いい子にはご褒美?


「なぁ、いいだろ姉ちゃん」
「え、えぇと……」

 夕食時に、どうしてそんな話になったのか——私はどうにも思い出せない。思い出せる限りでは確か、たまたま遊びに来ていたセタンタが、好きな人はいるのかとかどうとか尋ねてきて、流れで何故かオルタとの……キ、キスの話になってしまっていて、それで……それで? それでどうしてこうなったのか。

「キス、俺にもしてくれたってさぁ」
「……いや…………えぇとぉ…………」

 どうして——……
 いや、考えても仕方がないか、と私は咳払いをし「ご飯中だよ」とセタンタの行儀の悪さを指摘する。しかしそれを素直に聞くつもりもないようで、彼は「えー」と唇を尖らせながら私の服の裾を引いた。

「なーなー、俺ちゃんと好き嫌いしないで食べたぜ」
「それはえらいね」
「だろ! じゃあご褒美くらいあっても」
「…………そうはならないんじゃないかなぁ」

 引く気は一切ないようで、夕食後にも引き続き彼は、なーなー、と私の腕を揺らす。……どう説得したものか、というのもそうだが、正直それよりオルタからの視線が酷く痛い。

「………………おい」

 ついにオルタの手が出た。いい加減にしろと言わんばかりにセタンタと私の間へと割って入るが、そんな従兄なんてなんのその、彼の巨体からひょいと顔を覗かせるようにして、引き続き私に「なーなー」と捨てられた子犬のような瞳を向けてきた。

「どうしてもダメか?」
「ふっ……ぐぅ……っ」

 どきゅん、という擬音が聞こえる。もちろん、私の胸が貫かれる音です本当にありがとうございました(?)
 私はどうにもセタンタのお願いに弱く、それというのも以前から弟というものに憧れていたというか欲していたというかなんというか。

 だから、無邪気に自分を慕ってくれているセタンタにはどうしても優しくしてしまいたくなるというかなんというか。

「甘やかすなよ」

 そんな苦言がランサーの口から漏れる。いいじゃないか、貴方に不利益があるわけでもあるまいし。

「……仕方ないなぁ……一回だけだよ?」
「「はぁ!?」」
「やりぃ!」

 いつも賑やかな方の二人の怒号にも似た大声が、セタンタの言葉をかき消した。……重ねて言うが、別に迷惑をかけるわけじゃないし良いじゃないか。

「目は閉じててね」
「おう」

 なぜかどよめく四人を尻目に私はセタンタへ向き直る。そして期待の笑みを浮かべる彼の——頬に、軽く唇を寄せた。

「はい、終わり」
「えー! そっちじゃなくてよー……」
「一回って約束だからね」

 けち、と頬を膨らませる彼を可愛らしく思いながら振り返ると、不思議と安堵した様子の四人……いや、三人。そして何かを考え込むように口元に手を当てているキャスターの姿がそこにあった。

「——そういや、俺も嫌いなんだよな、カレー」
「は?」

 突然、何を言い出すのか。確かに今日の夕ご飯は(セタンタの希望で)カレーだったけれども、美味しそうに食べていたと記憶しているし、そもそもいままでそんなこと言ったこともなかったではないか。

「いやいや、大人が好き嫌いなんてカッコ悪いから黙ってただけだ」
「……じゃあ、なんで今言うことにしたんですか」
「嫌いなもんをちゃんと食べた良い子≠ノは、嬢ちゃんがキスしてくれんだろ?」

 心底愉快そうに微笑むキャスター、——間違いなく嘘だ、これ。

「絶対嘘だろそんなの!」
「わかんねぇだろ、お前だって本当に人参が食えないのかどうかってのと一緒だ」

 言い返され、セタンタはむぐぐと黙り込んでしまった。
 ……できれば「だから何ですか」とスルーしてしまいたいものだが、この長兄のことだ、きっとそうはさせてくれないのだろう。

「まさかセタンタだけ特別扱いなんてしねぇもんな?」

 やっぱり、逃げさせてはくれなさそうだ。

「特別扱いっていうか……セタンタ君はまだ子供だからいいですけど、キャスターさんは大人じゃないですか」
「そうだそうだ、大人げないぞー」
「きこえねーなー」

 抗議の声もどこ吹く風、と、私たちから視線をそらす彼。本気で言っているのだろうか、と私がじっとり睨みつけると、「まさか俺だけはダメなんていわねぇよな?」なんて、にやりと口の端を持ち上げた。

「嬢ちゃんが俺のことなんて嫌いだってんなら仕方ないけどよ」
「き、嫌いとかじゃないですけど」
「ならいいだろ?」

 その狡さは大人の象徴なのではないだろうか。しかし口では彼にかなう気もせず、このままずるずると屁理屈の応酬を続けるのも(主にオルタの機嫌的な意味で)良くはない。気もする。これは腹をくくるしかない、と、私は盛大にため息を吐いて見せた。

「……一回だけ、ですからね……」
「「「はぁ!?!?」」」

 今度は三人分の驚嘆の声が上がる。流石にうるさいなぁ、とは思いながらも、今度は長兄の元へと寄って行った。

「……届かないんで、屈んでください」
「はいよ」
「…………もうちょっと」
「ん」

 先ほど彼はセタンタについて「特別扱い」なんて言葉を使っていたが、むしろこれだけの身長差がある=大人にしか見えない長兄を、幼顔の従弟と同じ扱いにする方がおかしいと思うのだが。

「目、閉じててくださいよ……」

 大人しく目を閉じる彼の頬に口元を近づけてから、やはり少しだけ躊躇する。いや、躊躇しない方がおかしいのだ。おかしいだろう、どう考えてもこの状況は。

(…………肌、綺麗……というか、なんかめちゃくちゃいい匂いする……香水、かなぁ……じゃなくて!)

 ええい、ままよ! と私は意を決して彼にもう一歩近づいた。——その瞬間、なぜか、彼がわずかにこちらを振り向いて——

「————んむ、っ」

 唇に、頬ではない少しだけかさついた感触があって、

 ……微かに、タバコの苦い香りがした。

「な、ん………っ!?」
「おっと、悪いな、遅いもんで、つい」

 驚きもしない涼しい顔の彼——間違いない、この男、絶対、わざと、振り返ったのだ。

「そんな怖い顔す——っでぇ!!」

 私が抗議するより非難するより早く、彼の身体が地に伏した。手を出したのはオルタだ。いつもなら暴力は良くないと止めるところだが今ばかりはここは無法地帯だ好きにやってくれ。

「あだだだ事故だって! わざとじゃねーって!」
「嘘ついてんじゃねーぞオラァ!」
「いでっ! いてーよ! お前らなんで普通に兄ちゃんのこと本気で殴れんだそれが一番怖えよ!!」

 いつの間にか混ざっていたランサー、セタンタにも殴られ蹴られ、流石に少しだけ可哀想になってきた。唯一プロトだけは、私の隣で「大丈夫か?」と私の身を案じてくれている。

「うん、大丈夫……キャスターさんは大丈夫じゃなさそうだけど」
「あいつは自業自得だろ」

 実の兄には意外と冷たい。……心なしか、彼もそわそわしているような、いやそんなまさかな。

「——なぁ、俺も一回だけ、キスしていいか?」

 そんなまさかか。

「な…………んで?」
「だって、あいつらだけずりぃだろ」
「いや、え、あの、ずるいとかでなく」
「おい待てプロト、それでいくなら俺も一回くらい美味しい思いしたっていいんじゃねぇか?」
「ランサーさんまでなにを」
「あー! ずりい! じゃあ俺も、もう一回!」
「待っ」
「おい、調子に乗るなよお前ら」
「お、なんだなんだ、そういうことなら俺も立候補すっかな、次はちゃんと頬にでいいぜ?」
 
 ぷちん、
 
「いっ……いい加減にしてください!! もう! 誰にも! しませんからぁっ!!」

 私の叫び声と、えー! という五人分の落胆の声でその日の歓談はお開きとなった。以降、なんとなしに「ご褒美」をねだる彼等に辟易することになるのは、火を見るよりずっと明らかだった。