緩やかに問題は露呈した



 スローモーションのようだ。と、彼女は感じていた。

 聖杯戦争後のなんでもないある日の昼下がり、衛宮邸の軒先にて、二メートルはあるかのような言峰の巨体が、突然地に倒れ伏した、その時に。

「き……綺礼っ!!」

 真っ先に駆け寄ったのは神埼だった。

「綺礼……っ! 綺礼!」

 偶然、または必然的に居合わせていた誰もが、突然の事態に固まる中、彼女の悲痛な呼び声だけが響いていた。

「……っ! 衛宮くん、空いてる客間あったわよね! そこ借りるわよ! ほら涼どいて、とりあえず中に運ぶから……!」

「あ、あぁ! 手伝うぞ遠坂」

「わ……私布団用意しておきます!」

 彼女の叫びに我を取り戻したのは遠坂凛だった。次いで衛宮士郎、間桐桜がそれにつられるように動き始める。にわかに騒がしくなったその広い庭の中心で、心音の止まったその体は静かに横たわっていた。

 

「魔力切れね」

 凛が綺礼から手を離す、動かない彼の身体を見つめながら、どうして、と私は小さくこぼした。

「……確かに、あの一件で綺礼は貴方の眷属になったのかもしれない、だけどパスが通っていないみたいね……貴方は気づかなかったの?」

「わ、わかんないよ、そんなの、あれから、だって、自分の魔力も感じる魔力もごちゃごちゃしてて、でも、なんで」

「私が知るわけないじゃない……とにかくまずは魔力を分けるのが先ね、パス云々をどうにかするのはそのあと」

 凛が「使えそうなモノがないか少し見てくるわ」と部屋を出る。「……できることがあれば言ってくれ」と言って、衛宮先輩と桜も何処かへ消えてしまった、多分、気を遣ってくれたのだろう。

 冷えた彼の手をぎゅっと握る。鼓動なんてとうに失ってしまった彼の身体は、こうしてみるとまさに死人のそれだ、私の不安はますます膨らんでいく。

「……足りないのなら、言って欲しかったのに、」

 ぽつり、呟く言葉が誰かの耳に届くことはない。その願いを聞き入れるような人ではないということはよくわかっているが、それでも思わず口に出た。

(魔力供給の、方法……)

 古典的なものはいくつか私だって知っている。何かを食べさせるか、体液でも摂取させてみるか、だが、

(……意識がないのに、食物や水を与えても、飲み込めない、かも……)

 呼吸を確認しようと彼の口元に頬を寄せるが、浅いのか止まっているのか、とにかく正常な呼吸は確認できなかった。この状態で何かを経口摂取するのは難しいだろう。

 ……そうなれば、私にできることは限られていた。

 私は出来る限りの軽装になり、眠る彼の服に手をかけた、「これはやましい事じゃない」と自分に言い聞かせながら彼の胸元をはだけさせる。……私の心臓も止まってしまっていて良かった、そうでなければこんな状況にも関わらずそれはうるさいくらいに高鳴っていたのだろう。

 自身の肌と彼の肌を重ねるようにして彼の隣に横になり、彼の広い胸に抱きつくような形で腕を回し目を閉じる。

「……神埼」

「好きにさせてあげなさい、衛宮くん、あながち無駄とも言えないもの」

「けど遠坂……」

「……別に、私はあいつがどうなろうと知ったことじゃないしね」

 そんな会話が聞こえてきて何だか少し不快だったので、これ以上なにも聞こえないようにと彼の胸に顔を埋めた。なにも見えないよう、なにも聞こえないよう、なにも考えないようにしていたら、少しずつ眠くなっていって──

 気付いた時には、私はすっかり眠りに落ちていた。

 

 

 

 夜も更けた頃、目の覚めた私は見慣れない天井を見つめながら、自分の身になにが起こったのかを思い返していた。

(身体が、重い、な……大方、ついに魔力が切れて活動が停止した、というところだろう)

 自由な方の右手を握り、開いてからもう一度握りこむ。動かせはするがやはりまだ全快ではないようだ。さて、左手は……

「う、ん……」

 もぞ、と動くそれが少し苦しげに呻く。私の腕の中に収まるような体勢で眠っているのは、恐らく、涼、なのだろう。彼女の身体に隠れて左手自体は見えないが、動かせている感覚はある。

 涼の格好や、露出させられた自身の上半身を見るに、恐らく接触による魔力供給を試みたというところか。

「……他に方法もあったろう」

 呆れ混じりにそう呟くが、眠ったままの彼女は小さく身じろぎをしただけで起きる様子はない。撫でるように頬に残る涙の跡に触れると、涼は小さな声で「きれい」と私の名前を呼んでから、すり寄るように私の胸に顔を埋めた。

 ……もはや死に体のこの身体、生かす意味などないというのに。

 寝返りを打つように少し横を向き、私より小さなその身体を包むように抱きしめる……ほんの気まぐれだ。

「……ん」

 気まぐれついでに、その額にキスを一つくれてやる。眠り続ける涼はそれを知ることはないだろうが、それで良い。私の意見も聞かず勝手に生きながらえさせられているのだ、これくらいの勝手≠ヘ許されよう。

 私とは違い、確かに温かい彼女の体温を感じながら、私は再び目を閉じた。





 

「……ふぅん」

 翌朝、私は例の客間を覗いて小さく息を吐く。気になって様子を見に来たが、どうやら大事はなさそうだ。

「あれ、遠坂、今朝は早起きなんだな」

「あら衛宮くん、おはよう、何となく目が覚めただけよ」

「そうか? 二人の様子はどうだ? 遠坂」

「見ればわかるわ、仲良く幸せそうな顔して眠っちゃって……あーあ、心配して損した」

「やっぱり心配してたんじゃないか、その為に早く起きたんだろ」

「ちょっ……! ち、違うわよ!」

「っきゃーーーーー!!」

 私が衛宮くんとそんなやりとりをしていたその時、部屋の中から涼の悲鳴が聞こえて、私達は同時に振り返る。何事かと襖を勢いよく開け放つと、真っ赤な顔で布団に包まった彼女と、相変わらずにやにやと底意地の悪い笑みを浮かべたクソ神父の姿がそこにあった。

「う……り、りん……!」

「おや、おはよう凛。おまえが起きている時間ということは、寝過ごしてしまったということで違いないかな?」

 その減らず口は治らなかったみたいね、とため息を吐く、この調子なら綺礼の方は大丈夫そうだ。

「うう、うう〜、凛〜……! わ、私、どうしよ、こんな格好で、あ、あんな……!」

 丸くなった涼が助けを求めるように涙目で私を見つめる、自分からそうしたというのに今更なにを恥ずかしがっているのか。

「お嫁に行けなくなっちゃう……」

「ほう、嫁に、ということは、私の元を離れていってしまうつもりだったのか? ……寂しいことを言う」

「ひぅ……!」

 そう言って綺礼が顔を近づけると、涼は更に顔を真っ赤にして固まった。この性悪神父め、全部わかっていてコレなのだ。

「ほら、なんでもいいから二人とも早く着替えたら?」

「それもそうだな……涼、早く服を着なさい、風邪をひくぞ」

「ううっ……そこまで意識されてないのもそれはそれで傷つくっ……!」

 それぞれにそんな反応をしながらも身支度を整え始める。私はやれやれ、とため息をつきながら、兄弟子と妹弟子のいつも通りの様子に安堵の笑みを浮かべた。




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