或る男の独白



再度閲覧前の注意です。
※合意ではない行為の描写
※未成年に手を出す言峰の描写
があります。






 少女は「無垢」であった。
 穢れを知らない、「白」であった。
 


『好きです』

 たった一言そう書かれた手紙をその少女から受け取ったのは、確か彼女が十歳になるかどうかの頃だったように思う。歳の割にませた思考をする子供だと嘆息したのを覚えている。

 初めはただ、親愛と情愛を勘違いしているだけだろうと放っておいた。しかしそれが五年近く続いた辺りで、私もようやく彼女が本気なのだと理解した。

 さてどうしたものか、と悩んだのはそれから一年、試行錯誤を繰り返したのちに、「これはもうどうしようもない」という結論に至ったのである。

 思えば、この子供を生かしたのは全くの気紛れであった。第四次聖杯戦争終了後、他の孤児院の子供達のように、地下で魔力源となってもらう予定ではあったのだ。

 しかし、私があの日、父を失った日に「どうせなら自らの手で殺したかった」と──今思えば、何故そんなことをしたのか──彼女に告げた時、

『……私のことは、殺したい?』

 ──そう問いを投げたその子供を、何故か私は殺すことをしなかったのだ。

 その時から、いや、恐らくは生まれたときから、彼女は限りなく「白」に近い「純粋」であった。望めどもそうは在れなかった私には、酷く遠い生き物のようにも感じていた。


 
 だから──その白を、黒く染めて私のようにしてみたいと強く感じたのだろう。


 
 そう思ってからは早かった。私はまず彼女に魔術の基礎を教え、そして、代行者としての任務に彼女を同行させる事にした。

 無論、魔術協会とやり合う以上、命の危険のある仕事だ、道中で命を落とすこともあるだろう。それは少し惜しい・・・が、私にとっては所詮その程度のことである。

 しかし予想に反して彼女は生命の危機に陥ることもなく、着々と力をつけていった。都合の良いことに、彼女は優秀であり、なによりも私に対して従順であったのだ。

 そして──ついにその日はやってきた。

「殺したのか」
「…………うん」

 彼女の手にした黒鍵から、生々しい赤が滴り落ちる。目の前で物言わぬ屍体となった魔術師から流れる体液と同じものだ。

 普段ならそれは私の役目だった、けれど、私はあえて彼女にその役目を担わせた──魔術師の命を奪う、最後の一刀を。

(さぁ、絶望に涙を流すか、自身の行いに憤りさえ覚えてみせるか、それとも、心が死んでゆくのか)

 仄暗い期待を抱きながら彼女の名前を呼ぶ。屍体を見下ろしていた少女は、それに応えるように振り返った。

「これで良い? 綺礼」

 ──普段と変わらないままの微笑みで。

「──」

 落胆、と言っても良いかもしれない。まさか初めて人の命を奪ったその瞬間も、少女の心が揺れないなどということは予想もしていなかった。

 やはり私のような破綻者には、同じようにどこか破綻した子供しか育てられないとでもいうのだろうか。

 もしや、感情というものを持ち得ないのか……とも考えたが、その少女はむしろ感情が豊富な方であった。

 特に私の一挙一動で、その表情を晴れさせも曇らせも──

 ──そうか、ならば。

「き、綺礼……? や、やだ、なんで、こんな、」
「……気まぐれだ、少し大人しくしていろ」

 ある夜、無邪気にも私の褥を訪れた少女と、私は半ば強引に体を重ねた。無論、私にそのような趣味はなかったが、言峰綺礼を敬愛するこの娘が、私自身からの無体にどう反応するのかが知りたかった。

 そしてあわよくば、純粋なままの少女を少しでも堕とせたのなら僥倖だ。そう思いながら、私を拒むように伸ばされた腕を寝台へと押さえ付ける。

 そうして少女にとって悪夢にも近い一夜が明けた翌日、朝に顔を合わせた私に向けて彼女は、

「おはよう、ご飯、できてるよ」

 と──また、いつものように笑うのだ。

 はじめは無理でもしているのかとも思い、その夜もまた同じように彼女の柔肌に指を這わせる。二度も続けば三度目もまたあるのではないかという恐怖に、少なからず少女の心を傷つけることはできるだろうと、そう考えながら。

 しかし、やはり彼女は私の思う通りにはならなかった。

 あろうことか、今から自分に非道を行おうとする男を抱きしめ、

「好き、だから、いいよ──ごめんね、嫌がってあげられなくて」

 と──

 その時、私は嫌というほど理解した。この少女は、この女は──私では染めることができないのだと。

 その手を汚させたつもりだった、非情な行為でその尊厳を辱めたつもりだった。

 しかしその実、私の全てを受け入れようとする彼女は、たしかに白い純粋なままだったのだ。
 


 ──そのように感じたことがあった、と、遠のく意識の中そんなことを思い出す。

「──綺礼っ……!」

 いつだって無垢な笑顔を浮かべていた少女が、大粒の涙を流しながら冷たい私の身体を必死に揺すっている。

(……そうか、こんな簡単なことで良かったのだな)

 そのことに思い当らなかったわけでもないが、まさか今際の際にそれを確かめられるとも思わなかった。

「綺礼……っ、きれい、……っ!」

 悲痛な表情を浮かべた彼女の後ろに、私を討った少年、衛宮士郎の姿が見える。……きっと彼女の事だ、決してその少年を許しはしないのだろう。

 そしてその憎しみが少女の許容量を超えた時、恐らく彼女はその少年に対して刃を向けるだろう。

 ──あぁ、

 彼女は純粋なまま、私を慕う気持ちだけで少年を殺すのか、憎悪と復讐心で、ついにに染まるのか、その答えを知り得ないことだけが、心残りだ──

 ──楽しみに取っておくのも考えものだな、どうせここで果てるのであれば、早々に摘み取っておけば良かったのに、

 あぁ、惜しい、実に──

 実に……──
 
 




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