欲張りな願い「綺礼、」
「いらん」
まだ名前を呼んだだけだ、それにも関わらず用を告げる前ににべもなく断られてしまう。もう幾度目の応酬になるだろうか、ついに私の口からはため息が溢れでた。
「綺礼……いい加減、魔力を供給しないとまた倒れちゃうよ……」
「それで良いと言っているのだが」
「私が良くないんだってば!」
ぐ、と彼の服の裾を引く。だが彼の身体が私よりも大きいこともあり、ビクともしない。私の力では彼に無理を強いるのは不可能だろう。
彼が倒れたあの日から約二週間──それから一度も魔力供給を受け入れてくれないままだ。
相も変わらず真意の読めない暗い瞳で「この命を無意味に永らえさせたいとは思っていない」と私の気持ちを撥ね付ける。
一応、食事は大人しく取ってくれているし、共寝程度なら私の自由にさせてくれている。だがそれだけではいつ限界がくるかがわからない、もし、少し無理をして魔術などを行使した時は……
恐ろしい想像に身体が震える。そんなのは絶対に嫌だ、せっかく、歪ながらも彼との未来を手にしたというのに。
「その、キ、キス……とかで魔力を供給するのが嫌なら、いっそパスを繋いでしまえば……」
「それがどういうことか、わかって言っているのか」
「……!」
どき、とないはずの心臓がなったような感覚に陥る……そんなわけ、ないのに。
「……お前のように正当な魔術師でもないものが、私のような中途半端な存在と契約を結ぶ方法など、指折り数えるほどもないだろう」
じっと、黒水晶のような瞳が私の目の奥を覗き込む。まるで何もかもを見透かされてるような心地で、少し、怖い。
「私が聞いているのは、お前にそれができるのか、ということだ」
今目をそらすのは、多分、ダメだ。そう思った私はまっすぐ彼の目を見つめ返して、「……できる」と小さく頷いた。
彼は表情を変えることもなく「そうか」とだけ呟いてからまた押し黙ってしまった。
人と人のパスをつなぐ上で、一番簡単で、一番早い方法、それは──性行為、だ。お互いの肌を重ね、共感状態になり、魔術回路を移植する。直接的な体液の摂取も可能、こんなに効率の良い手立てはない。
他に何か方法があるのかどうかすら、私は知らない。だが彼の話しぶりから言っても、きっとこの方法のことを指しているのだろうと考えられた。
「……っ」
不意に彼の手が伸びる。それに対し驚きと緊張で思わず肩を揺らした私を見て、彼はその手を止め、小さく息をついた。
「……やはりやめておいた方がいいだろう」
「っ……大丈夫……! 大丈夫だよ綺礼っ……!」
下ろしかけた彼の手を握る…だがそれは逆効果だったようだ。それによって私の手が震えている事に気づいたのか、彼は手元を一瞥してから、呆れたように息を吐いた。
「その状態でよく言ったものだ…怖いのか」
私はなにも言い返すことはできなかった。──まさか、そんなわけないじゃない、生娘でもあるまいし──そう答えたかったのに、声にならない。
(……どうして? そうなりたいと願ったことだってあったのに)
あぁそうだ、柄にもなく私は怖れているのだ、彼との行為を、それによって、変わってしまう何かを。
けれどなによりも、彼にそれを拒まれることを。
俯く私の手を、彼は握り返すこともなく離した。そしてあの、嘲るような笑顔でこう言うのだ。
「私にはお前を抱くつもりはない、が……どうしてもその方法でパスを強固にしたいというのなら、そう命じるがいい。今の私はお前の眷属だからな、逆らう気にすらならんだろうさ」
「……っ!」
何かが軋む音がする。痛い、胸が、心が。彼の言葉が私の中の何かを苦しめる。彼の言葉が、くるしくて、かなしくて、どうしたらいいかわからなくて、わたし──
──私は、彼から逃げ出した。
ちょうどこっちに用があった。だからついでに兄弟子と妹弟子の様子でも見ていこうかと思い教会の門をくぐる。
「あら、涼……?」
女の子が一人、こちらへ駆けてくるのが見えた。それが目的の人物だと気づき声をかけようとしたが、その目に光る涙が見えて私は言葉を飲み込む。彼女は私には目もくれずそのまま走って何処かへと去ってしまった、何かあったのだろうか、と教会の奥、恐らく原因であろう男、綺礼の私室へと進む。
「邪魔するわよー……って、綺礼!?」
「…………凛、か」
その男はといえば、中で一人床に倒れていた。何があったのか、と、なんとなく思い当たることはあるものの、彼を助け起こしながら一応問うてみる。
「どうということは、ない……ただの、魔力……切れ……だ」
「はぁ? 涼からの供給は…いえ、愚問だったわね。どうせ貴方が供給を断って、余計なことまで言って泣かせたんでしょう」
「……は、よくわかっているではないか……」
苦しそうに息を吐く彼を支え、ベッドへ横たわらせる。身体は相当辛いはずなのに、その嫌味な笑みは顔に貼り付けたままだ。
「本当、面倒臭いわね、あんたもあの子も。少しくらい素直に思ってることを言ってあげればいいじゃない」
「まるで、何もかも知っている、というような口ぶりだな」
「多少はね、何年貴方達のこと見てたと思ってるのよ」
消耗が激しい、私としてはこの性悪神父がどうなろうと……まぁ、構わないのだが、残されるあの子の事を思うと放っておくことはできない。
出来れば問題自体は当人同士で解決して欲しいが……まずは早急な魔力の供給が必要だろう。ならば、
(不本意ではあるけど、私がどうにかするしかない、か──)
「それで、涼ちゃんは私のところに来たんですね」
「うん……ごめん、桜……」
桜の淹れてくれた紅茶を口に含む。温かくて、美味しい。ぐちゃぐちゃになってしまった心が少しだけ落ち着いた気がする。
間桐の家は相変わらず静かでなんだか薄暗くて、少し苦手だ。だがそれでも、どうしようもないこの心をどうにかする方法を知っていそうな心当たりが桜しかいなかったので、少しくらいは我慢することにした。
「涼ちゃんは、本当に神父さんが好きなんですね」
「……うん」
「分かりますよ、私も先輩のこと、とても大切ですから」
それはきっと同じ気持ちです、と桜は微笑む。そして手に持ったカップの中を覗き込みながら、「私なら……」と言葉を続けた。
「今の私なら、きっと、無理矢理にでも先輩を生かす方法を取ります」
「え……」
桜の口からそんな言葉が出るとは思っていなかったので、驚いた。ぽかんとする私をよそに、彼女はにっこりと笑った。
「で、でも、彼はそれを望んでいなくて……」
「涼ちゃんは、あの人が望んだから助けたかったんですか?」
「……! ち、違う……けど……」
私は私が彼に生きていて欲しかったから、だから助けた。そばにいて欲しかったから、隣にいて欲しかったから……だけど、もし本当に、彼がこれ以上を望まないのなら、私は……
「それに、涼ちゃんが本当に悲しかったのはあの人が生きようとしてくれないことじゃないですよね」
「……う、」
じわり、涙がまた滲んで視界が霞む。桜にはどうやらお見通しらしい。
「……わ、私……生きていてくれれば、それでいいって、思って、う、嘘じゃなくて、だけど、あんなはっきりと、言われ、たら……っ」
言葉が涙の代わりとでもいうように溢れでる。桜は私を宥めるようにカップを持つ私の手を上からその手で包み込んだ。
温かい、安心、する。
「一つ手にすれば、もう一つが欲しくなる……人間ってそういうものだと思います。最初は先輩の隣にいるだけでよかった、だけど次第に先輩の全てが欲しくなって、私だけを見て欲しくなって……ほら、ね? 私だって同じですよ」
私を宥めるように彼女は優しくそう言った。
「っ、いい、のかな、私……」
「いいんですよ」
「……っ!」
優しい桜の言葉についに涙がこぼれ落ちた。ボロボロと流れる雫は拭っても拭っても止まるところを知らない。
「……っ、う、うあ、わ、私、き、綺礼にっ……! い、生きてて、欲しい、よぉ……っ! わたしの、ために、生きて……私のこと……好きになって、欲しい、よぉ……!!」
泣きながらそう喚く私を、桜は抱きしめ頭を撫でてくれた。そうしてしばらく彼女の胸で泣き散らした後、大分落ち着きを取り戻すことができた私は「……ごめん、みっともないとこ見せちゃった」と彼女から離れた。……冷静さを取り戻すと、恥ずかしさがこみ上げてくる。
「気にしないでください、涼ちゃんは大事な友達ですから……相談くらい乗らせてくださいね」
まぁ、あの人のことは嫌いなんですけど、と小さな声で呟いた桜の声は聞こえなかったことにして、「でも、じゃあ、どうしたら良いのかな」と彼女に問いかける。
「そうですね……きっと簡単なことだと思います、素直に、気持ちを伝えてみたらいいんじゃないでしょうか? あの人、そういうの苦手そうですもん」
「気持ち……」
今更何を伝えろというんだろうか、と眉をひそめる私に、「一度でも、ちゃんと伝えたこと、ありますか?」と彼女は問い返した。
「ない……かも」
「そうだと思いました」
ふふ、と笑う彼女が、少し意地の悪い顔で、
「じゃあやっぱり、伝えなきゃです。他の誰かに取られちゃう前に」
と、私の背を押した。
だから、
「……ただいま」
ギィ、と重い扉を開く。後任者の決まっていない寂れた教会には、今日も参拝者などの姿はなく、この時間はかつてここの神父であった男がマリア像を拝み神に祈りを捧げる姿くらいなもので──
「綺礼……?」
そこに居ると思っていた人物の姿がなく、辺りを見回す。どうやら今日は礼拝堂にはいないようだ。珍しい、と目をつぶり意識を魔力感知のために集中させる。どうやら教会の中にはいるようで、彼の部屋の辺りから微弱な魔力が感じられた。
(……? 今朝より弱い……まさか)
嫌な予感がした私は彼の元へ走る。どうしよう、もし、もし彼が動かなくなったりしていたら、
私が、逃げ出したせいで、
「綺礼……っ!」
「ああ、帰ったか」
彼の部屋の扉を乱暴に開けると、その向こうで、寝台の上で上半身だけを起こした彼が何事もなかったかのような顔でそんなことを言う。驚きと安堵に足から力が抜けた、良かった、と胸をなでおろすと共に、「なんとも、ない?」と彼に声をかける。
「なに、また魔力が切れて倒れた程度だ、問題はない」
「な……問題しかないじゃんか……! ま、待ってね、今、何か食べ物を……」
キスが嫌だと言うのなら、せめて食べ物をを摂取させるしかない。私がキッチンに何か食べるものを取りに行こうと背を向けると、彼が「不要だ」と私を止めた。
「また、そんなこと言って……でも、私、もう決めたんだから。綺礼が嫌だって言っても、私がしたいようにしてやるんだって……」
「いや、そうではなく…すでに必要なだけの魔力は貰っているから充分だということだ」
私は足を止め、ゆっくりと振り返ってから「…誰に?」と震える声を絞り出す。
「凛にだ、先程お前がいなくなった後に──」
その言葉の先を聞くより早く、彼の上に馬乗りになるようにして、彼に無理やり口づけをする。彼は驚いてはいたものの、まだ身体が本調子ではないのか、避ける事はしなかった。
「……ん、っ……、おい、涼、話を…」
「凛は、いいんだ」
唇を離すと、綺礼は呆れたような顔で私の名前を呼んだ。だけど今の私には彼の話をちゃんと聞く余裕なんてない、聞きたくない、ただただ溢れそうな涙を、堪えて──堪えられなくて、ぽろぽろと落ちる雫もそのままに、彼を責め立てる。
「私とは……したくないのに、凛とは、したの? キス? それとも、もっと? ……ねぇ、綺礼、なんで、凛ならいいの? 凛の、方が、頭、良いから? 優秀、だから? っう、わ、わた、私じゃ……だめ、なの?」
「……おい」
彼の顔は見たくなくて、だけど離れることもしたくなくて、彼の肩に頭を埋めるようにもたれかかった。涙はまだ止まらない。
「私……わたし、は、好き、なのに、」
「…」
「わたし、綺礼のこと、こんなに、好き、なのに、どうして……」
泣きじゃくる私の肩に彼の手が乗せられる。あぁ、引き剥がされるのかな、なんて、少し冷静な頭でそう考えていたら、予想外に彼の手はそのまま優しく私の背を撫でた。
「……え?」
ぐす、と鼻をすすりながら顔を上げると、彼はやっぱり呆れたような顔で「話は最後まで聞け」と言って、私の乱れた前髪をかきあげた。
「ひどい顔だな」
「う、うるさ、い」
手の甲で涙を拭う。彼の大きな手のひらの感覚に少しだけ落ち着きを取り戻せたので、大人しく彼が話し始めるのを待つ。
「たしかに凛から魔力を分け与えられたのは事実だが、お前の思っているような事はなかった」
「え、でも……」
「おまえもよくやっているだろう……血液での供給だ」
「……あ……」
それを聞いてようやく正常な思考を取り戻す。むしろその方法になぜ思い至らなかったのか、という羞恥までが沸き起こり、私は頬が熱くなるのを感じた。
「そ、そっか、その手があったよね、うん……わ、私ってば……」
「淫らなことばかり考えているせいで、そちらの方向にしか思考が働かなかったのではないのか」
「ちちちち、違っ……!」
真っ赤になりながら反論する私の頭を彼が撫でる。……無意識なんだろうか、子を宥めるような顔をしてそんなことをされるものだから、嬉しいような切ないような、そんな気持ちにさせられる。
「……さて、話を戻すか。それで、パスを繋ぐ方法に関しては、どうすることにしたのかな」
「……!」
先ほどの、桜の「誰かに取られちゃう前に」という言葉を思い出す。そうだ、本当に凛に取られてしまう前に、私のものにしてしまえば良い。そうだ、そうしよう…そう思っているのに、彼の「抱くつもりはない」という言葉がやはり引っかかって、私はそれを言うことを躊躇した。
「……涼」
けれど、決めたのだ。
「綺礼、私を抱いて」
彼がゆっくりと瞬きをする。その間に私はもう一度彼の唇を奪い、真っ直ぐに彼の瞳を見つめながら続けた。
「綺礼が、今どう思ってたっていい。私がそうしたいの、私は、綺礼のこと好きだから、それでいいの、綺礼が……」
私のこと、嫌いでも、と。
最後の言葉は小さく囁くような声になってしまった。そうかも、とは思っていても、実際言葉にすると、やはり少しは、辛い。
彼がまた瞬きをして、それから、
「……ふ」
何故か、笑い出した。
「な、なんで笑うの…私真剣に言ってるのに」
「いや、そうか、ふふ、嫌いでも、ときたか…ふむ」
彼が楽しそうな理由がわからず、目をパチクリさせていると、綺礼はそんな私の額におもむろにキスをした。
「……抱くつもりがないと言ったのはなにもお前を嫌っているからではない。私には近親相姦の趣味はない、という意味だ」
「きんしん、そうかん……」
それはつまり、彼は私のことを娘として見ているということだ。……それは、そうだろう、なんせ私が十にも満たない頃から面倒を見てくれていて、それこそ年齢なんて一回り以上離れているのだから。
「私のこと、嫌いでは、ないの?」
「嫌悪しているのならとっくに自死を選んでいるだろうよ」
じわり、涙でまた視界がぼやける。今度は悲しみではなく安堵による涙ではあったが。
「よ、よかっ……たぁ……! 私、無理やり綺礼を生かそうとしているから、てっきり綺礼に嫌われてるんだと、思って」
「お前の気持ちに応えられないことに変わりはないが」
そう言いながら流れる涙を拭うように彼の指が私の頬を撫でる。不思議な人だ、人の不幸や絶望を好むくせに、こういう時に取る行動は常人のそれなのだから。
「いい、嫌われてないなら、いい。私は、そういう意味でもそうじゃない意味でも綺礼のこと、好きだから、それでいい」
「……明け透けになったな」
「桜が、その方が伝わるって……伝わった?」
「嫌になるほどな」
余裕の出てきた私の肩を、少し離れろ、と彼が押し返す。私はその手を取りながら、「じゃあ、とりあえず、パスを繋げるために一回抱いてもらってもいい?」とさらに彼に詰め寄った。
「…………随分と吹っ切れたようだな、先ほどまであれほど怖がっていたというのに」
「うん」
彼の指と自分の指をからませるようにして手を握り、彼を見上げるようにして見つめると、今日一の呆れたような、嫌そうな顔で長いため息をついた。
「……なにもパスを繋ぐ方法はそれだけではない」
「え、そう……なの?」
「無論だ、指折り数えるほどもないとは言ったが、他に方法が無いとは言っていない、そもそもそういった魔術は私の得意分野だ」
だから離れろ、と彼はやはり私を押しのけようとする。だが負けじと私も彼の腹のあたりに抱きつくようにしてしがみつく。
「でも私はこの方法がいい…! せっかく覚悟も決めたのに」
「私に近親相姦の趣味はないと言っているだろう」
「でも、綺礼の神様も別に家族間の性行為を禁じてはいないよね? ほら、確かタマルはユダのは義娘だったし……」
「売春婦と勘違いされたいと? そもそも宗教の話ではない、私の嗜好の問題だ」
「やだ、綺礼の性的嗜好なんて関係ないもん……」
あーだこーだと、お互い譲ることもなく言い争い、それは日が落ちるまで続けられた。流石に今日はここまで、とお互いにそう思う頃には、すっかり夜の帳が降りていた。
私は当たり前のように彼の隣に横たわり、「おやすみなさい」と言って目を閉じた。下ろした瞼の向こうは見えないが、小さなため息のあと、額に柔らかな感触と、「……おやすみ」という彼の返事が聞こえた。
多分、明日になったらまた同じような言い合いがあって、最後にはきっと多分、私は彼の提案を受け入れるんだろうと思う。
それでいい、と今は思う。彼の気持ちはすぐには変わらないんだろう、とも思う。
だけど、それ以上に私の気持ちは変わらないから。
(いつか、絶対、私のことを好きになってね)
私と、おんなじ気持ちで。
clap!
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