口移しlips


 季節柄の乾燥のせいか、彼の口端が痛々しく切れているのに気付いて、ついじっと見つめるみたいな視線を送ってしまったらしい。ふと、其れに気付いた彼から声をかけられた。
「先程からやけに熱烈な眼差しを向けてきているが……どうかしたのかな、小鳥よ?」
 そう問いかけられて、一瞬躊躇しかけるも、素直に事を話す事に決めて口を開く。
「あの、ちょもさん……唇切れてるの、気付いてる? ふっと見てみたら、痛々しく切れてたもんだから……ついじっと見つめてしまってたのは悪かったけども」
 私が指摘すると、彼は僅かに苦笑いを浮かべて顛末を打ち明けてくれた。
「少し前に子猫と手合わせをしていたんだが……その時に、乾燥からか、少々裂けてしまってね。この程度の傷なら、わざわざ小鳥の手を煩わせる程でもないと思って放置していたのだが……バレてしまったのなら仕方がない。素直に白状しよう」
「えぇっ、そのままにしてたら地味に沁みたりして痛いでしょう? 言ってくれたら、すぐにでも薬を用意したのに」
「幸いにも、我々は刀だからか、痛みには鈍い創りになっているようでね。然して気にならなかったのだ」
「其れでも、小さな傷でも怪我をしたなら言ってください。もぅ……っ」
「すまない。痛くないのは本当なんだ。小鳥の手を煩わせる程の事でもないと判断して放置したのは悪かった。許してくれ」
「……別に怒ってる訳ではないんだけれど。私は、ただ言い方が気に食わなかったのと、純粋に心配になっただけ……」
「あぁ、分かっているさ。小鳥は優しいからな。今のは、小鳥に対して申し訳なく思った私からの詫びの気持ちだ。注意が足らなくて誠にすまなかった」
「まぁ、今回は素直に認めてくれたし、反省もしてるっぽいんで許してあげますけど……次は無いと思ってくださいね?」
「ははっ、流石は我が小鳥……なかなかに手厳しいな」
 言葉厳しめに敬語口調でたしなめれば、そう苦笑を漏らして返された。そんな彼を他所に、私は引き出しに仕舞っていた或る物を取り出して、彼によく見えるように掲げて見せた。
「私が寝る前とかに使ってるリップバームで良いなら貸すけど……どうする? あっ、初めて使う物なら、一度説明しなきゃ分かんないよね……っ。リップバームっていうのは、唇に塗る用の軟膏みたいな物の事なの。所謂、唇専用の塗り薬ってヤツで、乾燥やひび割れとかを防ぐ為にも使う物なんだよ。其れで、さっきの質問に戻るけど、どうする? 私の使いかけが嫌なら、別に新しいのを用意するけども?」
 そう問うたら、一瞬不思議そうに首を傾げた彼。偶にそういう仕草をする彼は、恐らく自分が可愛らしい事をしている自覚は無いのだろう。普段はとてつもなく格好良く決めているのに、ふとした時に天然な風な仕草をするからギャップにやられてしまう。まぁ、その事について、一度として彼に直接告げた事は無いけれども。
 そうこうどうでも良い事に思考を捉われかけていると、徐に彼からの返事が鼓膜を打ってきて、其方へと意識を引き戻した。
「ふむ……折角せっかくの申し出は嬉しいのだが、生憎現代の物に疎い私には、いまいち使い方が分からない……。故に、私が使い方を習うより、一度小鳥に直接塗ってもらった方が早いだろう。結果的、小鳥の手を煩わせる事にはなるが……宜しく頼めるか?」
「え……?」
 そう言って、ちょんちょん、と唇を指差し、自ら唇を差し出してきた彼。その光景に、些かちょっと戸惑い気恥ずかしく思いながらも、しょうがないと心を決めた私は、素直に腹を括る事に決め、小さな容器の蓋を開けた。そうして中からバームを少量小指の腹で掬い取り、其れを彼のぷっくり艶やかな唇へと乗せて薄く伸ばしていく。やってあげている側は、ちょっとイケない事をしている気分である。早く終わらせる為にも恥じらいは一時仕舞って、パパッと塗り上げる事に集中し。最後に仕上げとして、バームを馴染ませるよう、「んぱんぱして見せて」と告げた。分かりやすく先に私自身がやって見せると、彼は其れに倣って上唇と下唇を合わせて馴染ませるようにリップノイズを鳴らした。
 一先ずは、此れで良し……っ。しっかり馴染んだ様子の唇に頷くと、容器の蓋を閉め、彼と視線を合わせ直した。
「此れで暫くは大丈夫だと思うけど……飲んだり食べたりしてたら、塗ったのがその内取れちゃうと思うから、切れたのが治るまでは定期的に塗り込み続けた方が良いよ。私、他にも保湿用にリップクリーム持ってるから、要るなら暫く貸してあげる。何なら、此れからどんどん寒くなって乾燥していくだろうから、個刃専用のを買っておいてあげるけど……?」
「いや、其れは遠慮しておこう。その代わりと言っては何だが……少々此方を向いてもらえるかな?」
「はい……? ――っンむ!」
 私の言葉に断わりを入れてきたかと思うと、徐に私の唇へ口付けてきて吃驚する。すっかり気を許して油断していたが故に、余計にその驚きは大きい。そのせいか、つい大袈裟気味に肩を跳ねさせて身を固くしてしまった。そんな私の様子に、彼は“何時いつまでも初々しくて愛らしいな”と言う風な目で見つめて、ふ……っ、と笑った。
 ついでに、口付けられた事で移ったらしいリップバームで私の唇も一緒に潤う。其れを見て、満足そうに笑む彼が静かに呟いた。
「今日のように同じく乾燥して口端を切るような事があった際は、またこうやって小鳥に施してもらいに来るさ。その方が、小鳥に逢う口実も出来るし、小鳥に甘える事が出来るからな。一石二鳥で願いが叶うという訳だ。あと、此れはついでに過ぎないが……私程までは行かないが、小鳥の唇も乾燥していたようだったから、切れてしまう前にと私のを分けておいた。此れで、暫しの間、小鳥の唇が切れる心配は無さそうだな?」
 ……なんて事を、事も無げに言い切るもんだから、私は羞恥で思い切り顔を真っ赤に染めるのだった。そんな私の反応を楽しむ彼は、見た目に沿うみたく、ちょっと悪い人であった。


※旧タイトル:『彼に移された潤いが憎らしくも愛しくて悔しい』。変更理由……だいぶ長ったらしく思った為。

執筆日:2021.01.18
再掲載日:2023.05.22