05



 そうか、やっぱりあいつもやぶさかじゃねぇってことか!
 あの特異点から戻った時には、俺はそんなことを考えて多少浮かれてもいた。結果として身体を重ねたという事実があるのだから、もう面倒なことは考えなくてもよくなったな、と。……無論、あいつ相手にそううまくいくはずもなかったのだけど。

「……おい、マス――」

 ――俺が呼びかけ終わるより早く、そいつは廊下を走り去った。今日だけでも、これで三度目だ。

 原因ははっきりしている、あの日の特異点での出来事が原因だろう、だがどうにも理由がわからない。嫌がっていたわけでもあるまいに、なぜこうも頑なに俺を避けるのか……

「…………あのやろう……」

 そうこう考え続けて一週間――いい加減、俺も我慢の限界だった。

「……? なに? なんの音……うわっ!」
「おう待て逃げんなよ!!」

 去って行った背中を追いかけると、案の定、気づいたあいつは驚いてまた走って逃げだした。しかしただの人間が身体強化もなしにサーヴァントから逃げられるはずもなく、その腕はやすやすと俺の手に摑まえられてしまう。

「は、離して」
「離して欲しけりゃこれ以上逃げねぇと誓え」
「……」
「できねぇなら離さねぇ、このままで訊きたいことがある」

 観念したように伏せる瞳にはあの熱はなく、むしろ嫌悪にも近い冷たさだけがそこにはあった。何故、と問えば、何が? なんて白々しい答えを返すほどに冷めた、あるいはそう見せてまで俺に隠したいなにかが、この意地っ張りにはあるようにも思えた。

「なんで俺を避ける」
「……別に、避けてなんか」
「ならなんで逃げようとすんだよ」

 再度の無言。答える気はないわけか、と苛立つ俺を前に、こいつは叱られた子供みたいにむくれているだけだった。

「言わなきゃわからねぇよ、俺は。お前の気持ちなんか」

 女は何も言わない。

「不満があるなら言え、得意だろうがよ、お前は」

 普段はあんなにも憎まれ口をたたく癖に。
 目すら合わせないまま、女はただ深く俯くばかりだった。……ああ、そうか、口もききたくないほどか。
 だったら。

「…………そこまで嫌なら、もうしねぇよ」
「――っち、違う!!」

 俺の声を遮るように悲痛な叫びをあがる。その声の主を見れば涙こそ浮かべていないものの、今にも泣きだしそうな顔で俺のことを見上げていた。

「違う、ならなんだ、抱かれんのがお気に召さなかったんじゃねぇのか」
「ち、がう、違う……そうじゃ、なくて……」

 歯切れの悪い様子で視線を泳がせる彼女をじっと見下ろす。俺が握りしめたままの自身の腕を見てようやく決心でもついたのか、「あんなこと言わせるつもりじゃなかったの」とか細い声を絞り出した。

「あんなことってなんだよ」
「その……お、俺が抱きたいから、って――そんな、思ってもいないようなこと」
「あ?」

 それの何が、と俺が聞き返す前に、女はそう言った。

 誰が、何を、思ってないって? 俺が嘘でも吐いたと言いたいのか。そんな怒りを胸に震えていると、何をどう勘違いしたのか、「ランサーは優しいから」なんて慌てたように付け足しはじめる。

「……私に恥をかかせないために言ってくれたんでしょ? わかるよ、別に、嘘吐かれたなんて思ってないから、本当に……だけど、そんな風に、気を使われたのが、いやで、使わせてしまったのが、申し訳なくって、だから……だから、どんな顔して話せばいいのか、わかんなくなっちゃった」

 ごめんね、と、彼女にしては珍しく素直な謝罪が鼓膜を揺らす。しかし今の俺にはそんなことはどうでもよく、ふつふつとした怒りが腹の底から湧き上がるのを感じていた。

「お前、俺の言葉を疑うのか」
「! そ、そういうわけじゃないけど」
「ならどういうわけだ」

 俺が怒っていることは伝わっているのだろう、しどろもどろになりながら、マスターは次の言葉を探す。「だって」「でも」というような言葉を数度口にしたのち、その目に涙を堪えながら彼女は俺を見上げた。

「――ランサーからしてみれば、私なんて、魅力的な女性ではないでしょう?」

 自分の中で、何かが切れるような音がした。



「――それでも好きだって言ってんだよ!!」



 近くを通りかかった職員だかサーヴァントだかが振り返るのが視界の端に映る。思いのほか声が大きくなってしまったのだろうが、そんなことは今の俺には関係なかった。目を見開いたまま固まる目の前の女を正面から見据え、再度「好きなもんは仕方ねぇだろ」と声を張り上げる。

「俺だって不本意だっての! 可愛げもねぇしわがままだしよ……それでも俺はお前がいい、言っておくが、同情でも冗談でも何でもねぇからな」
「わ、わかった、わかった……! 声が大きい!!」

 あるいは先ほどの俺よりもさらに大声量で彼女は叫んだ。耳まで真っ赤にしてまた俯いて、「わかったから……」と便りなさげに呟いた。
 どんな顔をしているやらと覗き込めば、そこにあったのはあの日のように熱に揺れる瞳があって――そうだ、俺はそれが見たかったのだと満足感に深く頷く。

「マスター」
「……なに?」
「好きだぜ」
「! わかったってば……」

 そんな表情のまま蚊の泣くような声で返答する様子がいつも以上に愛おしいような心地がして、俺は高揚した気分のまま「で、お前は?」と問いかけた。

「な、なにが……?」
「好きだって言ってくれねぇのかよ」

 はっと息を飲みさらに身体を熱くさせるマスター。困ったように恥じらうように視線を彷徨わせる彼女を抱き潰してしまいたいのを堪え、答えを待つ。

「……い、いわない………………」
「そいつは残念」

 まぁそう答えるだろうと思ってたよ、と笑えば、いつも通りのむくれ顔で俺の胸を軽くこづいた。結局素直にはなれないのか、こいつは。
 それでもいい、今は、それで。

(――すぐに言わせてやるさ)

 掴んでいた腕から手を離し、今度は彼女自身の手を取る。少しだけ不思議そうに瞬きをするその表情を見ながらその手を口元へ寄せ、その甲に誓う様に口付けた。

「……言えるようになるまで、待っててやるよ」

 そう言って俺が微笑めば――

 ――彼女は、今まで見た中で一番の可憐な顔で笑ったのだ。




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