パブロフの犬



 ぱちん、ぱちん、

 爪を切る小さな音が静かな部屋でやけに反響して聴こえた。それが私を恥ずかしいようないたたまれないような心地にさせて、布団にくるまった私はモゾモゾと足をすり合わせた。

「……綺礼、」
「少し待て」

 そう言われて黙ってしまうのは、私が犬のようだと言われる原因の一つだという自覚はしているわけで。
 それがなんだか面白くないはずの私は、それでも彼の言葉に反抗する気はないわけで。

 ぱちん、ぱちん、

 寝台に腰かけたまま、彼はこちらを振り返ることもせずに自身の爪を丁寧に切りそろえていく。深爪なんじゃないかってくらい丁寧に。ここからじゃ顔は見えないけれど、きっといつも通りやけに真剣な顔をして。

 ……毎週、金曜になると決まって彼は爪を切る──それが、どういう理由でそうしているのか、気づかないほど鈍感な私ではないわけです。

(今日だって、私も彼も何も言ってない、約束だってしてない、そんな雰囲気になったわけでもない)

 それでも、彼は律儀に爪を整え、私は素直に寝台の上で横たわってそれを待っている。

 ぱちん、ぱちん、

 どうしても落ち着けない私がもう一度「きれい」と彼の名を呼ぶと、彼は短く息を吐いた後、横たわる私の頭を優しく撫でた。

「待ても出来ないか? ……そのような物欲しそうな顔をするな」
「ん……」

 そんな顔、してない。……とは言えず。私は触れた彼の手の温かさに、甘えたような声を漏らすだけで精一杯だった。
 しかしその時間もそう長くは続かず、すぐに彼はまた作業へと戻ってしまう。

 ぱちん、ぱちん、

「ねぇ、それ、今じゃなきゃ、だめなの?」
「今でなければ意味がないだろう」
「……いいよう、少しくらい、痛くたって……」

 そんなことを言いながら、彼の背に寄り添ってまた丸くなる。こうしていると温かくて、なんだか安心できた。

「まったく……終わったぞ」

 彼が立ち上がり、肌が離れる。ベッドサイドの引き出しに爪切りをしまって、また、ベッドの上に彼が腰掛けた。

「さて、眠るか」
「……! い、いじわる……」
「おや、私はただ自分の身体のメンテナンスをしていたに過ぎないが?」

 にやにやと、いつも通りこちらを揶揄うみたいな表情で彼が私を見る。たしかに、たしかにこの後どうするとかどうなるとか、そんな話はしてなかったけど。

「…………きれい……」

 彼の名前を呼んで、彼に手を伸ばす。控えめに彼の腕を引くと、彼は抵抗することもなく引かれるままに私の隣へ横たわる。

「……キスして?」

 YESともNOとも答えず、彼は私の額にキスをする。そうじゃないのに、とよけいにもじもじする私を、彼はやはり笑って見ていた。

「相変わらず誘い方は下手なままだな」
「し、しかたないじゃん……練習する相手も、いないんだから……」

 そうか、と言いながら今度は唇にキスをする。充足感に私が小さく笑うと、彼は「満足か?」と首を傾げた。

「……まだ」
「ふ……欲深いことだ」

 もう一度、彼が私にキスをする。

 そうしてその夜は二人で“仲良く”過ごした。毎週金曜日の決まり事だ、別にどちらが言い出した事でもないが……あぁでも、そんなことを続けていたせいなのか、私は彼が爪を切り始めただけで、なんだかそわそわするようになってしまったのである。





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