「お弁当パニック!」


「そういうわけなので! お願い……!」
「どういうわけだ」

 私は両の手を合わせ、目の前に立つ男……エミヤのお兄さんに頭を下げる。彼は呆れた顔をしながらも、「それで、どうしたって?」と、私の話を聞いてくれるらしかった。

「どうしてもお弁当作らなきゃいけなくなって……だから、エミヤのお兄さんに料理を教えて欲しいの……!」



 来たる来週の日曜日、その日は、末弟のプロトの部活の大会がある日だった。
 いつもなら長兄キャスターがお弁当を作って持たせてくれるらしいのだが、運悪くその日はどうしても仕事で家を離れなければならないとのことで。

「ランサーとオルタじゃ力不足だからよ……悪いが、頼まれちゃくれねぇか」

 そう言われて、いつもの食事のお礼になるのなら、と二つ返事で了承したのはいいものの、一つだけ問題があった。

「弁当って、君――料理は苦手だっただろう」
「う……」

 ――そう、つまりはそうなのである。

「だ、だからぁ、教えて欲しいって頼みにきたの! お願い、お兄ちゃん・・・・・お兄ちゃん……!」
「……はぁ」

 目の前でため息を吐く、私がお兄ちゃんと呼んだこの男の人はもちろん私の血の繋がった兄ではない。以前の家のご近所さん……というか、どちらかといえば幼馴染に近いようなものである。
 昔からなにかと世話を焼いてくれていたので、できれば今回も……と、思っていたのだが。

「……お兄ちゃん……」
「…………仕方があるまい」

 ――やはり、やはりな?

 ふふふ、全くこの人は、あいも変わらず身内に甘い。特にこの「お兄ちゃん」呼びは彼に対して効果てきめんらしく、大体のお願いは聞いてくれるのだ。

「なにを作るかは決めているのか」
「ううん、全然!」
「ならそこからだな……」

 買い出しに行くぞ、と歩き出す彼の背中を、私は浮かれた足取りで追いかけた。


 
「なっ」
「げ」

 ――なんでお前(貴様)がここに。

 自宅へ帰り第一声、片方は私の背後のエミヤから、もう片方は……何故か、目の前にいるランサーから上がった声だった。

「あれ、知り合い……?」
「あ、あぁ……同じ学部の男だが……おい、まて、[#da=2#]、まさか兄弟になったというのはこの男のことか!?」
「そういうお前はこいつのなんなんだよ、なんで一緒に家まで来てんだ……まさか、コレか?」
「ばっ……そんなわけないだろう! 相変わらず下世話な男だな!」

 その、小指を立てる奴は、ちょっと古いんじゃないでしょうか。
 そんなことを考えながら、言い合いを続ける二人を黙って見比べた。最初の会話からどんどんくだらないことで争い始めたあたりで、私は「なまもの、傷んじゃうよ」とエミヤの服の裾を引く。

「む、そうだな……すまない」
「いや、つか、まじで何しに来たんだよアーチャー 」

 警戒心を隠さないまま、ランサーはしげしげとエミヤの顔を睨みつける。……アーチャーというのはエミヤのあだ名か何かだろうか。

「私が料理教えてってお願いしたの」
「ほぉ……ま、こいつの飯うめぇもんな」
「そうそう、今度プロトくんのお弁当作らなきゃだから」

 ……なんでランサーがそんなことを知っているのか……それはまた今度聞くことにして、私はエミヤの手をひきキッチンの冷蔵庫まで案内する。ランサーはといえばそれだけでもう私達には興味を無くしたのか、「ちょっと出てくるわ」と言って何処かへ出掛けていってしまった。

「とりあえず全て冷蔵庫に入れるぞ」
「うん」

 買ってきた食材を片付ける片手間、調味料や調理器具の場所を確認する。彼にとって初めての台所であるのは当然だが、私にとってもほぼ見知らぬ場所であることに変わりはないのだ。

「……えーと、フライパン……なべ……菜箸は……あ、あった」

 ある程度配置を把握したあたりで、エミヤが腕捲りをし、「よし」と言って手にした卵を私の前に差し出した。

「では、まずは基本、卵焼きからだな」
「おす!」

 そして、私のお弁当戦争が始まった――
 



「………………おす!」

 ――お弁当戦争、即・終結。結果はもちろん……惨敗である。

「もはや才能だな」

 焦げ付いている癖に中は生焼けの卵焼き(仮)を見下ろしながら、エミヤは大きくため息を吐く。その卵焼き(仮)は、箸でつつく側からぼろぼろと崩れ、どちらかと言えばスクランブルエッグに近い代物だった。

「外はこんがり、中ふんわり……」
「物は言いようだが、それで結果が変わるわけでないぞ……だから火を強め過ぎるなと言ったんだ」
「うう……」

 卵焼きくらいなら自分で作れる! と豪語した私に、彼は「ならば口は出さないでおくよ」と、見守りの姿勢を取ってくれていた。その彼が、ちょっとまて、と口を挟みたくなるくらい私の調理には問題があったらしい。
 まぁ、その助言があってもこのざまなんですが。

「……とりあえず、次は私が作る。火加減も含めてよく見ておけ」
「はい……」
「――ただいま……って、何やってんだ、姉貴」

 居間に、プロトがひょこりと顔を出す。キッチンはカウンターのようになっているので、その姿はすぐに私の視界に入った。

「あ、お、おかえり……ちょっと、料理の練習を……」
「へぇ……っと、誰だ?」

 すぐには気づかなかったのだろうか、こちらへ歩いてきたプロトが途中でエミヤに気づき、訝しげな表情をする。それがさっきのランサーとよく似ていて、少しおかしかった。

「えっと、料理の先生……かな? エミヤのお兄さん、こっちは弟のプロトくん」
「邪魔しているよ……ふむ、なるほど、確かにランサーによく似ているな」
「げ、なんだよ、兄貴の知り合いか?」

 ランサーの名前が出た途端に顔を顰めるプロト、兄弟仲は悪いようには見えなかったが……まぁ、そういう年頃なのだろう、高校生というのは。
 一方の私はプロトがエミヤに意識を向けている間に卵焼き(仮)の乗った皿を後ろ手に隠す。お弁当の出来を心配させたくもないし、何より恥ずかしい……しかし、残念ながら聡い彼の前ではそれは無意味だったようで。

「……で、それは? 何作ってたんだ?」
「えっ!! ……た、卵焼き、かな」
「ふーん、なんで隠すんだよ」
「…………ちょっと失敗しちゃって」

 じっと見られるプレッシャーに負け、おずおずとその、まだら模様の卵を差し出す。プロトくんは驚いた顔をしたものの、「どれ」と言ってその皿に手を伸ばした。

「あっ……! だ、だめだよ、お腹壊しちゃう!」

 止めようとしたが間に合うわけもなく、その失敗作はすぐに彼の口の中に放り込まれてしまった。

「……ん、すげぇな、カリカリなのにどろっとしてやがる」
「だ、だからダメって……うう、ごめんね、ちゃんと当日には美味しいの作れるように頑張るから」

 しょんぼり、自分でもよくわかっているとはいえ、改めて失敗を突きつけられるとちょっと落ち込む。

「いや……つか、やっぱこれって、俺の弁当の練習なのか」
「うっ、そ、そう……ごめんね、料理下手くそで」

 流石に飽きられてしまっただろうか……とさらに肩を落とした私に、彼は「無理はしなくていいぜ」と眉尻を下げた。

「キャスターに頼まれたか知らねぇけど、ないならないで別にコンビニとかで買って食うしよ」

 でも、頼まれたのは私だし……そう言いかけて、しかしそうした方がプロトのためになるのでは……と考え口をつぐむ。やっぱり、これは私のエゴなのだろうか。
 ――だけど、

「……ううん、頑張る。プロトくんに美味しいって言ってもらえるようなお弁当作れるように頑張る。だから、私に作らせて? ……プロトくんが良ければだけど」

 おずおずと彼の制服の裾を引く。もし彼が少しでも難色を示せば大人しく引き下がろう……そんな事を思いながら彼の顔を見上げると、何故か頬を赤くした彼が言葉を失ったように口をぽかんと開けていた。

「? プロトくん……?」
「あっ、いや……! じゃ、じゃあ、楽しみに、してる、ぜ……」
「う……うん」

 しどろもどろになる彼に、私もなんだか恥ずかしくなってしまう。後ろで「青春だな」と訳知り顔をするエミヤが、少しだけ腹立たしかった。



 
 試合当日のお弁当は、エミヤの教えの甲斐もありなんとか上手く作れたと思う。その日家に帰ってきたプロトは空のお弁当箱を見せ、「ごちそうさま」と言って笑った。