ご利用時間は、明日の十二時までになります



 パタン、トスン、私のすぐ後ろで扉が閉じる音と、綺礼が荷物をソファへ放る音がほぼ同時に聞こえる。私が入り口からそれ以上奥へ入らないのを見て、彼は「どうした」と心底不思議そうな顔をしながら外套を脱ぎ始める。

「え? う、うん、なんでもない……」

 緊張して掠れた声でそう答えて、そっと部屋に足を踏み入れる。
 大きなテレビに、キングサイズのベッド、人が一人くらいなら眠れそうなソファに、何故かガラスで作られているテーブル……調度品はどれもが二人で使うことを想定した大きさになっていて、仄暗い間接照明が嫌に官能的な雰囲気を作り出していた。

 そう、ここはホテルの一室……中でも「ラブホテル」と呼ばれる場所、である。
 いや違うのだ、ここに綺礼と二人で来たのには正当な理由がある。まさか、彼といやらしいことをしようと思って利用しているわけでは断じてなくて、しかしそういう事が嫌というわけでもなく、もちろん彼のことが好きな私としてはそういう展開もやぶさかでは……いや、いやいや、今はそういうことを考えている場合でも無くて、じゃあどういう場合なのかって言われるとどういう場合なんだろう。

 とにかくだ、ラブホテル《こんなところ》に二人で来ることになってしまった経緯としては、彼の仕事に(半ば無理矢理)私が同行することになったのだが、私には彼と同じように野宿……を繰り返すほどの体力もなく、早々に根を上げてしまった、というところだ。

 ビジネスホテルやそれに準ずる健全な建物があればよかったのだが、そう都合よくは見つからず、こういった、その、恋人同士が利用するようなホテルに泊まる次第になったというわけだ。……強いて問題点を挙げるとすれば、私が現役女子高生ということだろうか。確実に補導ものだ、なんなら綺礼との年の差を考えると、彼が未成年との淫行の疑いで連行されてもおかしくはない。とはいっても、こういった施設の受付はある程度であれば見なかったふりをしてくれるだろう、よくいる客の一人に特別興味なんてないだろうし。

「おい」
「はいっ!?」

 ソファに腰掛けていた私に彼が声をかけ、考え事に耽っていた私は驚いて肩をびくりと震わせた。彼は呆れたような様子で「先に汗を流してくる」と言ってシャワールームへ入っていってしまった。

「う、うん、ごゆっくりぃ……」

 脱衣所で揺れる影から目を逸らし、私はため息を吐いた。彼が私に興味がないのはよくよくわかっているが、こうも意識されていないのも悲しい。それに彼がどうも思っていなくとも、私の方は彼を意識しまくりなわけで、現に今だって視界の端に映る彼の半裸が気になって気になって……半裸?

「……っ!?」

 下心と驚愕でつい顔を上げる、と、確かに脱衣所に行ったはずの綺礼の裸が視界いっぱいに広がった。危なく叫び出しそうになるのを堪え、今度は理性を持ってして顔を背ける。一体何がどうしてそんなラッキースケベを……

「あ、そうか、ガラス……」

 噂には聞いたことがある、ラブホテルの浴室は(何故か)ガラス張りになっていることがあるのだと。友人と話していた際は「場所によるよね〜」なんて言っているのを話半分で聞いていたものだが、まさか本当にそうなっているなんて。
 ちらり、と脱衣所には目を向けないようにしてシャワールームを確認すると、もちろんそちらも全面ガラス張り。ちょうど腰の位置だけが色のついたすりガラスのようになっており、それがむしろ淫猥ですらある。

(ど、どうしよう、ってことは綺礼のシャワーシーンが全部埋まる見え……!? っっていうか見てることもモロバレ!? それはそれで開き直るしかないんだけど、それよりその……私が入ってる時も、見えちゃうってことだよね……!?)

 ハッ、と、今日の自分の身体状況を思い出す。しまった、スタンダードなお手入れは済ませてあるものの、ちょっとどうなっているか把握していないところが多すぎる、背中とか、お尻とか。
 あたり前だがシャワールームはとても明るい、そんなところで、好きな人にみっともない裸体を見られてしまうなんて思春期には耐え難い恥辱だ。一度トイレにでもこもってチェックしておこうか、などと考える私の耳に、サァ、という水の音が聴こえる。彼が湯浴みを開始したようだ。

 …………正直めちゃくちゃ見たい。

 そんなことをして後から彼にどう思われるか……いや、彼はどうも思わないかもしれないが、動揺すらしないかもしれないが、それでも嫌味や揶揄の言葉は逃れられないだろう。バレないように盗み見る……なんてこと、彼相手にできるわけもないだろうし、だけど今、この時、顔をほんの少し、ほんの少し上げるだけであの鉄壁の神父服の下に隠されたたくましい筋肉を目にできるのだと思うと……

 いやいやいや、別に、筋肉を見るだけなら普段でも機会はあるんですがね、鍛錬中とか、寝る前とか、割と目にする機会はあるんですよ、でもそうじゃなくて……シャワーを浴びて無防備な状態で拝見したいな……なんて……私は一体誰に言い訳しているんだろうか。

 うんうんと唸っていた私は、突如、そうだ、と閃く。そうだ、トイレに行こうとして[#「トイレに行こうとして」に傍点]顔を上げ、ついつい視界に入ってしまうのは、悪ではない……な?≠ニ。

「そう、これは悪いことじゃない、だって、不可抗力だから……っ!」

 開き直った私は、期待に胸を膨らませ、その顔を上げた──
 


 ──身体に当たる水の感覚が心地よい、私は汗を流しながら、長い長いため息を吐いた。

(……そりゃあ、曇るよね、ガラス、だもん……)

 ちらりと部屋の方を振り返ると、部屋と浴室の温度差で曇ったガラスが目に入る。向こう側の様子が伺えなくもないが、はっきりと何かを視認することは困難だ。

「いいけどね、別に、いいんだけどね……」

 きゅ、と、シャワーを止めて脱衣所へと戻る。真白いタオルに身を包みながら、もう一度ため息を吐く。

「覗きは良くないもんね……一時の気の迷いでそんなことしなくて済んだと思えば……あぁでも、惜しいことをしたような……」

 脱衣所のガラスも、浴室の影響を受けて曇り気味である。期待していた分多少のガッカリ感は否めない、まぁ、彼の方から私の裸体が見えないのは嬉しいが。

 部屋に用意されていたバスローブを着用し、部屋に戻る。彼は寝台の上で上半身だけを起こし、何かを読んでいたようだった。

「長かったな」
「女の子のシャワーなんて、みんなこんなもんだと思うけど……」

 彼が本を閉じて「では、眠るか」と言いその身体を横たえた、私はゴクリと喉を鳴らして、「そ、そうだね」と小さく返事をする。

「……? どうした、来ないのか」
「え、あ、うん、行く……」

 かち、こち、と固まった手足を動かして彼の待つ寝台へと向かう。共寝をするのが初めてというわけではないが、場所が場所だ、つい緊張してしまう。
 それに、彼が着用しているバスローブ……私が着ているものと同じ物だ、ということはつまり、

(…………あの下は、は、裸……!)

 無論、私もそうだ。
 お互いに布一枚、ほぼ裸体といっても過言ではない格好で、同じ寝台の上で眠る、というのは、その……。

「……〜っ! の、喉が乾いちゃったから、何か飲んでから寝るね!!」

 頭を過ぎった邪な考えを払拭するために、必要以上に明るくそう言って、冷蔵庫が入っているだろう棚の扉を開ける。彼が「そこは……」というのが聞こえた気がしたが、御構い無しに開けたその先には、何か自販機のような……ものが……。

「っ……!! きゃーーーー!? こ、これ、これっ……!!」

 伸ばしかけた手を勢いよく引っ込める。そこにあったのは、複数のアダルトグッズ≠ェ入った販売機だった。

「あ、あわ、あ、え、え……っ!?」

 ピンクや紫色の大人のおもちゃを前にして、私のパニックゲージは限界を迎えた。うまく言葉が出ないし頬は熱い、真夏のコンクリートの気分だ。

「ふむ、これらが何に使われるのか知っているような反応だな?」
「んっ……や、ちにゃ……っ、違っ……!」

 いつのまに近くに来たのだろうか、背後から優しく肩を抱かれ、耳元でそう囁かれる。思わず身体がびくりと反応してしまった私に、彼が「そうか」と笑いかける。

「……興味があるのなら、一つくらい買ってやろう」
「な……ないないない……っ! 全然ない!」

 ふるふると首を振る私の後ろから彼が手を伸ばす。「これなどどうだ」という彼の言葉に次いで、ピ、という機械の音が鳴った。

「あーーーーー!?!?」

 彼が取り出そうとしている何かが見えないように両手で顔を覆い隠す。そんな私に彼は楽しそうな声で「いらないのか?」と問いかけた。

「や、やだ、私、まだ心の準備が──冷たっ!?」

 恥じらいと少しの恐怖で早口になる私の首元に、冷たい何かが押し当てられる。驚きに振り返ると、爽やかなデザインのペットボトルを手に持ち、にやにやと私を見下ろす綺礼と目が合った。

「あ、あれ、これ……のみ、もの……?」
「そうだが」

 差し出されたそれを手に取ると、清涼感のあるラベルに「スポーツドリンク」と記載されているようだった。

「喉が渇いたと言っていただろう……さて、お前は一体なんだと勘違いしたのかな」

 またからかわれたのだ、と、恥ずかしさにまた顔の熱が上がる。言っていい冗談とダメな冗談があるだろう、これはダメだ、私の心臓は強くないんだから。

「うう……綺礼のばか……」

 もらったボトルの蓋を開け、口をつける。冷たい液体が喉を通る感覚に、私は少しばかり冷静さを取り戻した。
 まったく、私はなんでこんなに緊張しているんだか、たしかに場所が場所だが、別になんてことはない。それこそ子供の頃は毎日のように一緒に眠っていたじゃないか。

「……それほど気になるのなら、私はそこのソファで寝ることにしよう。お前は一人でベッドを使うがいい」
「え」

 彼が私から離れ、ソファへと腰掛ける。思いがけない彼の提案に、思わず彼の顔を凝視してしまった。

「なんだ」
「う、ううん……その……」

 緊張して眠れない、のだから、彼の提案はもっともだし、明日も早いのだからその言葉に甘えてさっさと寝てしまうべきなのだろう。
 ……でも、

「綺礼、その……やっぱり、一緒に、寝たい……です……」
「……はぁ」

 散々騒いだ後で恥ずかしかったが、意地を張っても良いことは何もないと知っている。彼の元へ行き、袖を引くようにしてそう告げると、彼はため息を吐いてから立ち上がり寝台の方へ向かった。

「き、綺礼……?」
「一緒に*ーるのだろう? …早く来い」
「……うん!」

 急ぎ足で彼の元へ向かい、彼の腕の中で横になる。綺礼の腕の中は、いつだって心地が良い。私が「おやすみ」と声をかけると、彼からも「おやすみ」と低い声で返ってきた。

 たったそれだけのことに私は満足して、目を閉じた。




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