではなかったのかもしれないということを思考してしまったからだ。花巻がボールを抱えたまま岩泉と少しの会話を挟んでいる間、そんな自己嫌悪にこめかみをぐりぐりと押し潰す。
――一人暮らしのあの狭い部屋で、たった独りぼっちで熱に浮かされている不安は想像に難くない。熱が下がったり上がったり、ということはあまりよくなっているとは思えないが、岩泉がこうして体育館に現れているということは少なくとも悪い状態ではないのだろう。心配で菅原の家に尋ねに来るほどだ。悪ければつきっきりで部屋にいる姿も、同じく想像に難くない。


「心配なら菅原も行けばいーんじゃない?」
「え」
「は?」


隣で話を聞いていたらしい松川が高く上がったレシーブされたボールから目を離さずに言った一言に、岩泉の眉間に皺が寄った。


「…白いパッケージの牛乳プリン」
「ん!?」


熱出したら、それしか食わねーから。
それだけ彼は一言いうと、ネットの向こうにいた奇数ペアに交じっていった。



翌日、昼の町内放送も鳴りそうな頃に近場のコンビニに寄っていた。
岩泉は明日も行くつもりだったけれどと終わり掛けに着替えながらに言われて、よろしくと肩を叩かれた。幼馴染公認じゃん、なんて花巻の茶化す声にそうだなと返した言葉の生返事具合は自分でも良く分かった。
いらっしゃいませ、と入店音に合わせて気だるそうな男子高校生のアルバイトの掛け声が通る。昼時も近いせいか少しだけ人の多い通路を身体を横にして通りながら、冷蔵ケースのドアを開ける。ひんやりとした空気が火照った頬にはちょうど良く、混線する脳内が解けていくような感覚がした。緊張、という言葉で一括りにはしたくはないが、それらしいものを覚えている。
もし、彼女が泣いていたらと思う。あの野暮なたった一言で、彼女が傷ついてしまったことは明白だった。それぐらい、菅原にだって分かる。
ただ――及川が好きだというふうなカテゴライズをしたことがないというのなら、どうして彼女はあんな顔をしたのだろう。それだけが、分からなかった。
ぱたりとドアを閉めて、吸収率の良いスポーツ飲料をカゴに入れてからチルドケースを眺める。
白いパッケージの牛乳プリン。赤い太陽のマークが入ったそれは小さい頃に食べたことはあって、まだ売っていたんだなんて持ち上げながら独り言を零した。熱を出すとこれしか食べない、なんて情報が如何にも幼馴染のようで、笑えばいいのかも分からなくなった。
――知らないことばかりだ。好きなものも嫌いなものも。
もしかしたら細々と食べるかもしれないと柔らかいものをカゴに入れてレジに持っていく。眠そうな声をしたアルバイトが金額を読み上げる声を聞きながら、ごめんと送ったあの日の返事のないメッセージを気にしていた。

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