月よどうか私を許さないで



 これは、とある夢の話なのです。


 
「行かなくたって、いいんじゃないかな」

 何回、何十回、何百回と繰り返した夢の果てに、そんなことを口走ったことがあった。
 きっと疲れていたのだ。この日、この時、彼を止めなければ彼はもうここには戻ってこないのだと、私の記憶はそう告げている。私の予感はそう告げている。
 それなのに、彼の足は依然として、最期の戦場へと赴こうとしているのだから。

「……理由なんて、わからないままでもいいんじゃないかな」

 彼がこの言葉に頷くはずもないことは、私が一番よく知っていた。それでも、もう、止められないのなら、ここ・・はこれで行き止まりだと言うのなら……そんな、自棄にも似た感情が、私の口を動かしている。

「誰に許されなくたって良いよ、理由なんてなくてもいいよ、答えが出てるなら、もうそれでいいじゃないか」

 美を美と思えないのなら、幸福を幸福と思えないのなら、それでいい。それでもあなたを愛する人はいたはずだ、それでもあなたを愛する人いるはずなのだ。頼むから、それ以上なんて求めないでくれよ。

「それは応えられん願いだな──私の人生とは、問い続けることだった。その解だけが与えられたとて、納得できなければ意味がない」
「意味……? 意味って、なに? それは、私の、綺礼に死んで欲しくないという願いよりも、大事なもの?」
「そうだ」

 噛み締めた唇が痛む。私が何を言おうと、もし泣いて縋ろうと、彼はその決意を曲げることはないのだろう。

 ……あぁ、せめて、その神への祈りくらいは邪魔ができないものか、と、私は苛立ちに震える拳を握りしめた。こんな時でも、彼の信仰心は少しだって揺らぐことはないらしい。

(それは、あなたを救わなかった癖に)

 神は全てをお救いくださると、いつかこの教会を訪ねた信者が口にした。善も悪も、神は等しく手を差し伸べるのだと。

 そんなもの、まやかしだ。

 ──あぁ、そうだ、私は神様≠ネんてもの、これっぽっちも信じちゃいない。だって、現に、彼はどうしたって救われない。彼の信じる神様≠ヘ、彼を絶対に救わない。こんなにも、彼は神様≠信じているはずなのに!

 そんなもの──そんなもの──!
 


「──神様なんて、嘘っぱちだ……!」
 


 あ、と思った時にはすでに遅く。叫んだ私を振り返った彼は確かにその黒曜石の瞳に私を映して──いた、はずなのに。

「……そうか」

 そう小さく呟いた彼はもう、私なんかを見ては居ないような気がして。
 ……それ以上は誰も彼もが言葉を発することはなく、この・・私たちは、ここで決定的に決別した。
 
 ──そう、これは、とある夢の話、なのです。




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