いつだって、なんだって



 年末の教会は忙しい。それはもう、例年変わることもなく、ただひたすらに。
 クリスマス当日はもちろん、前夜祭を含めそれまでの準備や普段より増える礼拝者への対応に加え、日本人らしく年末の大掃除、それから新年……暦でいう一月一日の礼拝を望む人達のための準備、その他色々が教会内では行われる。それは当然、この冬木協会も例に漏れず、だ。

 元旦礼拝に関していえば、綺礼曰く「降誕祭こそが一年の始まりであって」というようなことらしいが、昨今、そのようなことはきっとさほど重要視されないのだろうと思う。少なくとも、彼のような啓蒙な信者以外の人々にとっては。
 もちろん私だってその一人で。……いや、正直、そういうことを考えていられるほど暇もないというか。

「あっ、はい! 何かご用でしょうか? ……ええ、はい、それでしたらこちらに……あっ、本日のミサはこの後に……はい、はい、そうですね、神父様は今少し咳を外しておりまして、はい」

 顔見知りから初めて見る顔まで老若男女の来訪者の対応をこなし、その合間にクリスマス関連のミサの準備をする。それも平日は学校がある中で、というのは現役女子高生の私にはなかなかどうして厳しいものがあった。
 もちろん冬木市の規模、教会の規模を考えてもそこまで大掛かりなイベントなどは行なっていないが、そうは言っても人手は足りない。毎年毎年この身に余る忙しなさに目を回し、心身共に疲弊するのがこの季節だった。

 ……と、ここまでが、全て言い訳≠ノ当たる話。ようはなんだ、その……忙しさを理由に、今年の私は忘れてしまっていたのだ。

 そう——世界で一番大切な、言峰綺礼の誕生日を。

「…………ご、ごめんなさい……」

 当日の、それも正午を回った後。忙しさも落ち着いて、そういえば次のミサはいつだったかな、なんて考えてカレンダーを見て……ようやく、気がついた。二十八日、二十八日というのはその……綺礼の、誕生日だったということに。

「……——」

 綺礼はもちろん何も言わない。まぁ、彼のことだ、別に祝われたいわけもなかったが。
 私が毎年勝手に彼の誕生日を祝い、料理を作り、贈り物を用意するだけ。いつだってそうだった。だから、今年だってそうするつもりでいたのに……。

「その……ご飯は、泰山の麻婆豆腐でも食べに行こ……あとは、その、えーと、プレゼントは……今度、ちゃんと用意するから……」
「ああ」

 落胆でも喜びでもなく、ただただ無関心さだけを感じさせる返事だった。事実そうなのだろう。彼としては、「お前がいつも自分勝手にしていることだ、するもしないも、好きにしろ」くらいのものなのだ。それが寂しいような、有り難いような、やっぱり寂しいような気持ちで少しだけ涙が出そうだった。

「ごめん……」

 繰り返した謝罪に、彼はあごに手を当てながら少しだけ首を傾けた。

「いや、構わん、が……そうか、てっきり、ついに私に飽きたのかと」
「ちっ……! 違っ……!」

 あーわかっていますわかっています。これは絶対に揶揄われています。しかし否定しないわけにもいかず、私は両の手を左右に振りながら「そんなわけない」と声を張った。

「そうか、なら、そうだな……謝罪の代わりに、ひとつ願いでも聞いてもらおうか」
「えっ……えっ?」

 思いもよらない提案に私は二度も声をあげる。いやいや、お願いって、言われなくてもそんな、綺礼の頼みならいつだって——
 ——と、思ったが。しかし、嫌な予感が私の返答を迷わせる。だってこのタイミングでそんなこと言い出すなんて……絶対、ろくなことじゃないはずだ。

「そ、それはその、例えばどんな……」

 それでも一応内容だけは聞いておこう、と私は声を絞り出す。彼はニヤリと口元を歪ませて、そうだな、と嫌に愉しげに続けた。

「一週間、真面目に教会の仕事に従事する、というのはどうだ」
「し、してるよ、真面目に……いつもよりは……充分だと思うけど」
「そうか? ならばもう少しお淑やかに過ごすというのは? 少なくともひと月の間は」
「……善処することはできると思うけど、うん」

 私の態度を改めさせようという試みが彼の中にあるのだろうか。もしや普段からそのように思っている? と考えると少しばかり気持ちが沈むような気もするが、できれば他のことにして欲しい私は濁した曖昧な返事を繰り返す。だって努力はしたいけど、絶対に叶えられる自信はない、特に、後者の方に関しては。

「では、そうだな——お前の一番大切なものを、私に捧げてみる、というのはどうか」
「…………大切な、もの……?」

 毛色の違うお願い≠ノ私は少しだけたじろぐ。彼は歪ませた口角もそのままに、ああ、とゆっくり瞬いた。

「なんだって良い、お前がなにより大切だと思うもの、失いたくないと感じるそれを私に譲る……それだけだ」

 ——あ、たのしんでる。多分、私がこれで迷ったり躊躇ったり、断ったり、悩んだ上で差し出す様を眺めたり……多分、そういうのを、期待してるんだと思う。
 けど、だけど、私は。

「いいよ。でも、どうやって渡したらいいかわからないかも」
「……、それは、なぜだ」
「だって……綺礼を、綺礼に渡すのは、どうしたらいいかわからないから……」
「……——」

 これが、嘘でも誤魔化しでもないことは彼自身が一番よく知っていると思う。
 私が、どれだけ彼を大事に思っているか、私が、どれだけ彼を失いたくないと思っているか。……この数年で、嫌というほどわかっているはずだ。

「……」
「綺礼?」
「…………はぁ、まったくつまらんな、お前は」
「綺礼が意地悪言うから」

 凛ならもう少し期待通りの反応ができたのかな、なんてここにはいない姉弟子を少し羨みながら、私は「別のことならなんでも言ってね」と言って彼の退屈そうな顔を覗き込む。

「そうだな、……適当に何か考えておこう」
「うん、そうして! 私にできることならなんでもするから」
「そうか」

 ならまずは教会の掃除でもしてもらおうか、なんていつも通りの顔で彼が言う。私は了承の意を伝え、早速取り掛かろうと用具を取りに彼に背を向けた。

 ——誕生日じゃなくたって、綺礼の願いなら、いつだって、なんだって……。

 その言葉は、結局今は飲み込んだ。その時まで取っておくのも悪くない。
 いつか来る、聖杯戦争《その時》まで。




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