「長男の怪しいお仕事」


 この家の財源は、養父であるフェルグス……そして長兄・キャスターの「お仕事」によるものらしい。
 養父に関して言えば、母が「外資系の金融会社だ」と話していたのを聞いたことがある。会社勤めで今はその長期出張で海外へと働きに出ているわけである。

 しかし、問題はこの長兄キャスターだ。日々家の中におり、なんの仕事をしているのか訊ねても毎回「秘密だ」とかなんとか言いながらはぐらかされてしまう。部屋にも何故か入れてくれないし。

 ――目の前で倒れ臥すその長兄本人を見下ろしながら、そんな事を考えていた。

「キャスターさん、廊下で寝たら風邪引きますよ」
「……お、おー……」

 肩を叩きそう声をかけると、意識が戻ったのかフラフラと立ち上がる。その目の下には濃いクマがあり、一体何日徹夜したのか、と私はため息をついた。

「肩貸しますよ」
「わりー……居間のソファに頼むわ」

 そこは部屋のベッドじゃないのか、とは思いつつ、言われたとおりにソファまでの移動に手を貸す。ぶつぶつと何かを呟いているが、仕事の話なのだろうか。
 ……ここにきてまだ日は浅いが、倒れる彼を見るのは何度目の事だったか……数えてはいないが、おそらく結構な頻度だと思う。

「何か飲みます?」
「……あー……コーヒー」
「ま、まだ寝ないつもりなんですか?」

 ソファの上に彼を転がし、私はキッチンのコーヒーメーカーを起動させた。たしかいつも彼が飲んでいたのはブラックだったはず、と私は彼のお気に入りのカップをセットする。

「いや……もう少しで今の仕事も終わるはずなんだわ、ここさえ越えればまたしばらくゆっくりできるからよー……」
「へぇー……そうなんですね」

 ソファの背越しに上がる彼の腕が心なしか震えているような気がする。……そんなに大変なお仕事なんだろうか。

「はいどうぞ」
「さんきゅ……」

 ず、と彼がコーヒーに口をつけたところで、家のチャイムが鳴り響いた。今この家にいるのは私と目の前の彼の二人だけ……限界状態の彼に応対させるわけにもいかず、私は「はーい」と言って小走りで玄関へ向かう。
 インターホンには紫の髪の女性が映っていた。どちら様ですか? と問いかけると、私の声に少し驚いたような顔を見せてから「クーフーリンはいるか」と凛とした声で返事が返ってくる。

「え、えっと……一番上のクーフーリンなら居ますけど……」
「よし、そやつに用がある。中に入れてくれ」

 自分の素性は名乗らないままではあったが、その堂々とした物言いに気圧されてしまい私は大人しく玄関の戸を開ける。
 そこに居たのは想像よりも背の高い、すらっとした大人の女性で、私のことを見下ろし目を少し細めてから、「邪魔するぞ」と言って我が物顔で家の中へと足を踏み入れた。

「あ、あの……!?」

 声をかけようとするがそれで止まることはなく、彼女はスタスタと迷うことなく居間へ赴き――直後に、キャスターの悲鳴が聞こえてきた。

「!? キャ、キャスターさん……!?」

 何事かと私も急いで彼女を追いかける。居間に入るとそこには、青い顔でソファから転がり落ちるキャスターと、先程の彼女が、彼を蹴り飛ばしたであろう姿勢でそこに立っていた。

「……っでぇな!? いきなり訪ねてきてなんなんだいったい!!」
「まったく、嘆かわしいぞクーフーリン、私からの連絡に返信をよこさんと思えば……よもや昼間から女を連れ込んでいるとはな」
「おっ……!?」
「ちっげーって! 誤解だ! あいつはそういうんじゃ……ぎゃあああああ」

 再び彼の悲鳴が響く。それを聞いた私はようやく我に帰り、とにかく彼を助けなければと必死にその女性を止めたのであった――


 
「なんだ、こやつが言っておった義妹というやつか。それなら先にそう言えば良いものを」
「いうまも無く襲ってきたのはそっちですよねぇ!?」

 ようやくなんとか誤解が解けた時、彼女――スカサハは、そう言って快活そうな顔でカラカラと笑った。
 彼女はどうやら彼ら兄弟の叔母に当たる方だそうで、そう言われると確かに、その笑顔などは少し彼らと似ているような気もする。

「えっと、挨拶が遅れてしまってすいません、[#da=1#][#da=2#]と言います……よろしくお願いします」
「うむ、スカサハだ、よろしく頼む」

 差し出された手を取り、名乗り合う。目の前の彼女は女性の私から見ても格好良くて、メイヴとはまた違った意味で魅力的な女性だと感じ、私はつい頬を熱くした。

「して、クーフーリンよ、例のものはできたのだろうな」
「いや……つか納期までまだあるだろ、もう少し待てよ」
「なんだまだか、情けない」

 親戚……とのことだったが、早速始まったのは仕事の話のようだった。同じ会社で働いているとかなのだろうか。
 ……本来なら、気を使って離席するべきだというのはよくわかっているが、つい、彼等の仕事について興味が湧いた私は、「お茶入れてきますね」と客人をもてなすフリをして二人の会話に聞き耳を立てる。

「だから、流石にそのスケジュールだと死ぬって言ってんだろ!」
「軟弱だな、私の甥ならこれくらいこなして見せろ」
「無茶いうな!」

 納期……締め切りのあるお仕事ということだろうか。そう言われて真っ先に思い浮かぶのはやはり――

「えっ……! もしかしてキャスターさん、漫画家さんだったんですか……!?」
「ぶっ」

 思わずそう声にでた私と、何故かそれを聞いて吹き出す彼。間に挟まれたスカサハは、数度瞬きを繰り返した後に、心底愉快そうに笑いだした。

「ち、違いました……?」
「はっはっは! いや、当たらずともいえども遠からず……だな。なんだお主、義妹に自分の仕事の話はしていなかったのか」
「ごほっ……うっせー」

 咳き込みながら悪態をつくキャスターは、心なしか居心地が悪そうな表情をして私から目を逸らしている。それを横目に、スカサハは自身のカバンから一冊の本を私に手渡した。

「これは……?」

 分厚い本だ。内容は……推理小説、だろうか。そういえば、何度か書店でこの表紙を見かけたこともあったような気がする。

「それがこやつの仕事だ」
「へぇー……えっ、あっ……えぇっ!?」

 それ、それ、それ……それというのは、つまり、なんだ、これを、キャスターさんが書いたということか……!?

「えっ、えっ、えっ、す、すご……え!? 作家さんなんですか!? い、いつも部屋から出てこないから私てっきり……」
「甲斐性なしだと思ったか?」
「い、いえ! その……人には言えないようなお仕事なのかと……」

 正直、とてつもなく怪しい仕事なんだと思っていた。
 そう言った私の顔がよほど真剣だったのか、彼女は一層大きな笑い声を上げる。彼の方はといえば、両手で顔覆い隠して俯いたまま何も言わない。指の隙間から見える頬が心なしか赤く染まっているようにも見えた。

「くく……なんだなんだ、何をもったいぶっておったのか、隠すほどのことでもなかろう」

 彼女のいう通りだ。別に何を恥じることもない立派なお仕事ではないか、むしろ誇って良い誇った方が良い。
 うんうんと首を縦に振る私に、彼は「あー……」と言い淀んでから、心底気まずそうな顔で、小さな声を絞り出す。

「…………柄じゃねぇだろ」

 もう耳まで真っ赤にしながら彼が長い息を吐いた。たしかに、彼も彼の兄弟も、あの父親も、なんなら目の前のこの叔母さえも、体育会系という感じではあるが――

「……そんなこと、ないと思うけどなぁ……」

 まだ彼と知り合ってまもないし、彼のことを理解しているかどうかと聞かれれば私は即答もできないだろう。だけど、例え彼がどんな人間だったとしても、柄だとか柄じゃないとか、そんなことはどうだっていいと思うし。
 それに……そうじゃなくても……

「――キャスターさんは、思慮深くて優しい方だと思いますけど……」
「ほほう」

 どこにそう感じた? と、心底楽しそうに彼女は私に詰め寄った。私は失言だったかもしれないと後悔しつつも、なんとなく逃げられる気がしなくて観念してまた口を開く。

「えっと……私にとても気を遣ってくださいますし……」
「ほう、こいつが?」
「は、はい……ほら、部屋に鍵がついてないから〜って、この間新しくつけてくれたじゃないですか」
「……中からしか掛けれねぇがな」
「それでも充分ですよ」

 そもそも、そんなものなくても……という私に、「警戒心がない」「もっと気をつけろ」と彼がわざわざ工具を持ち出して取り付けてくれたのだ。

「それに、お風呂の時間とかちゃんと考えてずらしてくれるし……」
「なるほど?」
「私が越してくる前に、タオルとか食器とか細々としたもの用意しておいてくれたのはキャスターさんだってきいたし……」
「だぁーっ! まてまてまてまてそれ以上はやめろ! 恥ずかしいわコレ!」

 それと作家が似合うかどうかは関係ないだろ! と彼が叫んで手元のコーヒーを飲み干した。

「それで? クーフーリンよ、私は今日は原稿を回収するまで帰るつもりはないが……どうする?」
「……っ! おい! すぐ終わらせるからあんまり余計な話するんじゃねぇぞ……!」
「ははは、それはお前次第だな」

 彼は勢いよく立ち上がり、自室のある二階へと早足で戻っていく。そのすぐ後、彼女が彼の幼少の頃の話をし始めたのは……彼には、黙っておくことにした。
 
 
 
「……あれ、それじゃ部屋に入れてくれなかったのって」
「いや、まずいだろ、義理の兄妹とはいえ年頃の女の子が異性の部屋にくるのは」
「何をいう、どうせ部屋が汚いだけだろうお主は」
「………………んなことねぇよ」
「こ、今度お掃除手伝いますよ……!」