「勘違い、すれ違い」


「うぇーん!!」
「……悪かったって」

 夕方、ご飯前、私の部屋。わんわんと声を上げて泣いている私と、気まずそうなランサー
 あの後どうやって帰ってきたかよく覚えてはいないけれど、部屋に着くなり悲しい気持ちに耐えられなくなった私の目からはポロポロと涙がこぼれ、彼が私の部屋を訪ねる頃にはそれはもう滝みたいに次から次へと溢れてしまっていた。

「オルタくんに嫌われだぁ〜!!」
「やっぱあいつのこと好きなんじゃねぇの」
「ぢがうぅー!!」

 そういう問題ではないんだ! と癇癪を起こした私は彼に枕を投げつける。それをなんなく受け止めてから、彼はやはりどうしたものか……と……ため息混じりに頭をガシガシ掻いていた。

「オルタくんは、いい子、だからぁ……! わたっ、私が、困ってる時、助けて、くれて……っ、優しくて、大好きな、後輩……だからぁ……、嫌われたく、なかったのにぃ……!」

 ――初めて会った時もそう、二年目だというのに中々講義室の場所を覚えられない私に、彼が声をかけてくれたのだ。

「一度見れば覚える」

 一見冷たくも思えるような声でそう言ってから、私と一緒に学内を歩いてくれた。先輩なのに情けないね、と誤魔化すように笑うと、彼は「怖くねぇのか」なんて変なことを聞いてきた。

「? どうして? こんなに親切にしてくれてるのに」

 本当にわからなかったので、わからないなりにそう訊くと、彼は二度瞬いてから「変わったやつだな」と言って私の少し前を歩く――それが一番最初だった。

 それからメイヴちゃんと彼が知り合いだと知り、私たちが所属してるサークルに彼も入ることになり……三人で、時折二人で、ずっと楽しくやってきたのに、ずっと先輩後輩としてうまくやっていたはずなのに。

「オルタくんが、私のこと好きなわけ、ないのに……っ、ランサーさんが変なこと言うからぁ〜!!」

 子供のように泣きじゃくる。大学生にもなって恥ずかしい……頭の片隅にはそんな気持ちがあったのに、涙はいつまでも止まらない。
 ――正直、ずっと不安だったのだ。突然、頼りにしていた母が居なくなって、突然、知らない人たちと住むことになって……そんな中で、最後に頼りにできるのが、以前からよく知っていた彼、オルタだけだったのに。

「わーん!!」
「な、泣くなって……多分オルタもそんな気にしてねぇよ」
「なんでわかるんですかぁ」
「俺だったら気にしねぇし」
「ソースが不明瞭だぁ〜!!」

 いくら実兄弟とはいえ別個体、彼がそう思っていたとしても、オルタもそうであるとは言い切れないだろう。そんなの、気休めにすらなりはしない。

「……んん……いや、そうだな……俺の方からもあれは俺がからかったから出た言葉だって改めて伝えとくわ、それじゃダメなのか」

 わんわん喚き続ける私に、彼がそんな提案をする。それで彼が納得してくれるならそれでもいいが、そんな簡単に行くのだろうか。

「あとはまぁ……いつも通り接してりゃ誤解だってわかってもらえんじゃねぇか?」
「いつもどおり……」

 気を使うと余計にあの言葉が本当みたいになってしまう……ということだろうか。しかし、それはそれでなかなか難しい気がする。「わかった」と返事をして鼻を啜ると同時に、私のお腹の虫がくぅと鳴いた。

「とりあえずは飯だな」
「……うぅ」

 恥じらいに顔を伏せる私の頭を、彼の手が撫でる。気安く触らないでくれ……と言いたかったが、その温かさに少しホッとしたのも事実、私は緩んだ頬を隠すこともなく彼にされるがままになっていた。

「しかしまぁ……お前も怒ったり泣いたりするんだな」
「……? それは……」

 人間ですので、と唇を突き出すと、彼はそれこそ万人に好かれるであろう快活な笑顔で私に笑いかけた。

「お前、うちに来てからよそよそしいままだし、ろくにわがままも言わねぇしよ……いやぁ、それだけうちにも慣れたってことかねぇ!」
「!」

 人から指摘されるほど私は連日緊張した顔ばかりしていた……のか。良かった良かった、と笑う彼に「良くはないんだけど」とぼやきながら、それでも彼はきっと本当に私を気にかけていてくれていたのだと思うと、その手を振り払う気にはなれなかった。


 
 
 
 そして、そんなこんなで夕食の時間。
 連日通りキャスターが用意してくれた数々のおかずをテーブルに並べながら、私はオルタの様子を伺う。
 見た限りではいつもとは変わらず……いや、そもそもいつも何を考えてるかは分かりづらいのだけど。

「……どうかしたのか、あいつら」
「いや……まぁ……」

 キャスターとランサーが何やらヒソヒソと話すのが聞こえたが、私は何もなかったような顔でいつもの席に座る。食卓の角の席、はじめの日にそこに座ってから、いつのまにかここが私の指定席になっていた。
 そして、いつもならその隣にオルタが座る。これも、誰が言い始めたでもなく自然とそうなっていた。多分キャスターなどは気を遣って空けてくれているのだろう。

 だから、彼がそこに座ったら、声をかけよう。今日のご飯も美味しそうだね、とか、課題終わった? とか、なんでも良いからとにかく声を――

「……え?」

 そう思っていたのに、彼が座ったのは私から一番遠い席で。
 これには流石に、プロトも何かよくない空気を感じ取ったのか閉口。そうして奇妙な沈黙が続く中、私は恐る恐る「なんで」と震える声で呟いた。

「――好きでもねぇ奴が、隣に座るのも嫌かと思ってな」
「…………〜〜っ!」

 彼の返答に思わず立ち上がる。ぶわ、と、込み上げる涙を必死に堪えながら、「あれは……っ、そうじゃなくて……」と言葉を紡ぐ私を、彼はただ冷ややかな目で見ていた。

「好きじゃねぇんだろ」
「そんなわけ……! 売り言葉に買い言葉というか……その……」
「なら好きか」
「そ、それは……」
「それなら、嫌いか」
「嫌いなわけない!」

 彼の淡々とした声が少しずつ近づいて、ついには真横から彼の声がする。「涼」と私の名を呼ぶ声に顔を上げると、彼が眉一つ動かさないまま私のことを見下ろしていた。

「……どっちだ、言われねぇと、わからねぇぞ」
「……う……」

 好きが嫌いかで言えば、もちろん好きだ。だけど、ここで好きだと答えれば、オルタ含む他の人にも誤解されてしまうかも――
 ――なんて、冷静に考えられるほど、私は落ち着いては居られなくて。とにかく、彼に嫌われるのだけは嫌で。
 
「す――好きだよ……っ、……!?」
 
 言うが早いか、腕を引かれるのが早いか――何事かと瞬きをする間に、私の唇は彼に奪われていた。
 
「――俺もだ、涼。テメェがうちに来るよりずっと前からな」
 
 私を抱き寄せた腕の力強さと、思っていたよりも柔らかかった唇の感触に――驚きすぎて身動きどころか息一つ出来ないでいると、遠くから、「ンンッ……」という咳払いが聞こえ、その場の全員が、ようやく正気を取り戻す。

「――っお、おおう……、と、突然の展開に止める間もなかったが……なんだ、いい感じに収まった……のか?」
「は? いや、待てって、俺だけ何もついていけねぇんだけど」
「安心しろプロト、俺もついていけてねぇ」

 彼等三人のヒソヒソ(というにはあまりにも大きな声での)話を聞きながら、いつのまにか私を抱きとめていた彼の腕を振り払おうと試みる。しかしこの体格差でそれが上手くいくはずもなく、私は真っ赤になりながら彼に「そういうすきじゃなくてぇ……!」とできる限り彼から距離を取れるよう背を逸らせた。

「好きって言ったじゃねぇか」
「そ……うだけど! それは! 後輩としてって意味で……!」
「俺はテメェを先輩だと思ったことは一度もねぇがな」
「それはそれですごい傷つくぅ……!」

 あまりに私が抵抗するからか、彼はようやく私の腰を抱く腕を緩める。私はよろよろと彼から距離を取り、その顔を見上げて――先程の、キ、キス、を、思い出し、顔がぼっと熱くなった。

「それに……っ! ………………は、はじめて、だったのに……」
「「「!?」」」

 遠巻きに話を聞いていた三人が同時に私を振り返る。各々別々の表情はしていたが……そろって三人共、「マジか」とでも言いたげな顔であった。

「な……なんですか……! そうですよ、初めてですよ! 生憎ですが私はみなさんみたいに華々しい青春なんて送ってませんから!」

 恥ずかしいやら情けないやら……これだけ顔が良く、相手には事欠かなさそうな人達の前でこんなことを宣言するのは、本当に心の底からきつい……くそう、ちょっと嬉しそうにするのやめてくれ、オルタ……!

「……ってことは、お前もしかして処――っだぁ!!」

 かなり無神経な一言を言い終わるより先に、ランサーはプロトの蹴りを受けて床に沈み込む。「言って良いことと悪いことはあるだろ」と言う頬の赤い彼も、その隣で「ふむ」と口元を手で覆い隠しているキャスターも、恐らく同じようなことを考えているのだろうことは容易にわかった。

「うっ……! うぅー! 馬鹿にしてますよね!? 絶対馬鹿にしてますよね!?」
「してねぇしてねぇ」
「うそだぁ! やっぱりみんな嫌いです!! わーん!!」
「俺は好きだが」
「オルタくんは黙っててよぉ……!!」

 喚く私と、満足そうな顔のオルタ。そして思い思いに苦笑したり、赤面したり、少しだけ不服そうな顔をしたりする他の兄弟達――混沌とした無秩序状態が終わり、私がようやく落ち着いて夕ご飯を食べ始められたのは、それからしばらく経ってからの事だった。