夢の岸辺、夢籠の欠片

 某所に在る本丸の審神者が、或る日を境に目を覚まさなくなった。眠ってからずっと起きないままなのだ。
 死んではいない事は、呼吸のする音と拍動で上下する胸の動きだけで何とか分かる。けれど、生きていると認識出来る証拠は其れのみなのである。
 主は、眠ったまま起きない。
 ずっと、夢を見ているのだろう。誰も知らない、彼女だけの、長い長い夢を――。


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 とある死にたがりの審神者が居りました。
 彼女は、生きているようで居て、死んでいるように生きているような人でした。
 曰く、きたる明日へ未来へ天望を望めぬようになってしまったんだとか。何かの折に、誰かへ宛てての呟きか、単なる独白か、兎に角そんな事を零していたらしい。
 恐らく、屹度きっと、彼女は怖かったのだ。彼女は怯えていたのだ。読めない、分からない、知れない将来の行く末を。だから、心を病んで自らの殻へと閉じ籠ってしまったのだろう。其れだけなら、どんなに良かったのだろうか。次第に、夢にまでも心侵され、蝕まれていく姿は、見るに堪えられない程に窶れていき、憐れであった。せめて、夢の世界くらいは守れたら良いのにと、思わずには居られなかった。
 だからこそ、此れ以上に彼女が壊れてしまわぬように。無駄に傷付いてなどしまわぬように。ふわふわと柔らかな真綿で包み込むように、優しく温かな場所へと囲うように。何処よりも安全で安心の出来る場所へ隠してしまうみたいに。審神者を案じた一振りの刀剣男士は、【微睡みの夢籠】の存在を記した掲示板の記事を見て、“夢籠の番人”とやらが管理し守っている【夢籠の欠片】を望んだ。
 そうして、記事に書かれている手順を踏んで、彼は導かれる。“夢籠の番人”の立つ船着き場へと。

 其処で出逢った“夢籠の番人”は、宵闇の夜空色のような大きなローブを頭から被っていて、その下に隠れた表情は窺えない……そんな風体をしていた。性別も不明で、人かそうでないのかも計り知る事は出来ない。片手には、先に淡く柔らかな明かりを灯したランプを提げた杖を掲げ持っていた。
 そんな謎極まる存在へ向かって、刀の男が一言、「相手の望む夢なら、どんな夢でも好きに見させてくれる願望機みてぇなモンがあるって聞いて来た」と告げる。すると、“夢籠の番人”は、徐に空いていた手を何も無い宙へ翳し、朧気な輪郭が徐々にくっきりと浮かび上がる如く現れた大きめの鳥籠を手にし、其れを黙って男へと差し出した。
 そして、静かに口を開いて言葉短めに言ノ葉を紡ぐ。
『――君が望む人へ。夢への入口を開くのは簡単だよ。からのままの鳥籠を渡して、中へ手を入れるように告げるだけ。後は、此れを渡された人が中に眠っている本を手に取るだろうから、そしたら、君は鳥籠の鍵を閉めて。さすれば、君の望む通りに……』
 夢の開き方を一通り教えると、最後に“夢籠の番人”は別れ際にこう告げた。
『どうか、素敵な良い夢を――』
 まるで、決まり文句みたいに、初めからそう言うのが決まっていたみたいに告げて、道は閉じる。
 男は手に入れた大きなからの鳥籠を持って、彼女の元へ急いだ。


執筆日:2023.06.12/公開日:2023.07.17