きらいなひと



 わたしはあのひとがきらいでした。

「……神父さま、」
「綺礼」

 私とあの人が同時に神父さまに声をかけると、神父さま大抵、あの人を優先します。

「少し待っていろ」

 そんなことを言って、私にそっぽを向いてしまうのです。
 たまに、本当にたまに、私の方へ来てくれる時もあるけれど、それはあの人の機嫌がすごく良い時だけ。
 それに、私のために膝を折ってくれる神父さまの顔は、やっぱりあの人と話している時より退屈そうにも見えるのです。

「ふむ、綺礼、なぜあの娘一人を生かしておく、他と・・同じようにしても良いのではないか?」
「そう言うなギルガメッシュ」

 二人はどうやら私の話をしているらしい、それなのに、神父さまは私の方を見てはくれない。

 ……それがどうに面白くなかったから、私はついに口を滑らせたのだ。

「──きらい、私、あなたのこと好きじゃない」
「…………ほう」

 しまった。そう思っても、口にした言葉を戻すことはできない。頭上から降って来たいつもよりもずっと低い声に顔が上げられなくなる。
 しまった、しまった、しまった、この人が、本当はずっと恐ろしい人だってこと、私は忘れてしまっていたようだ。

(どうしよう、怒らせちゃった)

 ──あまり奴の機嫌を損ねないように気を付けろ。
 神父さまにもそう言われていたのに。

「それで? 小娘──我が、なんだ、もう一度言ってみろ」

 怒られるのが怖くて、私は俯いたまま両手で服の裾をぎゅっと握りしめる。──大人になって思えば、怒られるだけで済むと思っていたあの頃の私は、危機感も何もかもが足りていなかったように思う。
 ともかく私がそうやって黙っていると、あの人がもっと低い声で「黙っていては何もわからぬではないか」と言って数歩私へ近づいた。

「──き……きらいです、あなたが」

 でも、どうせ黙っていたって怒られる気がしたので、私は素直にもう一度「きらい」だと繰り返した。

「い、いっつも、神父さんとお話ししようとすると、邪魔するし、偉そうだし、なのに、神父さまはあなたのこと、好き、みたいだし」

 言ってしまえ、と思ってからは止まらなかった。ずっと胸のうちに秘めていた言葉がぽつりぽつりと声に出る。

「それに、なんだかすごく馴れ馴れしい、し、教会? の人じゃないはずなのに、ずっといるし、それにそれに」

 あの人は何も言わずにずっと目の前に立っている。

「……神父さまのこと、名前で呼ぶ──そんなの、ずるい」

 最後にそう言って顔を上げると──あの人は、何故か愉快そうに笑っていた。

「ふ──はははは!! おい綺礼、なんだこの面白い子供は! この小娘、愛しいお前を取られるのがよほど気に入らないらしい!」
「ん、ああ……最近はその調子でな……こればかりはどうすべきか考えあぐねているところだ」

 ふぅ、と困ったように息を吐く神父さまに、私はどうしていいかわからなくなる。多分私のせいでそんな顔をしているんだろう、そんなつもりじゃなかったのに。

「小娘──涼よ、一つ訂正がある。我はな、偉そうではない、偉いのだ」
「えら、い……? 神父さまより?」
「当然だ、我は王なのだからな」
「おうさま……?」
「そうだ、次からはそう呼ぶが良い」

 あの人──王さまは、そう言って何故か私の頭を撫でた。

「お、怒ってない、の?」
「ん? ふ、子供の戯言一つ聞き流せぬほど狭量ではない……なんだ綺礼、その顔は」
「──いいや、なにも」

 また、神父さまと王さまが二人だけでお話しを始めてしまう。それがつまらなくて、私は近くにいた──王さまの、服の端を軽く引いた。

「む、なんだ小娘……ああ、そうか、そうであったな、くく……そら綺礼、我だけではなくこやつも構ってやらんか」
「ギルガメッシュ」

 もう一度彼がため息を吐く。どうしよう、本当に困らせちゃった。
 ごめんなさい、を、神父さまに言うべきか王さまに言うべきか、迷って二人の顔を見比べていたら、王さまが「良いことを思いついた」と真下の私を見下ろした。

「それほどまでに我が羨ましいのであれば、貴様もこの男のことを名前で呼んでやれ」
「! ……いいの?」
「構わん、赦す」
「──おい」

 勝手に決めるな、と神父さまは壁に寄りかかる。あんまり神父さまは嬉しくないみたいだけど──
 でも、でも……「王さま」は、「神父さま」より偉いらしいから、その王さまが、いいって言うんだから──いい、のかな?

「じゃ、じゃあ──き、きれい……?」
「──、」

 王さまの真似をして、そうやって彼の名前を呼んでみると、彼は少し難しい顔をしてから、諦めたみたいに長い息を吐いた。

「……私のことはどう呼んでも構わん、だがあまりその男の言葉に耳を傾けすぎるな、ろくなことにはならんぞ」
「言うではないか」

 きれい、きれい──綺礼。
 初めて彼の名前を声に出して呼んで、私の心臓がいつもよりもドキドキとうるさくなっている。そこに二人分入っているみたいに。
 名前を呼んだ、それだけのことなんだけど、少しだけ彼に近づけた気がして、本当に嬉しかった。
 楽しげに笑う王さまを見上げ、私は「おうさま、」とまた彼の服を引く。あのね、と小声で告げると、王さまは少しだけ身をかがめてくれた。

「あのね、さっきはきらいって言ってごめんなさい……王さま、ほんとは良い人なんだね」

 内緒話をするように潜めた声でそう告げると、王さまは、今度はさっきよりもっと大きな声で笑い出した。


 
 ──王様が、やっぱり全然「良い人」なんかではないことは、この先の十年で、いやと言うほど思い知らされることになる。
 
  




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