魂ごと、心ごと



「トリックオアトリート!」

 見下ろした目線の先に、仮装をした小さな子供たち。私はカゴの中にあるお菓子を人数分取りだしてから、「はぁい」と言ってそれぞれに手渡していった。

「ありがとう、おねえちゃん!」
「ふふ、いいえ〜、走らないで、気をつけて帰ってね」

 そう声をかけるも言うことを聞くはずもなく、ヤンチャなイタズラお化けたちは楽しそうに手を振りながら駆け足で去っていく。私はそれに手を振り返してから、ちらりと教会内にいる彼の方を振り向いた。

「綺礼〜……もう変わってよ、疲れちゃった」
「それを配り終えたらな」

 言峰綺礼は私を一瞥することもなく、手にした聖書のページをめくる。そんなもん何が楽しいんだ、見なくても唱えられるくらい読んでいるはずなのに。……と、言えばまた怒られることはわかっていたので、私は黙って唇を尖らせた。

「さっきもそう言った」
「そうだったかな。……実際、私のような大男が立つよりお前がいた方が子供たちも怖がらずに済むだろう」
「また、そうやって……めんどくさいだけでしょ」

 はぁ、と私はため息を吐きながら、それでも素直にまた来訪者の相手をする。今日は十月の三十一日、いわゆるハロウィンというやつで、ここ冬木教会には夕方から子供を中心とした来客が多く、私はこうしてお菓子入りのカゴを片手にその対応をしているのである。
 しかしハロウィン、というのは元々ケルトが由来の行事であり、綺礼の宗教観的にどうなんだ……? とは思うものの、それはそれ、これはこれである。少なくともこの街でうまくやっていくという点においては、こういう行事は参加するのが一番良い。

「……と、今ので最後かも」

 からのバスケットに手を入れて、私は自身のカゴが軽くなっていたことに気がついた。しかし目の前にはお菓子を待っている子供が、小さな手を広げて「まだ〜?」と目をキラキラさせて待っている。

「ちょっと待ってね、すぐ取ってくるから……うわっ!」

 慌てすぎたのだろうか、振り返りざまの一歩目で私は思わずバランスを崩した。ぐらり、揺れる視界の端に、黒い外套が映り込む。次の瞬間、私の身体は平衡を取り戻した。

「気をつけろ」
「あ……ありがとう……」

 傾いた体を支えるように、彼の腕が私を抱き留めた。そのまま何事もなかったかのように隣を通り抜け、彼は子供達へ持っていたお菓子を配り始める。

「ありがとー、神父様」
「気をつけて帰りなさい」

 先ほどの私と同じようなやりとりをしながら、先ほどまで私が立っていた場所で、やってきた子供に笑顔でお菓子を渡していく。手にしていた彼のカゴにもまだお菓子が詰まっているところを見ると、おそらく先ほどの言葉通り、交代してくれるつもりなのだろう。

「……——」

 ——好きだ。

 本当に面倒なら適当に私を言いくるめれば良いものを、律儀に代わってくれるところも。転びそうになった私を当然のように支えてくれるところも。全部。
 それに、本当は楽しくもなんともないのに、まるで普通の人間みたいに笑顔で子供に接しているところ、そうしたい≠カゃなくて、そうすべき≠ニいう気持ちだけで親切な神父さんの顔ができるところ。その優しさを私にもちゃんと向けてくれるところ。
 全部——そのすべてが好きだ、と、私の頬は熱くなる。

(私しか知らない、本当の彼のこと。だから私しか知らない、彼のそういう*」力のこと、それがどれだけ尊いことなのか)

 それがとっても嬉しくって……私はまた、ことさらに彼のことが好きになってしまうのです。
 そんなこと言ったって、きっと何にも応えてはくれないのだろうけど。

(それでも好きだ、綺礼が私のこと好きじゃなくても、大切なものの一つに入れてもらえなくても)

 ぎゅう、と痛んだ胸を、空いている手で抑えてみる。……これは気分の問題だ、別にそれで何が治るわけでもない。

「どうかしたのか」

 ちょうど人が途切れたのだろう、彼が私を振り返る。なんでもない、と反射で口にする前に、私は一度言葉を飲み込んで、子供たちのように手のひらを彼に差し出してみる。

「……と、トリックオアトリート」
「——、」

 彼は少しだけ意外そうに眉を上げ、「腹でも空いたか」と淡々と言葉を続けた。

「生憎だがこれは子供達のためのものでね、お前の分は含まれていないんだが……」
「べ、別にお菓子が食べたいわけじゃないし」
「ならイタズラか? ……まあいい、お前のイタズラならたかが知れている」

 その返答に少しムッとする。まぁ、たしかに、何がしたくて言ったわけでもなし。イタズラをするにしても特に何も考えてなかったのは事実だが。
 私がうむむと唸っているのを見下ろしながら、彼も何かを考えるように口元を手で覆う。

「そもそも、立場が逆だろうな」
「逆……? なんで?」
「私とお前なら、《人間側》はお前の方だろう」
「?」

 さっぱりわからず、どういうこと? と首を傾げる私の顔を覗き込んで、彼はにやりと口角を上げる。

「——トリックオアトリート、さあ、渡さなければ悪霊に攫われてしまうぞ」

 真っ黒な瞳が私に迫った。その背幅と声に多少の威圧感を覚えながらも、私は別の感情で高鳴る心臓を抑えようと首から下げたロザリオを握り込む。

「さ、さらわれるとどうなるの……」
「さて、それは魅入られた者が一番よく知っているだろう……どうかな?」

 私の拳を解くように、彼の手が上に重なった。彼の指が肌を撫でる感覚に、びくりと肩を揺らす私を見て満足したのか、彼は「冗談だ」と表情ひとつ変えずにそう言って教会の奥の方へと歩いていってしまった。

「菓子を補充してこよう。……例年通りなら、まだもう少し、来客があるはずだ」

 そう言った彼に「うん」とだけ返事をして、私はバクバクと鳴っている心臓を鎮めるために大きく息を吐いた。……多分、この調子だと、悪霊とやらが本当にいたとして、もし綺礼と同じ姿で現れたら私は抗えない気がする。

(からかわれてるだけだってわかってるのに……)

 少しづつ落ち着いてきた鼓動を胸に、私はくるりと振り返る。彼の背中は見えないけれど、扉の向こうまで聞こえるくらいに声を張った。

「……私、冗談じゃなくてもー! 綺礼になら攫われてもいいからー!」

 多分この向こうでは、「大声を出すな」とでも彼はぼやいているだろう。こんなの可愛い仕返しだ、私をドギマギさせた分、それくらいは受け入れてほしい。
 
 二人分のカゴが空っぽになった後、また私から彼にトリックオアトリートと問いかけてみようか。なにもかも奪われてばかりでは悔しいので——今度こそ、彼を驚かせられるようなイタズラを携えて。
 





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