情欲の先



「おやすみ、綺礼」
「ああ、おやすみ、良い夢を」

 蝋燭の火が消される。「怖い夢を見た」とうそぶいた私は、寝つきの良い彼が深い眠りに落ちるまで目を閉じたまま布団の中でじっと静かに息を殺していた。

「……寝た?」

 小声で彼にそう問いかけるが、返ってくるのは規則正しい寝息だけ。私はようやくホッと息を吐いてから、彼を起こさないようそっと彼に近づいた。

「……ん、」
「!」

 声を漏らす彼にドキリとするが、どうやら起こしたわけではないらしい。……寝ている時も周りを警戒していそうなイメージがあったが、さすがの彼も眠る時は多少無防備にはなるようだ。

 私はさらに彼に近づいて、彼の胸に頬を寄せる。彼が起きていれば鬱陶しがられるだろうが、今だけは許して欲しい。

 ——心音はない。当然だ、そんなのずっと前からわかってることだし。

 ……彼の呼吸に合わせて厚い胸板が上下していた。視線を上げると、眉を寄せたままの彼の顔があったので、ここぞとばかりにその顔を凝視する。

 鼻が高くて、彫りが深い、顎のラインが綺麗で、首が太い……癖っ毛なの、すごく可愛い。
 普段ならこんなにまじまじと見ていれば嫌がられるだろう……今だけ、今だけだ、彼のことをこんなふうに見続けるのは、こんな時だけと私は決めている。

 彼は身体が大きい。……その体躯で強く抱きしめてもらえたなら、どんなに心地よいだろうか。
 彼の手も大きい。……その手で、私自身を暴いてくれたのならどんなに嬉しいだろうか。
 彼の唇から紡がれる声は低い。……その声で私の名を呼び愛を囁いてくれたのなら、どんなに心満たされるだろうか。

 ——誰をも必要としない彼に求められたのなら、それはどんなに、幸福であろうか。

 人として、魔術師として、弟子として——女性として、

(……あぁ)
 


 これが愛だと言うのなら、なんて浅ましい感情。
 


 ほんの少しの罪悪感を抱きながら、寝ている彼に口付ける。その感触は、想像していたよりもずっと柔らかくて、それが少し可笑しかった。
 どうか起きないでくれ——でも、もし許してくれるなら、起きて私の淫らな感情全て一笑に付してくれ、と。
 相反する二つの願いを胸に抱きながら、私は再びまぶたを下ろす。
 
 今日もまた、私は報われない恋をしているのだ。




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