本当に、特別だよ


 猫の尻尾は機嫌が悪いと揺れるという。
 厳密にはその限りではないが、とにもかくにも、大きく左右に揺らされるその尻尾が、今日の彼にも見える気がした。

「……オルタくん、機嫌悪い……ね?」
「別に」

 そんなことを言ってはいるが、彼が不機嫌なことは誰が見ても間違い無くて。私は不安二割、心配八割と言った心持ちで「どうかしたの」と彼に尋ねた。

「もしかして私が何かしちゃったのかな」
「……お前のせいじゃねぇ」

 私が原因ではないとは言いますが、こちらとしては私起因のものしか思い当たらず。
 なにせ数日前にご褒美がどうの、キスがどうのと騒いでから、オルタはほぼずっと私の隣にいたもので。

(守ってくれてたんだろうなぁ)

 お陰でさしたる被害もなく、セタンタ以外の三人については徐々にそんなことも忘れてきているほどになっていた。

「じゃあどうして?」
「……」
「そんなに言いたくないかなぁ……」

 本当に言いたくないのであれば、聞かない。……と、言いたいが、正直なにかあるなら相談はして欲しい。だって、私はいつも助けられてばかりだし。

「……キス、」
「え?」

 黙り込んでいた彼が、俯いたまま小さく呟くのが聞こえた。なんて言ったの? と顔を覗き込むと、眉間に皺を寄せ、バツの悪そうな表情で彼は私を見る。

「…………、ここまで、充分、耐えたと思うが」
「あ……え、っ?」

 むすっ、という擬音が聞こえてくるんじゃないだろうかというくらい、ふてくされた顔で、彼はそんなことを口にした。耐えた、何に? そんなものは一つしか心当たりがないわけだが、きっとこれは自惚れなんかじゃないはずだ。

「……オルタくんも、したかった?」

 そして無言、これは、肯定の意に外ならず。
 我慢、してたのか。
 それは……それは——

「——オルタくんってやっぱり、可愛い、よね」
「あ?」
「ふふ、ダメだ、もう、凄んでても可愛い、ふは、ほんと、かわいいよ……」

 耐えきれず笑い出してしまう私に、彼が怖い顔で凄む。が、そんなもの、今の私にはちっとも怖くなんてなかった。だってそんな、セタンタと同じような理由で、すねているだなんて。

「んふふ、あは、はは……ごめん、ごめんね、馬鹿にしてるわけじゃないんだよぅ、怒らないで?」
「ち……」

 舌打ちをしたきり、彼はまた黙り込んでしまった。ここで迫ったりはしないあたり、きっと無理強いなんてしたくないのだろう。

(断れない、いや、断りたく、ないなぁ)
 
 ……押してダメなら引いてみろ、という言葉がある。彼は故意ではないにしろ、なんともうまく私の心を引き寄せたものだ。

 私は「仕方ないなぁ」なんて言ってから、彼に少し、身を寄せる。驚いたように瞬きを数度繰り返した彼に微笑むと、彼の赤い瞳も、ほんの少し、弧を描く。

「目はつぶっていてね?」
「あぁ」

 誰より素直に瞼をおろした彼に、私はまた少し、近づいた。けれど、それじゃあ少し物足りないのかな、なんて、少し気の大きくなった私は、腰かけたまま微動だにしない彼の膝の上に向かい合わせで座り込んだ。

「……——」

 自身に乗り上げたその重量の意味に気づかない彼でもないだろうに、眉をピクリと動かしたものの、それ以外は目を開けることもなく、ただ、静かに私の次の行動を待っている。
 その律義さがやけに愛おしくて、「かわいいね」などとまた言いそうになって、こらえて、一人でそんなことを考えているのもなんだかおかしくって。私はなんだかやけに浮ついた気持ちのまま、彼の頬に両手を添えた。

「……ん、」

 そうして、自分の唇を、彼のかさついた唇にくっつける。本当にくっつけただけの、子供じみたキス。それでも彼は身じろぎひとつせず……ただ少しだけ、食むような動きで、私を押し返したような仕草をした。

「……、もうおわり! ……満足した?」
「まぁ、そうだな」

 その体勢のまま、少し彼から身を離すと、随分と機嫌のよさそうな彼と目が合った。「今日のところはな」なんて言っている割には、ここ最近で一番の笑顔に見えるのは、彼に対するひいき目というやつなのだろうか。

「……他のみんなには内緒ね」
「言うつもりはねぇよ」

 それもそうか、と納得してから、そのまま彼に全体重を預けてしまう。よく考えればとても恥ずかしい状況なのかもしれないが——数日、柄にもなく私の騎士なんかをやってくれていた彼へのご褒美ということで、ひとつ。

 誰かに見つかってしまうまでは、もう少しこのままで。