たからものにするね その日は随分と、良いことばかりの日だったのだ。
夏祭り、と書かれたポスターを見せ、玉砕覚悟で誘った彼がその首を縦に振ってくれて──
衣装棚の奥から、二人分の浴衣を出してくれて──
二人だけで、会場まで下駄の音を響かせながら連れ立って歩いてくれて──
全部、幸運な出来事ばかりだと私は浮かれていたのだ。
「……今日はいい日の、はずだったのに……」
からん、
喧騒の中で一人分の足音がやけに大きく響く。見渡す限り、人、人、人……今日は大きなお祭りだ、それが当たり前なんだけれど。
「…………綺礼……」
──彼と、はぐれてしまったのだ。
それでも彼の身長であればきっと目立つはず、と視線を彷徨わせるが、目に入るのは見知らぬ顔の男女ばかり、何度見ても、何処を彷徨ってみても、彼の姿は見つからなかった。
手に持っていたかき氷はもうすっかりただの色水になってしまっていて、その嫌に大げさな甘さは私の喉をより一層渇かせるばかりだ。
私は人混みを縫うようにして、来た道を戻る。もしかしたら、彼がどこかで待っているかもしれないから。
右手に、かき氷の屋台が見える──先ほど、彼と寄った店だ。「冷たいものが食べたい」と強請る私に、彼が仕方がない、と言って買ってくれた店。
その少し先に、金魚すくいの屋台が見える──可愛いね、と笑っていたら、「教会で飼うつもりか」と少し苦い顔をされた。
左手には射的の屋台──どっちが多く景品を取れるか勝負しようと詰め寄った。結局、一対四で私が負けたけれど。
イカ焼き──食べ過ぎだ、とため息をつかれた。
リンゴ飴──美味しかった、もう少し上品に食えと呆れられた。
わたあめ──ふわふわしていて、彼の髪に似てるかもねと伝えたら、不服そうな顔をされた。
おめん──一緒につけよう、とお願いしたら、にべもなく断られた。
たこやき──熱くて言葉が出せない私を見て、お前でも静かになることがあるんだな、なんて嫌味を言われた。
そうやって、彼と寄った屋台を一つ一つ確認して、最後の……いや、最初だろうか、会場の入り口にある、子供向けのおもちゃの屋台の前まで来てしまった。店先で、よくあるおもちゃの指輪が提灯の光に照らされていた。
──「懐かしいな」
チープで、ガラスどころかプラスチック製の、真っ赤でやけに大きなハートの指輪。はしゃいだ私がそう言ってそれを手に取るのを見て、彼は真面目な顔で「欲しいのか」なんて言い出した。
「まさか〜私もう子供じゃないんだよ?」
「私からすればまだ子供だが」
「む」
それだけ言って、早く行くぞ、と少し先を歩く。待ってよ、と彼に走り寄り、その後ろについて歩いた。
──あの時、勇気を出して手でも繋いでおけばよかったのかな。
(……やっぱり、楽しかったのは私だけだったのかな、だから、帰っちゃったのかな……)
じわり、我慢していたはずの涙が溢れる。ダメだダメだ、泣いたら可愛くなくなるから、泣くのだけはダメだって思ってたのに。
それでも抑えきれなかった涙を拭うために、私は腕をあげようとして──その手を後ろから誰かに掴まれた。
「──やっと見つけたぞ」
「……! き、きれい……」
振り向いた先に、探していた彼が立っていた。驚いてぽかんと口を開けた私に、彼は「はぐれた時は不用意に動くな、見つけられん」と短く息を吐く。
「だ、だって、綺礼、探してくれるなんて思ってなくて」
「連れが居なくなれば探すだろう」
「ふ、ふつうは、そうかもだけど、でも、き、きれい、帰っちゃったのかと思っ……うっ……」
「……何故泣く」
安心したから──という言葉も声に出せず、私は小さな子供のように泣きじゃくる。彼は少し困惑したかのように顔をしかめてから、人混みを避けるように屋台裏の林へと私の手を引いていった。
「う……、ううー」
それでも目元を擦る手を止められず、彼は「赤くなるぞ」と言いながら懐からハンカチを差し出した。
「……少しは落ち着いたか?」
涙が出るだけ出し切って、もう鼻をすするだけになった私は、ありがとう……と言って繋いだままだった手をようやく離した。
「それは何よりだ……まったく、次からはどこか落ち着ける場所で私が迎えに行くのを待ってろ、いいな」
「で、でも、綺礼は大きいからすぐ見つけられると思って……」
「見つけられなかったからこうなっているのではないのかね」
「う……!」
再び目を潤ませる私に、彼はギョッと目を見開いたあと「いい加減泣くのは止めろ」と苦々しげな表情で私の頬を撫でる。
「はぁ……わかった、好きなものを買ってやる、次は何が食べたい」
……そんなの子供のあやしかただ、いつまでも何か与えておけば泣き止む私だと思っているのだろうか、この人は。
でも、でも、それなら、
「なら……さっきの指輪、やっぱり、買って」
「──あのおもちゃのか?」
触れていた手が小さく震えた、よほど驚いたのだろうか、珍しく、彼が数度瞬きを繰り返す。
「うん」
「……子供じゃないと言ったのはお前だが?」
「うん、でも、欲しくなったの、だから、あれが、いい……」
ぐす、ぐす、とまだ涙を溜めながらそう言うと、彼は長めに息を吐いた後に「わかった、待っていろ」とだけ言って踵を返した。
少しの間、そこで一人でぽつんと立っていると、しかめ面の彼がズンズンと早足で帰ってくる。そして「手を出せ」と言ってから私の左手にその小さなリングを乗せた。
「……ほんとに買ってきてくれた……」
「欲しいと言ったのはお前だろう」
「そうだけど」
二メートル級の大男である彼が、真面目な顔をしてこのおもちゃの指輪を買っている図を想像すると、自然と顔が綻ぶ。反対に、彼は少し、いや、だいぶ機嫌が悪いのかというくらい眉間のシワを濃くしていた。
「えへへ、ありがとう……」
それでも私がそう言って笑うと、彼も「ああ」と言って表情を柔らかくする。
手のひらの上でその赤いハートの指輪を転がすと、やはり思っていた通り軽く、チープでやけに華美に装飾されたそれは、普段であれば目にも止めないような子供のおもちゃそのものだった。
──けれど今日、この時、彼からもらったこの指輪は、たしかに私にとって何にも変え難い
宝物に違いなかった。
「もうすぐ花火の時間だな」
彼がそう言って私に手を差し出す。
「行くぞ」
「え、あ、うん……?」
その意味がわからず戸惑っていると、「またはぐれても困るだろう」と彼が首を傾ける。そしてようやく、これはつなぐために差し出された手であることに気がついた。
「……行かないのか」
「い、行く!」
震える手でその手を取り、彼と並んで歩き出す。気温のせいか、少しだけ汗ばんだ彼の手は、いつもよりも暖かいような気がした。
その日は随分と──そう、随分と、良いことばかりの日だったのだ。
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