それも特別のひとつのカタチ
「あら、今日はやけにご機嫌ナナメなのね」
小鳥の囀りのように可憐な声で、メイヴは私にそう言った。言われた私はといえば、不機嫌を隠すことなく久しぶりの学食を口一杯に頬張っている。
「……おはよう、メイヴちゃん」
「もうお昼よ? それにしても珍しいわね、最近はいつもお弁当だったのに」
「! ……そう、そうなんだよ……っ、きいてよメイヴちゃん!」
持っていたフォークをパスタの皿に戻し、私はメイヴちゃんに「座ってくれ」とジェスチャーをする。私とは違い心なしか上機嫌の彼女はそれを断ることもなく、すんなりと隣へ腰を下ろした。
「せっかくね、今日もね、キャスター……一番上のお兄さんがお弁当作ってくれてたのに……ラン……二番目の人が、私の分食べちゃったの……!」
「ふぅん」
ムカつく……! と憤りのままに再びフォークを口に運ぶ。もちろん学食のメニューだって美味しい、だけどそれはそれ、これはこれで、あのお弁当を楽しみにしていた私にはやっぱり物足りなく感じてしまうのだ。
「普通、お弁当箱に入ってるもの勝手に食べる!? 夜ご飯のおかずつまみ食いするのとはわけが違うのに! しかもそれを指摘したらなんで言ったと思う!? 『あ、悪い悪い』……って、それだけ!? もー! 本当信じらんない!!」
「そうね」
聞いているのかいないのか、怒りから饒舌になる私の顔をじっと覗き込みながら、彼女は短く返答する。ちゃんと聞いてよ、なんて言いたくもなったが、それで? というように傾けられた彼女の綺麗な顔を見ていると、それだけでだいぶ溜飲が下がってしまった。我ながら面食いにも程がある。
「……そういえばメイヴちゃん、今日は『クーちゃんは?』とは言わないんだね」
「そりゃそうよ、今日はクーちゃん、午前の講義は休講になってるはずだもの」
「よ……よく知ってるね……」
最後の一口を頬張って、咀嚼し、飲み込む。ご馳走、と呟いてから一つため息を吐き、何故か満たされた気にならないお腹を左手でゆっくりとさすった。
「うー……もう少し何か食べようかな……」
「やめたほうがいいんじゃないかしら。それ、お腹が空いてるんじゃなくて、楽しみ、を取られたのが不快で満たされた気にならないだけよ」
……おっしゃる通りで。全くその通りだと納得した私は、もう一つ息を吐いてから食器を窓口へと戻すため立ち上がった。
「ごちそうさまでーす……あ、メイヴちゃん、また勝手に……もー」
「嫌なら早くパスコードを変えなさいな」
席に戻ればメイヴは私のスマホをスイスイといじっているところで、私は一応静止の言葉を口にする。けれどまぁ、彼女に見られて困るものもなし、パスコードも以前私の方から教えたものだ。何か……たしか、スマホで出して欲しいものがあって、私の両手が離せなかったとかなにかで、その日からそのまま、たまにこういうことがある。
「……あ、これ? クーちゃんのお兄さんって」
「あ、そうそう」
彼女が見ていたのは写真フォルダだったようで、その中の一枚を彼女は私に提示した。それは、私があの家に住むことになった初日に「見分けをつけられるように」とこっそり撮っていた彼ら四人の集合写真。
「えーと……これが一番上のお兄さんで、こっちが二番目、後この子が末弟のプロトくん」
「ふぅん」
拡大したり、縮小したり、一通り四人の顔を見比べた後、満足そうな顔で私へスマホを返してくれた。
「三人とも、クーちゃんに似ていい男ね。うふふ、私狙っちゃおうかしら?」
「え」
彼女がそう言い出すのは別段不思議でもなんでもなかった。なのに何故か、私はドキリとしてしまう。どうして……と考えるよりも早く、私の口からは「やめておいたほうがいいんじゃないかな」なんて言葉が飛び出していた。
「あら、どうして?」
「だ……だって、ほら……確かに顔はいいけど……デリカシーないし、ひとこと多いし……女の人の胸と尻しか見てないし!」
だけど、気はつかえるし、悪い人じゃないし、むしろ良い人だし……今朝だって、本当に申し訳ないと思ったのか「昼になんか奢るからよ」なんて言っていたし。……それを意地になって断ったのは、私の方だし。
「と……とにかく、やめたほうがいいって!」
そんな良いところからは目を背け、私はブンブンと頭を左右に振った。——あと、笑った顔も素敵なんだよなぁ、なんて考えごと振り払うために。
「へぇ、そうなの」
「そうだよ……! だいたいあの人は……っ」
「ところで涼、私、誰を狙うとは言ってなかったと思うのだけど」
「————」
言葉が出ない。あれ、私今、だれのネガティブキャンペーンをして——
「わっ…………私だって、こっ、個人の話とは……」
「下手な嘘ね、私、貴女がそこまで悪くいう人物は一人しか知らないわ」
今度こそ完全に閉口。私は何も言い返すことができないまま、居た堪れなさに彼女から静かに目を逸らした。
「なるほどねぇ〜……? やけに執心だと思ったら、そういうことだったのね」
「ぐっ……うっ……」
違う、はずなのに、何も言い返せず……私はいっそ殺してくれ……! という心地で彼女からの視線に耐える。くそう、違うんだ、違うはずなんだ……!
けれど指摘されるまでもなく、実際に先ほどまで自分がしていたのは「想い人を取られまいとする子供」のソレで、否が応にも本当の気持ちとやらを意識してしまう。
……いやまさか、そんなわけはないのだ、ないはずなのに、そのはず、なのに……。
「……そんな……そんなんじゃ、ないよ……だって、義理とはいえ、兄妹、なんだし……」
「そんなの関係ある?」
言い訳ばかり考えていた私に、彼女は凛とした声でそう告げた。その言葉に弾かれたように顔を上げると、堂々たる態度で彼女は続ける。
「兄妹だろうと親子だろうと、好きなものは好き、欲しいものは欲しいで良いじゃない——それになんの問題があるの?」
ふぅ、と呆れたような吐息、細められた瞳、揺れるまつ毛——どこを取っても「魅力的」としか言えないような顔と声と姿で、彼女はそうきっぱりと言い切った。
「……メイヴちゃんって本当に、いい女だよなぁ……」
「当然じゃない」
ふふ、と笑って席を立った彼女は、最後に「もしそうなったのなら、クーちゃんは私が貰うわね♡」なんて、可愛らしくウインクをしてから立ち去ってしまった。
夕方家に帰ると、件の相手、ランサーが「おかえり」とリビングで迎えてくれた。……なんとなく、朝のことも昼の会話もあって気まずかった私は、それに対して小さな声で「……ただいま」と返すのが精一杯だった。
それを不機嫌と取ったのか、彼は呆れたようにため息をついてから「まだ怒ってんのか」と言って冷蔵庫をひらいてその中の物色をはじめる。
「む……全然怒って、ないですけど……」
「嘘つけ、朝はカンカンだったじゃねぇか」
「そんなこと……は……あります、けど……」
それはちょっと大人気なかったというか、ともじもししているばかりの私に、彼が四角い箱を押し付けた。これは? と聞くよりも先に、彼は「詫びだ」と言って息を吐いた。
「……ケーキ……」
箱を開くと、見慣れたケーキが二つ。
「いちごのいっぱい乗ったやつ……だったか? 今日、バイト帰りに買ってきた」
「……! あ、ありがと……」
あの時、エミヤの兄の方に奢って貰おうとして食べ損ねたケーキ……そんなことを覚えてるなんて、マメな人だ。いつもは、もっとガサツで、適当そうな人のくせに。
「……これ、二切れだけですか?」
「は? お前そんなに食うつもりなのかよ……」
「ち、違いますって……みんなの分がないなら、みんなが帰ってくる前に食べちゃおうかなって」
「あー」
「ご飯前だけど、今のうちに食べちゃいましょ……もちろん、共犯になってくれるんですよね」
キッチンから二枚のお皿を用意して微笑むと、彼も二本のフォークを手に「そりゃあな」と笑い返してくれる。それだけでこんなに満たされたような心地になるのなら、やっぱり私は——
——なんて、今はもう少しだけ秘めておこう。そんな気持ちも甘いクリームも、全部ごちゃ混ぜにして私はごくりと飲み込んだ。