せいくらべ



 彼の背中が好きだ。広くて、大きくて、とても強そうで……そしてほんの少し、見ていると淋しくなるような。
 私に背を向けて、資料か何かを探している彼を見ながらそんなことを考える。

「……えい!」

 その背に飛びつくようにして抱き着いた。そんな私に彼は心底鬱陶しそうな声で「邪魔だ」とだけ言って短く息を吐く。

「離れろ」
「うーん……まだまだ足りないなぁ」

 彼の言葉には耳もくれず、私は自分の頭のてっぺんに手のひらを当て、そのまま水平にスライドし彼の背にぶつける。いわゆる「背比べ」というやつだ。まぁ、比べるまでもなく彼の身長には届かないのだけれど。

「でも前よりちょっと伸びたかも」
「そういうことは成長しない壁か柱相手にしろ……傷はつけるなよ」

 嫌がる彼に無理やり引きはがされ、私は「えー」と不服を漏らす。

「比較対象の身長も伸びたのでは正確に測れないだろう」
「でも綺礼はさすがにもう伸びないでしょ」
「どうかな、事実お前を引き取った時よりも上背は増えたと思うが」

 たしかに。
 それを言われると納得せざるを得ない。彼は当時すでに成人済みだったように認識しているが、なぜか、私の手のひら分くらいは背が高くなっていた。これでは私達の身長差はなかなか縮まらない。

「でも私だってずいぶん大きくなったよね、出会ったときなんてこのくらいだったじゃない?」

 手を、膝より少し上のあたりで振る。たぶん、幼い私はこれくらいだっただろう。

「いや、もう少し低かったぞ」
「これくらい?」
「もっとだ」
「え!? 嘘だ、絶対適当言ってる」

 ははは、と乾いた笑いと共に、彼が椅子に腰かける。さすがにそうともなれば私のほうが目線は高くなるもので、資料に目を通す彼の横顔を見下ろしながら「もっと大きくなりたいな」と私は小さく呟いた。

「大きくなってどうする、なんだ、私を抜かしたいとでも言いだすつもりか」
「いや、そこまでは……でももう少し、うーん……二十センチくらい」
「……それは少しではないだろう」

 だって今のままじゃ届かないんだもん、そう唇を尖らせると、彼が「何に」と聞き返してくれる。私は少しだけ恥じらいながら「綺礼に?」と答えた。

「——キスしやすい身長差って、十二センチなんだって、クラスメイトの女の子が言ってたの」
「……………………そうか」

 呆れかえった声だった。……花も恥じらう年頃の少女が思い切って告白した言葉に対して、その反応はいかがなものか、と思わないでもない。

「だって、今のままじゃ身長差がありすぎるんだもん! 綺礼が屈んでくれなきゃできないんだもん!」

 まぁ、屈んでくれることはないんですが。

「それに、首も疲れるし顔も良く見えないし……あ、ほら、今ならちょうどいいんじゃ——」

 立っている私が高くて、座っている彼が低い。逆転はしているけども、大体これくらいの差なら……そう考えていた時、腕が強く引かれる。バランスを崩して彼のほうへ倒れこむ私の目の前には、彼の顔が迫っていた。

「あぶな、っ……!?」
「——そうか、なるほど確かに、これくらいが丁度いいな」

 そのままキスを……されることもなく、満足そうに頷く彼は私をすぐに開放した。いったい今のはなんだったのかと目を白黒させる私を横目に、彼は愉快そうに喉の奥で笑っていた。

「期待したか?」
「すっ……! ――するに決まってんじゃん……!」

 素直に叫ぶ私に対して、彼は「そうか」とだけ返し、再び手にした書類に目を落とす。負け惜しみのように「いじわる」と呟けば、やはりこちらは見ないまま、彼は少しだけ口角を上げた。

「ふ、いつも言っているだろう、嫌になったのならいつ出て行ってもらっても構わない、と」

 ――そんなことするわけないって、わかってるくせに。

「……私の背が綺礼と同じくらい大きくなったら考えようかな」
「なるほど、その時は一生来ないという意味かね」
「もしかしたら来るかもしれないって意味ですぅ」

 頬を膨らませて反論をする、が、きっと彼の言う通り、そんな日は来ないまま終わるだろう。彼はいつまで経ってもずっと私より大きくて、彼は、いつまで経ってもずっと――私の、大切な人のままだから。

 だから、きっとこの先も何度も、代わり映えのしない背比べを繰り返すことになるのだろう。
 そんな予感を、私は「幸福なことだ」と噛み締めた。




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