本当に欲しかったものは



「はっぴーばーすでー私! ということなので——キスして、欲しいなぁ、なーんて……?」

 ——と、朝から綺礼に迫り続けて早半日。「断る」と答えるのも億劫になり、その上無視を続けるのも限界になってきた彼はため息を吐いている。眉間の皺はもはや渓谷だ。

 こんな叶う可能性の低い要求を続けているのは、無論、別に本当にキスをして貰おうとしているわけではない。それもこれも、もう一つのお願いを聞いてもらうための前哨戦なのだ。

「少し静かにしろ」

 本日なんどめかのそのセリフに、私は「今だ」と息を呑む。

「じゃあ、じゃあ……ケーキ、あーんして食べさせて……? そしたら、今日はもうわがまま言わないから」
「——……」

 スッ、と、彼の目が細められる。なんというかこう、「正気かおまえ」とでも言いたげだなぁ。
 しかし残念ながら私は正気だ、今日一日、自分でもどうかと思うほど彼の側でにゃんにゃん甘え続けたのは、そう、まさしくこのためだったのだ。

 ——だって! 誕生日くらい! まるで恋人みたいなことそんなことをされてみたかったんだもの……!

 心の中でそう叫び、私は若干引き気味の彼を真正面から見つめ続けた。しかし実際のところ、ここで彼がもうダンマリを決め込んで私のことなんて見向きもしない——ということになれば、この幼稚な作戦は頓挫とんざする。そしてその可能性は大いに高い。
 彼が目を伏せ、先ほどよりも長く長く息を吐いたのを見て、やはりこんな作戦ではダメだったか……と、私は肩を落とした。
 
 ——のが、つい一時間ほど前の話。
 
「………………口を開けろ」
「うん! あーん♡」

 目を閉じて口を開けば、口内いっぱいに広がる甘い生クリームの味。そうして彼の持ったフォークはするりと私から離れていく感覚が唇に伝わる。

「おいし〜!」
「……満足したか」
「もういっかい!」

 あーん、ともう一度をねだると、おおよそ感情のこもらない瞳のまま彼は事務的に右手を動かした。少し大きめに切り取られたケーキに口に収め、私は再度「やっぱりおいし〜!」と落ちてしまいそうな頬を両手で支えた。

 ちなみに、ケーキは自分で買ってきた。

「えへへ……なんだか恋人みたいだね」
「餌付けにしか見えないと思うが」

 そんなことないもん、と頬を膨らませるも彼には何も響いていないようで、流れ作業のように次の一欠片をフォークに刺し私の方へと差し出している。

「早く終わらせろ」
「はぁい……嬉しいけど、釣れないなぁ綺礼……」
「不満ならもういいな?」
「え、やだぁ! もっと、せめてもう一口……!」

 あ、と口を開けると彼はやはり無表情のままそこにケーキを放り込む。ここらが潮時かと考えた私はもぐもぐと口を動かしてから、「美味しかった〜! あとは自分で食べるよ、綺礼、ありがとう!」と手を出して、彼にフォークを渡すよう促した。

「ようやく終わったか」
「うー、……もうすこしお祝いする気持ちでやってくれてもいいのに……」
「まったく、ワガママなやつだ、そもそも最初からキスだなんだと——」

 私の当初の「お願い」の内容を口にして、何故か彼は何か考えるような素振りで視線を逸らす。相変わらずフォークは渡してもらえないままの私は空の手を彼に差し出していた。

「——祝ってほしい、のだったな?」
「え? う、うん……——え、っ、?」

 彼が目を細め、なぜか私の手を取った。なにを——と問う間もなく、彼はその手を自身の口元へと運び——

 ——私の手の甲に、優しく口づけを落とした。

「……っ!? へぁっ……!? な、なん……っ!?」

 驚いて手をひくと、思いの外簡単にするりと彼の手からは解放される。彼の唇の感覚を閉じ込めるみたいにもう一方の手で手の甲を抑えると、熱を持った私自身の体温がじんわりと広がるようだった。

「……なんだ、お前が欲しいとねだった事だろう」
「そ、そだけど……本当にしてくれるとは、思って、なくて……」
「そうか。……私はもう部屋に戻るぞ」

 多分、これは彼の気まぐれで。
 なんでそんな気まぐれを起こしたかは、やはり私には不明のままで。

 それでも、

「——おめでとう」

 席を立った彼が最後に私の頭を撫でながら呟いたその一言が。
 はずみ・・・のような優しさが、私にとって、何よりの贈り物になるのだった。
  




clap! 

prev back next



top