意識、未通!
覚えのない失言というのは思ったよりも自分を苦しめるものだ。今までも何度かそんなことはあったが、今回のはド級と言っていいだろう。
「……あー、悪い、ちょっと待ってくれ……えーと……なんだって?」
困惑した声を出しているのは兄であるキャスター、その前には義理の妹である涼が、何故か床に正座をした状態で座っていた。
「だ……だから……その——やっぱり、しょ、処女……って……めんどくさいんでしょうか……?」
——そして、その口からは、そんな言葉が飛び出した。
「………………ふぅー…………」
やけに重いため息、そりゃそうだ、もし相談されたのが俺だったとしてもそうなる。
俺は二人と同じ部屋——ではなく、その部屋の外から、二人にはバレないよう身をひそめながら長い息を吐いた。
いや、まずは釈明をさせてくれ。俺は元々こんなコソコソと盗み聞きをするためにここに来たわけではなく、ただ単純に、涼のやつに用があって探していただけであって。
リビングにも居ないし、あいつの部屋にも居ない、それで、キャスターの部屋から何やら声がするもんで、「なんだキャスターんとこにいたのか」って感じで部屋に入ろうとしたところ——
「男性経験の有無は、女性としての魅力に関わるんでしょうか……」
——と、そう言った彼女の声が聞こえて——思わず、俺は扉の前で身を隠してしまった。
(つーか、そんな話を扉開けっぱなしでしてんじゃねぇよ……!)
柄にもなくそんなことを考えながら頭を抱える。うちは元々男家族、俺を含め他の兄弟もいちいち扉を閉めるなんてことしてはいなかったが……今は状況が違う。
フェルグスの叔父貴が再婚、新しく義理の
「ちなみになんだが……なんで突然んなこと聞いてきたんだ?」
「ま……前に……ランサーさんが……」
——俺が?
覚えのなかった俺はさらに息を潜め、彼女の声に耳を傾ける。
「……『処女はめんどくさいから、慣れてる女の方がイイ』って……」
「あー…………」
——そんなこと言ったか!? 俺!?
思い返してもとんと記憶がない。いや、しかし、きっと言ったのだろう。友人と酒などを囲んでいれば言いそうなものだ。俺だし。俺自身のことは俺が一番よく知っている。だがいったい、いつあいつの耳に入ったというのか。
キャスターもキャスターだ、何かうまくフォローの言葉でも……と思ったがまず無理だろうな、あいつも多分、同じようなことを言い出すタイプだし。
(そもそもなんでよりによって
もっと他に相談相手が——と、考えたが——多分……いなかったのだろう、と、思い直す。
一番頼りにできるはずの母親は叔父貴と二人でハネムーン、高校生のプロトや自分に好意を持っているオルタに相談するわけにもいかず、残されたのがキャスターだった……というようなところだろう。
だがそれは考えうる限り一番の悪手だ。なんせ——そいつは俺たちの中で誰より女癖が悪い……!
「——なら、俺が貰ってやろうか?」
「な」
——そらみたことか。
どうせあのキャスターのことだ、九割は冗談で、一割ほど「そうなったらそうなったでラッキー」くらいの気持ちでそんなことを言っているに違いない。
そう、それくらいの気持ちで——それくらいの——奴に——
「——ふっ……ざけんなよ! なんでてめーにやんなきゃいけねぇんだよ!! ……あ」
——俺は思わず、そう叫んで二人の前に飛び出していた。
「らッ……! らん……らんさー、さっ……!? なんっ、いっ、いつから……!?」
「割と最初からいたよな」
「キャッ…………キャスターさん気づいてたんですか……!?」
「おう」
しれっとした顔で肯定するキャスター、まぁバレているかもしれないとは思っていたが、そう当然のような顔をされるのは腹立たしいな。
俺とキャスターの顔を見比べながら、どんどん顔を赤くする涼。ついに耳の先まで真っ赤になってから、わなわなと肩を震わせだした。
「さ、さ、さ……最低ぇ……! た、立ち聞きなんて! そ、そ、そ、そ、そんなことする人だとは思いませんでした……っ」
「いや、俺は……」
「うー……! ランサーさんのばかぁっ……!」
パシン、と軽快な音を立てて俺の頬は叩かれる。呆気に取られる俺の横をすり抜けて、彼女はバタバタと階段を駆け降りて行ってしまった。
「おい、しっかりしろランサー」
「……なんで俺が叩かれたんだ……?」
「まぁ盗み聞きしてたからだろ」
ならそれを許容していたキャスターだって責められるべきじゃねぇのかよ。前々から思ってはいたが、あいつ、キャスターにはちょっと甘くねぇか。
——いや、ちげぇな、多分、俺だけ扱いがひどいだけだ。初日のせいか、それともその後のゴタゴタのせいか、とにかく俺にだけ異様に当たりが強い。
何かあれば突っかかってくるし、張り合ってくるし……あいつが頬を膨らませるのを見るのは、俺が一番多いだろう。
それを特別だと舞い上がるほど若くもないが——話している時に、恥じらうように赤く染まる頬を、向けられる熱のこもった視線を、時折見せる、あの笑顔を見て——嫌われていると思うほどは愚かでもなかった。
「珍しいな、
「……手の早さを
あぁそうだ、いつもなら、普段なら、今まで通りなら——俺は多分、もうあいつを抱いている。だというのに今回はこうして、立ち聞きの言い訳すら述べられずに顔に赤い紅葉を咲かせていた。
情けねぇ、ナンパに失敗した経験はもちろんあるが、言葉も出ないというのは流石に初めてだ。
……すれ違いざまの、彼女真っ赤な顔を思い出す。
(——
俺のなんでもない一言で思い悩んでいたこと、
その相談を俺ではなくキャスターにしたこと、
俺には聞かれたくないと思っていたこと、全部——そういうことかもしれないと。
(——もしかして、お前も)
今俺が、お前に好きだと伝えたなら、お前はどんな表情をするだろう。
期待と不安に高鳴るこの胸の鼓動を恋というなら——なるほどどうして、これが俺の初恋と言っても過言ではなかった。
(……つーかよ、