気まぐれブラッシング
「あ、オルタくん! またちゃんと髪乾かさないままで……」
「ん」
前髪からぽたぽたと雫を落としながら、彼は手にしたアイスに齧り付く。その上そのままソファに腰掛けようとしていたので、私は待て待て待てと彼を静止した。
「そのまま座ったら濡れちゃうでしょー」
「……いいだろ、別に」
「だ……だめだよ……家具は手入れが面倒なんだよ……」
せめて、と彼の長い髪が背もたれにつかないよう持っていた髪ゴムとタオルで彼の髪をくるんとまとめる。彼はそれが終わると「ようやく座れる」と言ったような様相で、どかりとソファへ腰を下ろした。
「わ、わ、ほどけちゃう」
「だったらもっとキツく縛れ」
「それじゃ跡がついちゃうからダメ」
しかし、ただでさえストレートでサラリとしたツヤのある髪だ。跡がつかないように留めただけではすぐにバラけてしまうだろう。
「……仕方ないなぁ……オルタくん、髪、乾かすよ」
「ん」
良いとか悪いとかではなく、それだけ返事して彼は私に頭を預けるように差し出した。……本当は、自分で乾かしてほしいんだけどなぁ、と苦笑いをしながら、私はドライヤーとブラシを手に取った。
「あ、どうせならほら、後ろからやるから……こう……上を向く感じで」
「ん」
「そうそう! じゃあそのままね」
いつの間に食べ終わっていたのか、アイスの棒を咥えたまま彼が上を向き目を閉じる。私は、それ、行儀悪いからやめなよね、と言ってからドライヤーのスイッチを入れた。
(それにしても……本当にサラサラ……)
ドライヤーの風を当てながら、指で彼の髪を梳かす。するすると、指の隙間を彼の髪が通り抜けては落ち、通り抜けては落ち……あぁ羨ましい、朝急いでいる時に櫛に髪が絡まってさらに焦る、なんてこと、彼には一生縁がないのでは? 本当に羨ましい。
根元が乾いたら次は毛先へ、ゆっくりゆっくり彼の髪にブラシを通すのは、思いの外楽しかった。
「〜〜♪」
鼻唄なんかも歌っちゃったりなんかして。上機嫌で手を動かし続けていると、いつのまにか目蓋を開けていた彼と目があった。
「……楽しいのか」
どうしたのだろうか、とドライヤーを一旦止めると、彼がそんなことを聞いてくる。
「楽しいよ、オルタくんの髪、綺麗だし……」
さらさらで、キラキラで、つやつや……いいなぁ、おかしいよなぁ、同じジャンプーを使ってるはずなのに。これが生まれつきって奴なのかなぁ。ずるいなぁ。
羨ましさ半分、その艶髪の手入れをさせてもらえてる優越感半分で、彼の髪を撫でる。彼は「そういうものか」と言いながらもう一度目を閉じた。その様子が心地良さそうだったので、私は思わず微笑んだ。
(大人しく撫でられてる大型犬みたい)
……とは、絶対口には出さないが。
「でも意外だな、オルタくん、人に触られるの嫌そうなのに」
普段、彼が誰かに触れているのを見ることは少ない。それこそ兄であるキャスターやランサー、弟のプロトでさえ、老若男女関わらず距離が近いというか、割とすぐに人と触れ合うタイプなだけに、なんとなくそれが気にはなっていた。
メイヴが彼のそばにいる時だって「ちけぇ」「よるな」「さわんな」なんて言って(けど振り払ったりはしないで)むすっとした顔をすることもしばしばなのに。
「……別に誰にでも触らせるわけじゃねぇ」
「やっぱり? じゃあなんで私は——」
「好きなやつだけだ」
ブラッシングをしていた私の手が完全に止まる。言葉が出ずに黙り込んでしまった私の瞳を、彼がジッ、と覗き込んだ。
「お前だけだ」
「そ………………そっ、かぁ……」
追撃のように繰り返されるその言葉に、私は頬が熱くなるのを感じる。あぁもう本当、開き直った人間の好意ってやつはずるい。
……ちょっと、悪い気はしないなって思ってしまった。
「次はお前のもやらせろ」
「え、えぇ……オルタそういうの別に好きでもなさそうなのに……?」
「てめぇに触れたい」
「う……! えっと……うん……今度ね」
今日はもう、自分でやっちゃったから、なんて言って私は目を伏せた。今を凌げればとりあえず……と思っての言葉だったが——後日、ドライヤー片手に私のお風呂上がりを待ち構えていた彼を前に、私は観念するしかなかった。