ねこのここねこ



 ネコ──それは、可愛さの化身。愛でられるために生まれたと言っても過言ではない魔獣。

 多くの人間はその魅力には抗えない、私だってそうだ。彼/彼女達があの愛くるしいフォルムで足元に擦り寄り、全てを魅了する声で「にゃあ」と鳴いたなら──私はなすすべもなく全ての警戒を解きその身体へと手を伸ばすであろう。

 ちょうど、そう、数日前にバイト先で猫を見かけたランサーが、柔らかな笑みをその子に向け、その毛並みを優しく撫でてしまった時のように。

 ……確かに、その時の私は少し羨ましいなどと考えてはいた。(ランサーは一先ずどうでも良いとして)もし、もし私が猫なら、綺礼も、私のこと、あんな風に可愛がってくれたりするのかな──なんて、

 ええ、考えてはいましたとも。

(……だからってなんで──本当に猫になってるんでしょうか、神様……)

 にゃあ、と、可愛らしい鳴き声が、私の喉から鳴っていた。
 





 落ち着け、落ち着いて考えろ、私は確かさっきまで、自室で魔術の研鑽に励んでいたはず、具体的に言うと身体強化の魔術をもう少し強力にできないかなどと考え色々試行錯誤をしていたわけだが……その過程で確か、有用な手段を思いついたので物は試しとそれに手を出して……出して──

(……それかなぁ……)

 ため息の代わりに、猫になった私の鼻から、ふすん、と息が漏れる。こういううっかりは私ではなく凛の担当じゃないのか。まさか私がこんなヘマをするなんて。

(うう、どうしよう)

「──誰かいんのか」

 低い声に驚いて振り返る。そこには、青い髪を揺らめかせる大男が立っていた。

「み……!」
「お? なんだお前、どっから来た」

 ぬっ、と彼の手が私の頭上へと伸ばされるが、恐怖に震える私は身動きができない。こいつ、いつもねこちゃんさんに好かれて羨ましかったが、もしや怖くて逃げられなかっただけでは?

 その大きな手のひらが私の頭を掴──いや、包み、ゆっくりゆっくりと優しく撫で始めた。

(こ……、これは──き、気持ち、いい……っ!)

 ランサーの粗雑な性格からは考えられないほど優しい手つき、撫でられる側の気持ちを最大限考慮していますというような力加減、ああ、そこ、そこもっと撫でて、と彼の手にすり寄ると、首の後ろ、背、尾の方へと、温かな手がするりするりと撫でてゆく。自然と私の喉元からはゴロゴロと甘えるような音が鳴り始めていた。

(ううう……! 身体が勝手に……!)

 さすがクランの猛犬、犬の扱いには長けているだろうとは思っていたがらまさか猫まで手懐けるスキルを持っているとは……! 猛獣使いEXってわけか!? ぐぅっ……!

「はは、お前さん、人懐っこくて可愛いじゃねぇか……うちのマスターもこれくらい可愛げがありゃあな」

 余計なお世話だ、と出そうとした言葉の代わりに、「にゃあ」という可愛らしい声が出る。くっ、この状況はまずい、非常にまずい、私のプライド的な問題で本当にまずい。

(気持ち良……じゃない! ら、ランサー! 気づいて! 私だよ私!)

 少しだけ正気を取り戻した私は必死に彼を訴えるが、その声は全て猫の鳴き声に代わってしまい、にゃあにゃあと彼に甘えるだけであった。

「ああ、そういやお前、マスターが何処にいるか知ってるか? 言峰の野郎に呼んでこいって言われてよ……」

「こんなところで油を売っていたのか、ランサー」

 彼の後ろから──彼よりもさらに大きな……百九十五センチメートルの大男、言峰綺礼が顔を覗かせた。

「涼は見つかったのか…………ん、それは?」
「み、みぃ……」

 いつも通り、いつも通りの彼がそこにいる。私のよく知る彼だ。恐れることは何も──ないわけがない。
 私の今の視線の高さが十センチと仮定して、都合、身長差約百八十センチ──恐怖を感じない方がおかしいのだ。

「……」
「言峰、お前怖がられてるんじゃねぇのか? 無駄にでけぇからな」

 いっておくが、おまえもたいがいだぞ、らんさー。

 大好きな彼を前にしているはずなのに、耳は折れ、尻尾は自然と下に落ちる。震える私(猫)を前に、無言だった彼はゆっくりと──膝を折った。

(え)

 そして今度は、下から持ち上げるような動きでその手を私へ差し出し、「おいで」と──あろうことか──微笑んだのだ。

 彼が──私(猫)に──

(き……綺礼ーーーーっ!!)

 飛びつくように彼の手へと頭をぶつけると、大きな掌がゆるりと私の頭を撫でた。少し固い彼の指が、私の耳の裏をカリカリとかいている。

(あっ……そんな……! そんなとこ……! あうー! だめー! でももっと撫でてー! お腹も撫でてーー!!)

 ごろりと腹を出して寝転んだ私を、綺礼は愉快そうに微笑みながら撫で回す。しかしランサーは何が面白くないのか、唇を尖らせながら自身の首の後ろをかいていた。

「んだよ、お前の猫か」
「違うな」
「それにしては随分と懐いてんじゃねーか」
「なんだ、羨ましいのか、ランサー」

 そんなんじゃねぇけど、とランサーがため息をつく。

「じゃああいつが拾ってきたかなんかしたんだろ……ったく、何処行ったんだか」

 そんなランサーとは裏腹に、綺礼はやはりどこか愉しそうな表情で「涼の、か」と言いながらまだ私を撫で回している。私はといえば、もう、ゴロゴロにゃあにゃあ鳴くことしか出来ずにされるがままだ。

「ちげえのか」
「さてな」
「……ちっ、相変わらずてめぇと話してるとイライラするぜ」
「待て、ランサー」

 もうこの場にいたくなかったのか、踵を返し、部屋を出ようとしたランサーへ、綺礼が声をかける。

「捜索はもういい、教会の入り口の掃除を任せる」
「は? ……俺はてめぇのサーヴァントじゃねぇぞ、言うことを聞く義理は……」
「ふむ、そういうと思ったから涼を通じて頼もうと思っていたんだが、居ないのであれば仕方がなかろう」

 彼の手が私の喉元に触れる。そこは──そこは、特に、気持ちがいい──

「私の頼みを聞くも聞かないも自由だが──遅かれ早かれ、お前が結果どうしたかは、涼の耳に入るだろうな?」
「………………腐れ神父め」

 悪態をつき、足音荒くランサーが部屋を出た。多分、あの様子なら素直に掃除をこなすだろう……流石の私も、綺礼から頼まれた掃除をさぼったところで何もしない……と思うけどなぁ。

 そんなことを考えながら、私は未だ続く彼の撫で技に翻弄され続けるのであった。
  





 ──それから、数時間後。私はようやく、人の姿に戻ることができた。

「……っ! 息が……いっぱい吸えるっ……!」

 猫の時はやはり呼吸が浅かったのだと改めて自覚する、ああ、人間体に戻った時の空気の美味しさよ、目線の高さよ、この安心感よ……!

「ん……帰っていたのか」
「あっ、きっ、綺礼……!? ま、まぁねー……あはは」

 部屋に再度訪れた綺礼に驚き、声が上擦る。
 ちょうど人に戻った際に彼が席を外していて助かった。先ほどの猫が私だとバレれば何を言われるかわかったものじゃない。

「ここにいた猫を知らないか、先ほどまで確かにそこで寝ていたのだが」
「え、えぇ〜? 知らないかなぁ〜、あっ、窓、開いてたから逃げちゃったのかも?」
「……そうか」

 ごまかせて……いるだろうか? とにかく彼は私の言葉に納得はしてくれたようで、少し考える素振りを見せた後に、そっと右手を私の方へ差し出した。

「……?」

 その行動の意味がわからずに私が首を傾げていると、彼が心底愉快そうに口を開く。

「──おいで」
「……………………っ!?」

 思わず後退り、机の角に腰をぶつけた。適度に痛い、が、今はそれより、彼のことだ。

「き、綺礼……もしかして、気づいて……?」
「さてな」

 くく、と笑う彼の視線から逃げたくて、私は顔を両手で覆う。なんてことだ、もしや最初の最初からあれが私だとわかっていたのだろうか?

「やけに私に甘えてくる、可愛い子猫だったな」
「あーうー……やめて……本当、恥ずかしい……」

 真っ赤になってしゃがみ込む私と、愉しげな綺礼。今日の教会もいつも通り平和そのもので──

 どこからか、猫が「にゃあ」と鳴くのがきこえた気がした。




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