山鳥毛≠食べ物


 其れは、とある日の出来事であった。
 現世の仕事が繁忙期だったのと、政府から行事へと通達があって所謂イベントへの参加で寝る間も惜しんで本丸を回していた時の事。二日続けての徹夜に疲れ果てた彼女が、とうとう音を上げて現世の一人暮らしする己の部屋の机に突っ伏したのが始まりである。
「流石の私も、繁忙期の中での同時進行は耐え難いものがある……体力が付いていかんのじゃ……っ。私とて、もう十代の頃みたいな若さは無いのよ、分かってくれェ……ッ」
「だ、大丈夫か、小鳥? 相当なお疲れ気味だな……っ」
「う゛ぅ゛っ……此れが社会人やってる人間の現実よ、辛たん……! しんどみしかないとか最早やってらんないわぁっ!!」
「一旦落ち着こう、小鳥。だいぶ精神にキテいるのは分かったから……っ、」
「うぐぅっ、そろそろ一旦仮眠入れたいところだけども、この後仕事で使う資料纏めなきゃいけないからそうも言ってられない〜っ。うわぁ〜んっ、遣る事山積み過ぎて無理だよ馬鹿ァー……っ!」
「しっかりしろ、小鳥……! 気をしっかり持て!」
「ふう゛ぅ゛っ……御免なさい、ちょもさん……っ。ちょっとだけ甘えさせてください、そしたらちょっと脳味噌も回復すると思うんで……っ」
「ちょっとと言わずに存分に甘えてきなさい……っ。其れよりも、少し休んだ方が良いのではないか? 酷い顔になっているぞ……目の下の隈も酷い事になっている。いい加減、ちゃんと横になって休んだ方が良くはないか?」
「そうしたいのは山々なんだけど、仕事が次から次へと山積みになってくから寝る間も惜しいんだよぉ〜……っ。あ゛ー、でも……流石に今の頭のまんまじゃまともに頭働かないから、資料作成に集中出来なさそうだな……仕方ない、一時間でも二時間でも良いからちょっと仮眠取ろう。其れ以上寝たら不味い。布団で寝たら確実に明日までガチ寝するだろうから、寝るなら居間のカーペット敷いただけの床の上で……今ならソファーの上とかも安眠ガチ寝要素になるから駄目だ」
 最早譫言の様な独り言をぶつぶつと言い続けている音子だが、その実かなり眠いのだろう。死んだ魚のように虚ろな目が据わった状態で何も無い虚空を見つめている。正直言ってホラーだ。女子力なんてものはとうに失っている姿である。
 そんな全力で疲れ果てている彼女のフォローをするべく、近侍の彼は珍しく甘えて抱き付いてきた彼女の頭を労りを込めて撫でてやる。此れは相当にキテいる……。そうとしか思えない現状が広がっていた。
「一先ず、軽くでも休むのなら、一度汗を流してきては如何かな? 仕事から帰ってきたばかりのままの状態では、休むものも休まらないだろう」
「あぁ……其れもそうだね。一旦化粧も落としたいし、服も着替えたいしね……つって、化粧は既に剥げまくってて落とす程付いてないけど。軽くでもシャワー浴びたら、少しは頭もスッキリしてくるっしょ……。どうせ、もうイクとこまで頭キテるし、眠気も限界まで点元突破したら後はハイになるだけだよ。うん、もうちょっとの辛抱だよ自分、頑張ろ自分」
「つ、強く生きろ、小鳥……っ、死んでは駄目だぞ」
「大丈夫……此れぐらいじゃ私死なないから。大丈夫、まだイケるよ……っ」
「そう言い出している時点で、もう既にやばいのだと小豆や燭台切から聞き及んではいたが……成程、確かに此れはやばいな。小鳥の目が完全に死んでいる……」
 フラフラと危うい足取りで浴室へと向かおうとする彼女を寸でで引き留め、一度部屋の方まで引き返す彼。このままシャワーを浴びさせるのも色々と不味いと気付いたからである。
「シャワーを浴びる前に、何か一度腹に入れた方が良いぞ、小鳥。あまり空腹のままでの入浴は体に悪い……っ」
「え……でも、何か食べたら確実に後々眠気来て寝落ちする……、」
「仮に寝落ちてしまった時は私が起こすから、風呂に入るのなら何か食べてからにした方が良い。どうせ、まともにずっと食事を摂っていないのだろう? そのまま入浴していたら、確実に気分を悪くするぞ。ただでさえ寝ずのまま体を動かし続けているんだ。何でも良いから少しでも栄養を補給してからにしなさい」
「ふぁい……っ、そうしますぅ……」
 何も食べぬまま風呂場へ直行しようとしていた彼女を説得し、一先ずは何かしら食べさせる事を優先出来た彼は、ホッと息を吐いて安堵した。
 しかし、実際に安堵するにはまだ早かったのである。其れに気付いたのは、嫌に彼女からの真っ直ぐな視線を受けている事に気付いた時だった。
「ど、どうした、小鳥……?」
 嫌な予感がする。そう直感的に思ったのは正しかったようだ。次に口を開いた彼女から飛んでもない台詞が飛び込んできたのだから。
「……何だか、ちょもさんが美味しそうに見える……」
「はっ……?」
 其れは、一瞬、我が耳を疑う内容であった。だがしかし、今しがたの台詞が嘘でもなく現実のものだと分かったのは、彼女が再度同じような台詞を口にしたからである。
「今のちょもさん……何か凄く美味しそう……」
「ま、待て、小鳥……っ、一旦落ち着いて正気に戻ろう。確かに、私は“山鳥”を名に戴く者であるが、元を辿ればただの鋼の塊――一口の刀に過ぎん……っ。故に、私を食べても君の糧にはならないし、寧ろ悪影響しか及ばないと思っ……、」
「やばい……今物凄くお腹減ってるせいか、ちょもさんがめちゃくちゃ美味しそうに見える……っ。どうしよう……食べちゃっても良いのかな?」
「ッ……!? 話を聞け、小鳥! 早まるな! 一旦落ち着こうっ! そして、私ではなく、ちゃんとした物を食べるべきであってだな……ッ!」
「御免なさい……っ、もう我慢出来ないの。だから、ちょっとだけ戴きます」
「っま゛、――ン゛む……ッッッ!?」
 其れは、ものの数秒という程の出来事であった。丁寧にも手を合わせて食前の挨拶を告げた後の一瞬の事。あの一文字の長である彼が、彼女に遅れを取り、文字通りその口を奪われた――つまりは、彼女によって塞がれたのである。
 突然の接吻行為に、当然彼の思考は完全にフリーズした後に吹っ飛んでしまった。どうやら、あまりの空腹さと寝不足加減から頭のネジが飛んでしまっていた模様だ。常なら絶対にしないような大胆な行動に、思わず彼も絶句。まさか、我が主と慕う小鳥に食事的な意味合いから襲われる日が来ようとは思いもしなかっただろう。
 暫く彼はそのまま放心し、その場で固まり動けなかった。強引に彼の唇を奪って食んだ彼女が一度唇を離し、ぺろり、と自身の唇を舐め上げる。そして、改めて彼の事を認知し見つめてきた瞬間の彼女の目は、先程までの死んだ魚の目なんてものではなく、確実に捕食者のようなギラ付いた目をしていたと後に彼は語る。
「――ん……っ、御馳走様。ちょもさんの唇って、案外柔らかくて甘かったのね。ちょっとハムっただけだけど、美味しかったよ」
「……そ、れは……良かったな……。小鳥が良かったのなら、私は其れで構わない…………っ」
「……うん? ちょもさん、何かさっきと違って顔赤いけど、大丈夫……? 体調悪いんなら、無理しなくて良いよ?」
「い、いや……っ、私なら大丈夫だから……すまないが、暫く放っておいてくれないか……? 少し頭を冷やしに外で風に当たってくる……っ」
 彼の挙動不審さに首を傾げながらも了承した彼女は、ベランダへと向かう彼の背を見送りつつ、インスタントのスープを作る為に電気ポットのお湯を注ぎにキッチンへと移動するのだった。
 ちなみに、この時の事を後で正気に戻ったであろう彼女へ問うてみるも、“憶えていない”との事であった。
 目覚めさせてはならない獣を揺すり起こしたようで末恐ろしい出来事であったと同時に、今後正気を保っていない時の彼女を目の前にした時は迂闊に近付かないようにしようと胆に銘じた山鳥毛なのであった。


※旧タイトル:『鳥の名が付くからと言って食べ物になる訳ではない』。変更理由……ちょっと長ったらしく思った為。

執筆日:2020.11.05
再掲載日:2023.05.22