負けたくない相手



 晴天、休日であるところの今日、新都は休日らしい賑わいを見せており行き交う人々がやれ何をする何処へ行くなどと話しているのが聴こえる。
 普段であれば私もその一員であり、クレープが食べたいだのゲームセンターに行きたいだのと数少ない友人や……まぁ主にランサーなどと共に歩き回ったりしているものだが、今日は違った。

 そんな浮かれた気持ちは一切なく、ただ私の中にあるのは、この限りなく困難な任務をどう遂行するかということだけだ。

 標的は少し離れたところで誰かを待っているようで、しきりに駅前の時計を確認している。今の時刻は午前一〇時五八分。おそらく待ち合わせの時間は十一時ちょうどかそのあたりなのだろう。

「す、すいません! 遅れてしまって……お待たせしてしまいましたか?」

 そこへ一人の女が慌てたように走り寄る。標的は「いや、まだ時間前だ、遅れたということはない」と首を小さく横に振った。
 側から見れば仲の良い男女の会合、所謂「デート」というやつの待ち合わせにしか見えないだろうソレが、そんな浮ついたものではない事を、私は知っている。

「……おい、マスター」

 私に軽率に話しかけるランサーを睨みつけて「しっ、もっと隠れて!」と人差し指を立てた、距離がある上に喧騒の中とはいえ、いついかなる時も気を抜いてはいけない、尾行の基本だ。
 私の言葉にランサーはこれ見よがしにため息をつき、しかし標的達からは見えないように身を隠してくれる。また彼等を覗き見ると、なにやら楽しげな雰囲気で少し話をした後どこかへ場所を移すようである、もちろん私はそれを追った。

「……ランサー、あれ、どう思う」

 その道中、行動を共にするランサーへ問いかける。

「あれって……あれか?」

 ランサーと私の視線の先には二人の男女、もちろんその二人のことである、当たり前だ。

「どうって――いやぁ、いつも通りの言峰とバゼットだろ」
「そうじゃなくて」
「おっ、マスター、頭に葉っぱ乗っかってるぞ」
「えっ嘘、取って取って」
「ほれ」
「ありがとー……ってそうでもなくて――――!!」

 うがー! とランサーに食ってかかる。彼は「はいはい」と特に意にも解さない様子で手にとった葉をふっと息で吹き飛ばした。

 ――そう、私達が尾行している対象は他でもない、言峰綺礼である。

 そして後から現れたあの女こそが、バゼット、私の……なんていうか……まぁとにかく気に入らない女なのである。

「私は! あの女がどう思うかってきいたんだけど?」
「バゼットか? そうだな、今日も変わらず良い女なんじゃねぇか? 芯が通っていて魔術師としての実力もある、おまけにスタイルも抜群ときた」

 それを聞いて反射的にランサースネを蹴ろうとする、しかし避けられた、ムカつく。

「今契約してるのは私でしょ!! マスターをフォローするとかないの? 気の利かないやつめ……」
「お前が優ってるのは口の悪さくらいのもんじゃねぇか」
「うるさいばーーーーーーか!!」

 そんなふうに大声を出してしまってからはっと気づいて綺礼の方を伺う……うん、まだ気づかれてはいないようだ、危ない危ない。

「尾行がバレたらランサーのせいだからね」
「今のは完全にお前が悪いだろ」
「私は悪くないもん……あ、カフェに入った」

 そうこうしている間に二人が店に入るのが見える、恐らく中でゆっくり話などをするつもりだろう……ぐぅっ!

「私達も入るよ」
「はぁ〜……俺はもう帰りたいんだが」

 ランサーの言葉は聞こえないふりだ、腕を引いて無理やりにカフェの中へと引っ張っていく。

「いらっしゃいませー」

 笑顔で迎えてくれた店員のお姉さん横目にキョロキョロと彼等の姿を探すと、どうやら端の方の席に座っているようだった。

「ええと、二人、で……あ、あそこの席、いいですか?」

 ちょうど柵を挟んで二つ隣の席、間に客もなく聞き耳をたてるにはちょうど良さそうな席を指差すと、お姉さんは快くその席まで案内してくれる。実際に座ってみると柵の間から少しなら綺礼の顔は伺えそうだ。

「ご注文はお決まりでしたら伺いますね!」
「……あ〜、とりあえずコーヒーとミルクティーで」

 標的二人から目を離せない私に代わってランサーがそう答える、他の客を注視する私は側から見れば不審と言わざるを得ず、少し戸惑うというか訝しげな目を向けられはしたが、ランサーの「放っておいてやってくれよ、お嬢さん」という言葉に(というか顔に)、「は、はい……!」と返事をしてバックへと戻ってしまった。さすがランサー、顔が良い。一回爆発しろ。

「……それで、君はいったい私に……」
「ですから……を、……していただきたく……」

 聞き耳を立てれば少しくらいは……と思っていたが、二人の会話は想定より聞き取りづらく断片的にしか内容がわからない、恐らく常時より声を潜めているのだろう。

「それは……つまり……」
「……です……ほしくて……」

 聞き取れた言葉だけで会話の内容を察するに、恐らくバゼットが綺礼に何か頼みごとをしているのだろうということが推察できる、しかしいったい何を……一番肝心なところだけが聞こえない。

「ん」
「ありがと」

 いつのまにか届いていたカップを差し出され、反射的に受け取って口をつける。甘くて温かい、蜂蜜でも入っているのだろうか、美味しい。
 バゼットの表情は角度の問題でうまく伺えないが、綺礼はここからならはっきり見て取れる、その顔はいつもより口角が上がっていて……そう、とても愉しそうに笑って、いるのだ。

「…………ず、ずるい」

 ぽつり、自分の口からそんな言葉がこぼれた。
 ずるい、そう、羨ましいのだ、私は。彼があんなに愉しそうな表情を向けられているあの女が。そしてとてつもなく憎い、ずるい、なんでよりによってあの人に、

「綺礼、あんなに、たのしそう……うぅ……」
「……まぁ、クソ神父の方はな」

 ランサーからはバゼットの顔も見えているらしい、その言い方によると、もしやあの女は楽しそうにはしていないとでもいうのだろうか。いや、そんなのはおかしい、だって私のカンによるとバゼットは綺礼の事が好きなはずだ、一緒にいて楽しくないはずがない。

「お前の考えすぎだと思うがなぁ」

 ランサーはもう文句を言う気もないようで、退屈そうな顔で二人を見ては早く終われと言わんばかりにため息をついた。

 その時だ、
 ――綺礼の手が、バゼットの頬に触れたのは。

「〜〜っ!?」

 驚いてカップから手を離してしまったのを、落ちるすんでのところでランサーが受け止める。「気をつけろって」と言っている彼に礼と謝罪を述べなければいけないのはわかっているが今はそれどころではなかった。
 彼の手が、バゼットの肌を撫で、その指が、唇をなぞろうとして――

「っダメーーー!!」

 耐えきれずに、私は声を上げて立ち上がった。

「っ!? な、神埼涼……!?」

 それに驚いたのはバゼットだけで、綺礼はといえばニヤニヤと笑いながら「おや、いつからそこに」と伸ばしていた腕を引っこめる。
 私は二人のテーブルまでツカツカと歩いて行き、「このっ……どろぼうねこー!」とバゼットを指差した。

「ど……泥棒猫……!?」
「ちょっと言峰神父と仕事中の交流があったからって! ちょっと、私より大人で、す、スタイルが良くて、うぅ、つよいからって……! 私の方がずっと前から好きだったんだから……! ま、負けないんだからっ……!」

 言いながら少しだけ泣きそうになる、まいった、ランサーに言われたからではないが勝てる要素が一つも思い当たらない。

「な、なんの話をしているのですか」
「しらばっくれてー! 綺礼……こ、言峰神父があなたの頬を愛おしげに撫でたのを見てたんだからぁ!」

 ぐすっ、と鼻をすする私の隣で、ランサーが退屈そうに欠伸をする、ムカつくのでちょっと蹴った、今度は当たった。
 とはいえこれに関してはバゼットに非はない。わかっているのだ、手を伸ばしたのは綺礼の方で、頬に触れたのも綺礼の方から、愛おしげと言うのも私の主観でしかないだろうし

「あっ……あれは! わ、私の頬にごみが付いていたから取ってくれていただけですっ!」

 ……ごみ? そうなのか、と綺礼に目で問いかけると、彼は愉しそうな顔のまま「そうだな」と笑った。

「まぎらわし……! い、いや、そもそも! ここでこうして二人で、で、で、で……! うっ……!」
「デートな」
「うるさいランサー! デートなんて認めるかっ! で……出かけてる時点でギルティ! 有罪なんですバゼット!」
「な……!」

 ランサーの発した「デート」という言葉を聞いてバゼットが顔を赤くする。むかつく、そんな可愛らしい女のような反応で綺礼の気を引こうとしているなんて。
 しかし残念ながらそれは叶わない、なぜならそんな方法はとっくに私が実践済みだ! 効果がないのは私が一番よく知っている。まさか私はダメだったのにバゼットなら良いなんてことあるわけ……あるわけないよね? 綺礼?

「デート、か、それで今朝から付けられていたわけだ」

 ぎくりとする。完璧な尾行だと思っていたのだがどうやら彼にはバレていたらしい。

「こ、言峰、貴方は彼女がいることに気づいていたのですか!?」
「いや? 何者かの気配は感じていたがまさか涼だったとは気がつかなかったな」
「……嘘つけクソ神父、わかってたからバゼットに手を出したんだろうが」
「まさか、確信はなかったのでカマをかけたにすぎん」

 バレたバレていないでごちゃごちゃと話をしているがそんなことはどうでも良いのである、大事なのは、そう、この女だけは倒さなければ私の日々に安寧は訪れないという事実である! 今! すぐにでも!

「バゼット……覚悟!」
「ま、待ってください! 私はただ彼に……ランサーのマスター権を返して欲しいとお願いしにきただけで……!」

 ぴたり、私は構えた拳を止める。ランサーが後ろで「俺?」とパチクリ目を瞬かせていた。

「だから、何度も言っているが、現状ランサーのマスターはそこにいる神埼涼だ。私に言われたところで、なんとも」
「う……わかっています。けれど彼女はその……私に会うたびにこの様子ですから……だから貴方からもどうにか話をして欲しいと!」

 ダン、彼女が机に拳を叩きつける。本人としては軽く叩いたつもりかは知らないが反動で彼のコーヒーが少し溢れた。馬鹿力め。

 ――しかし、そうか、なるほど? 彼女はつまり、私にランサーを返してくれと、そう懇願したいわけだ。

「……ふ、ふふ、バゼット・フラガ・マクレミッツ、そんなにランサーを返して欲しいんですか?」
「! え、ええ! 聖杯戦争は終了しましたが、それでも彼は私の――」

 にやり、笑みが溢れる。

「……残念、嫌に決まってるじゃないですか! 彼は今、私のサーヴァントなんですから!」
 
 彼女が言葉を呑んだ、絶望、そうとしか言いようのない顔でこちらを見つめている。

「はーははは! どうです! 悔しいでしょ? ま、もしランサーがど〜しても? 今の主人である私を裏切って=H バゼットの味方をしたいというのであれば考えないこともないですけど?」
「……訂正するぜ、口の悪さだけじゃねぇわ、性格の悪さもお前の方が優ってたな」

 なんとでも言えランサー。どうせお前は主人を裏切るような男ではないのだから。わはは。

「〜〜っ! ランサー! 貴方は私より神埼涼の方がマスターに相応しいというのですか?」
「いや?」

 即答だ。もう少し悩みたまえよ。流石に少し傷つくかもしれないだろ。

「だがまぁ、聖杯戦争のない今、誰が誰のマスターかはある程度重要じゃあねえし、だったら魔力量の多いこいつと契約してる方が効率的ではあるわな」
「な……」

 バゼットが更に落ち込む、良い、良いぞランサーもっと言ってやれ!

「おいおい元気出せよ、今のは効率の話さね。実際契約すんなら俺はあんたの方がいいと思ってるぜ? ……なんせ、スタイルも良――」

 ドン、という音ともに、バゼットの拳と私の蹴りがランサーにヒットしたのはほぼ同時だった。ランサーはその台詞を言い終わることもなく物言わぬ体となって床へ倒れ伏した。

「…………はっ! すいませんランサー、つい……失礼な言葉が聞こえたもので」

 つい、という割には力が入っていたようにも感じるが。やはりこの女、綺礼の前で猫を被ろうとしてないか?

「は、話を戻しますが、つまりですね、私はランサーの事を話しに来たのであって、言峰神父にはなんの感情も……」
「ほう?」

 黙っていたはずの綺礼が楽しげに口を開く。ドタバタと暴れていた私達とは違い、優雅にコーヒーに口をつけてから、にやりと笑ってこちらを向いた。

「寂しいことを言ってくれるじゃないか、バゼット。お前と私の仲だというのに」
「な」
「なん……!」

 声をあげたのは私が先だった。
 なんだ、綺礼のその言い方は……いや、綺礼のことだ、もちろん私とバゼットをからかう為に……からかう為の……からかう為であって……!

「何度も同じ夜を過ごし、互いに信頼の置ける仲だと思っていたのだがな」
「そ、それは、貴方が私を裏切るまでの話です! でも、それがなければ、たしかに今でも私は貴方を……」

 貴方を……なんだ? いやいや、それだって仕事仲間として、だ。それくらい知っている。それに綺礼は彼女を裏切った。でも私の側にはいてくれた。それが全てじゃないか、焦ることなんて……

「聖杯戦争とはそういうものだ……こうして話をしたいと言われた時は許してもらえたのだと思っていたのだがな」

 き、き、綺礼が、切なげに、悲しげに、ま、眉尻を下げ……! 可愛い、珍しい可愛い、写真に収めたい、しかしその表情はなぜその女に向けられている――?

「……バゼット、これだけは信じて欲しい、あの日々でお前に話した話には、ただ一つの偽りもありはしなかったのだと……」
「こ……ことみね……」

 ――なんでこの女も頬を染めている?
 なんの話だ、なんの話をしたというんだ、なぁ、なぁなぁ、なぁ、

「そ、そうですね、私も、一つの事を根に持ち続けるのは、大人気なかったと――」

 ぷちん

「わーーーーーーーー!! バゼット!! おもてへでろーーーーーーーー!!」

 ガッ! と両手を挙げて威嚇をする、藤村先生直伝のポーズだ。バゼットはそれを見て呼応するように拳を構える。

「いいでしょう! つまり勝った方がランサーの所有権を得る、そういうことですね!」
「わーん! 綺礼は絶対絶対渡さないんだからー!!」

 お互いをにらみ合ったまま、私たちは決戦の場を探しに喫茶店を飛び出した。
 


「……あいつら微妙に話が噛み合わないまま出て行きやがった」
「おや、ランサー、生きていたのか」

 当たり前だろうが、と身体を起こすと性悪神父は「それは良かった、賞品が息絶えていては元も子もないだろうからな」とコーヒーを飲んでいる。
 どんちゃん騒ぎに何事かと飛んできたウェイトレスに笑顔で大丈夫だ、と告げて辺りを見渡す、幸いなことに何か壊れたりはしていないようだった。

「行ってやらなくて良いのかね?」

 ニヤニヤと笑う神父に嫌気がさす、他人事みたいな顔をしているが徹頭徹尾お前のせいじゃねぇか。

「ったく、手のかかるマスターだぜ……だから放っておけねぇんだけどよ」
「ふふ、それを言ってやれば奴も喜ぶだろうに、全く素直ではない」
「マスターに似たからな、つーかそれは俺の台詞だっつーの」

 どうせ今日バゼットの誘いに乗ったのも、あんな風に思わせぶりな発言を繰り返したのも、マスターをからかう為なのだろう、本人はわかってるのかは知らんが。

「てめぇがあいつで遊んでるだけだって知ったら喜ぶんじゃねーの、あいつも充分趣味悪いからよ」
「ふ、さて、誰に似たのやら」

 お前だろ、とは言わないでおく。そもそも取り残されたからと言ってこいつの話し相手になる気は毛頭ない、願い下げだ。

「おや、もういくのか」

 わざとらしくそう聞いてくる神父に「待たせてる女がいるんでな」と告げて店を出ようと背を向ける。

「それはどちらの話かな」
「……さーてね」

 手がかかるのはどちらもだ。

(まぁ、負けた方を慰めるくらいはしてやらねーとな)

 負けて落ち込む彼女を想像して、仕方ねぇな、と少しだけ笑った。




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